071 - ヴォーパルバニー
有利だったはずの騎士団は、一気に劣勢となった。
なにせ俺たちは逃げるだけ、守るだけでいい。それも攻め落とさなければならない城が、脚を生やして逃げていくのだから、ヤツらからすれば始末に負えない。
「おい、馬だ! 急いで馬を連れてこい!」
「バカな! なぜ夜の魔法使いに土精霊が味方をするのだ……!」
騎馬を手配しながら、歩く薬草園を追う騎士とプレイヤーたち。その中にはイナバの姿もある。
「降りてこいよ、トビくん! でなければその四つ脚、片っ端からもいでいきますよ!」
その片手には、ごうごうと唸る巨大な火の玉。明らかに初期や中位ではない炎魔法だ。
腕を振りかぶって投げ放った火の玉は、薬草園の足元に着弾すると爆弾のように爆ぜる。
轟く爆発音。
土塊が大きく削り取られ、薬草園がわずかに傾く。
……うん、放っておいたら本当にやりそうだ。やはりこの人だけは放置しておけない。
薬草園の脚にツルを撃ち込み、空中を飛び回りながら結晶ナイフを放って牽制。隙を見て変身──そして降下と共に打撃を叩き込む。
振り下ろした殺人彗星は、斜めに構えた刀によってさらりと受け流された。
「よし、来ましたね! トビくん、あなたは相変わらず規格外のことをする……だがまだ足りない! 妹を託すならば心技体ともに世界レベルの男になって貰わねば!」
「規格外はアンタもだよ。なんでこれを受け流せるんだ」
全身強化にエンチャントまで乗せたフルパワーだぞ。そんな涼しい顔で受け流されてたまるか。
「ああ、今のは合気です」
「全部それで説明できると思うなよ。アンタそもそも合気道の人じゃないだろ!」
ぴょこぴょこ跳ねるウサギ耳が腹立たしい。
棍と刃をぶつけ合い、さらに放つ足先の斬撃も上手く躱される……というか、このあたりの手札は完全に把握されてしまっている。
だが、まだ見せていないものもある。
薬草園の脚に再びツルを撃ち込み、空中へと退避──ヘイロウの数を増やし、殺人彗星の射程を重量限界まで拡張する。
結晶ナイフと多節棍を弾幕のように放ちながら、中距離を維持する空中戦だ。
「ぐっ! なるほど、それは有効だ……!」
うん。素直なんだよな、この人。
刀一本では到底捌ききれず、徐々にダメージを負うイナバ。
しかし向こうも、炎の弾丸を無数に生み出す。
宙に浮かべた魔力弾を打ち出すと同時──イナバは跳んだ。
まさしくウサギのように空中を高く跳び、一気にこちらへと距離を詰めるイナバ。だがさすがに高さが足りない──と思った瞬間、イナバの足元が「ぼんッ!」と爆発した。
真っ赤な爆炎の勢いに押し上げられるように、イナバは空中を舞う。
「なんだそれ!?」
「炎魔法の応用です」
擬似的な二段ジャンプを利用して飛び込んでくるイナバ。間合いに入ったと思えば、放たれた抜刀術に肩を裂かれる。今のは避けきれない。
しかし相手も不安定。
ほぼ同じタイミングで放った蹴撃は躱せない──はずだったのだが。
「おっと、危ない……!」
後方へ跳ね退くイナバは、その一瞬だけ加速した。
たしかに首を撫でたと思った月人の処刑が、俺の直感に反して空振る。
──今のは古武術?
いや、さすがにスキルでなければおかしい。
考えたとき、そういえばと思い出す。
スキル〈脱兎の如く〉。後方跳躍時の移動速度を強化し、また跳躍回避時にわずかな無敵時間が発生させるスキル。
……かつて〈軽業〉の進化先として提示され、俺が選ばなかったスキルだ。ずいぶん厄介なものを持っている。
「さて、どうするかな……」
休む暇もなく、イナバは怒涛の攻撃を繰り出す。
その斬撃を棍で受け、ツルを走らせて空中を飛び回り、それでも追いかけてくるイナバをいなしながら防御に徹する。
こうやって戦ってみると、殴り合いが成立していた時点でオーバーキルはまだアマチュアだったな。この人に関しては、そもそも攻撃に転じる隙を与えてくれない。
「粘り強いですねえ、トビくん! でも攻撃しなければ状況は動きませんよ?」
「まさか。俺は逃げ回ってるだけでいいんだ。必死にならなきゃいけないのはアンタの方だろ」
「……チッ! 小僧め、よくわかってるじゃないか!」
苦虫を噛み潰したような顔をするイナバ。
リスクを犯せば、もっと積極的に勝ちにいくことはできる。けれどしなくたっていい。現状維持のままでも俺には十分なリターンがある。
とはいえ、俺だって勝ちを狙う気ゼロで逃げ回っているわけでもなく──
そのとき、イナバの体勢が崩れた。
「──ッ!?」
イナバが引っ掛けたのは足だ。
薬草園の脚を蹴って空中に飛び出したイナバは、その足先を何かに引っ掛けられて急停止する。
「なっ……これは、糸……ッ!?」
──足先を絡めとった糸。
さらにその足底に炎魔法を生み出す前に、背後から少女は組み付いた。
利き手の手首をナイフで裂き、しゅるしゅると回る糸が刀と鞘を一緒に縛り付ける。もはや抜刀も許されない。
……イナバは見誤った。
この戦場において、最も目を離しちゃいけないのは俺ではない、フルルだ。俺に意識を持っていかれた時点で、この結末はほとんど決まっていた。
そして空中で止まってしまえば──あとは落ちていくのみ。
「イナバさんですねえ。キルできるの光栄です。では落ちてください」
「さ、殺人姫! 妹だけでは飽き足らず、こんな美少女までクランに!? なんて羨ましいッ!」
最期まで何言ってんだ、こいつは。
背後からフルルに組み付かれたまま、イナバは落下した。
頭から石畳に激突し、追い打ちをかけるようにフルルのナイフが頚椎へと突き立てられたそのとき──遠くからシザーが叫ぶ。
「お兄ちゃん! 大丈夫です! 私、今日よりトビくんのクランで正式にお世話になることを決めましたので──もうご心配は要りませんッ!」
「なっ……」
その言葉に、イナバはぱくぱくと口を開閉させた。
「こ、小僧め……シザーにあんなキラキラした青春顔をさせるなど、一体どこまで攻略を進めて……!?」
攻略とか言うな。
アンタそうやってギャルゲーばっかりやってるからモテないんだぞ。顔は良いのに。
「ああ、なんて不純な! だけれどシザー、お前は本当に、本当に……! 太陽のような女の子だなァ〜……!」
……シスコンここに極まれり。
それ以上のコメントは控えておこう。いずれにしても、その言葉を最期にイナバのHPゲージはゼロとなった。
眩しそうに目を細めながら、イナバは青い粒子へと消えていく。「やりましたー!」と手を振るフルルを俺は見下ろした。
『シザー、あれ絶対無自覚だよね』
「だろうな」
悪意のない、あまりに真っ直ぐなトドメの一撃。
恐ろしい女だ、シザー・リー。
「フルル、ナイスキル。悪いなお兄さん、最初から俺はひとりで戦ってるつもりないんだ。タイマンはまた今度にしてくれ」
さあ、これで一番厄介なやつは片付いた。
とはいえ……まだ第三団長とやらが残っているし、プロクラスの腕利きプレイヤーがうじゃうじゃいる。
大変だぞ、これは──
と思ったそのとき、俺たちは信じられない光景を目にする。
「こ、今度はなんだ……!?」
「誰だ、この黒装束どもは! おい、やめ──ッ!?」
……突如として戦場に現れた、黒装束のキャラクターたち。十名そこらの集団だ。
月詠み巫女とはまた異なる様子の彼らは、なぜか俺たちを追うプレイヤーや騎士たちを攻撃しはじめた。
それも、強い。
その素早さとトリッキーな動きに翻弄され、騎士たちは見事に足を止めてしまっている。
『えっと、誰? メニーナの知り合い?』
『い、いえっ……わ、私にも何がなんだか……』
あれ、メニーナの関係者じゃないのか。
じゃあ……本当に誰だ?
*****
遡ること数分前──
場所は王都交易組合の集会所。
そこに集う数名の男たちが、長である侯爵家末席、ミラ・コルヴァラン氏にすがりつく。
「……ついさっき、アダンから文鳥が届きました。薬師商会は海賊を退治するどころか、一帯の夜まで晴らしてくれたそうです」
「なぁミラ様、なんとかならんか。このまま騎士団に商会が潰されちまったんじゃあ、あまりに無念だ」
ミラはゆったりとした動きで消えかけのランタンを手に取り、油漬けの芯を取り替えながら答える。
「……今から騎士団を抑えるのは、まぁ無理じゃろうな。私にその権限はない。侯爵家総出であれば可能かもしれんが、長ったらしい手続きがいる。二日はかかるかのう」
「ふ、二日って……ミラ様、じゃあどうすりゃあ……」
グレゴール薬師商会が騎士団に目をつけられている──それを交易組合に伝えにきたのは、薬草園近隣に住む平民の男だ。
本来であれば目線を合わせることも許されない侯爵家の人間を前に、じっと俯いて談義の動向を見守っている。
「そ、そもそもだ。ミラ様、なぜ騎士団は薬師商会を目の敵に? 功績は十分にあったんでしょう?」
「……そうじゃのう。あの騎士たちは、我ら以上に恨みが深い。それに恐怖も。常夜の到来したあの日、裏切り者の魔法使い共によって半数以上を喰い殺されておるのだから当然よ」
生まれた疑心暗鬼は、そう簡単には解消されない。
「まぁ、夜百合を接収したいという下心もあるじゃろうが。今の王国に、あれを安全に量産できる技術者はおらんからのう」
そう、ミラは語る。
ところで、この場には四種類の人間がいた。
ひとりは長であるミラ・コルヴァラン。次に交易組合の幹部たち。みっつめに報告にやってきた薬草園近くの平民。
そして、もうひとり。
「どう思われますかのう、ヴァローク元宮廷庭師長殿」
ミラの言葉に、客人である老女はゆっくりと顔を上げた。
「……いい子ですよ。トビさんも、ウーリさんも、メニーナさんも」
その老女は、ヴァロークという家名を持っている。
かつては宮廷に仕えたが、今は隠居の身。エンリースという街で、小さな花屋を営んでいる身分であった。
「夜の魔法使いになりなさいと、トビさんに進言したのは私なのです。よって責任は私にもあります。どうかよくしてやってください」
「ふうむ……」
ミラは初めて、難しい顔で唸る。
「あなたにそう言われてしまうと、何もしないわけにもいきませんなぁ。分かりました、私兵を出しましょう。商会の王都脱出を手引きするところまでです」
表立って騎士団に逆らうわけにはいきませんので──とミラが呟けば、その背後に人影が現れる。
暗殺者めいた風貌の黒装束が五名。
彼らは表向きに侯爵家の名を掲げているわけではない。ミラ個人が謀略のために飼い慣らしている、裏側の人間である。
「我々からは五名を」
「では、私からも同数を出させてください」
老女ヴァローク──
彼女の背後にも、気付けば黒装束が五名。
……このゲームにおいて、ときに「NPCが死んだらどうなるのか?」という疑問が浮上する。
一部の例外を除き、NPCは死んでしまえば蘇らない。
ではクエストやイベントの誘導役として、重要な役割を持つNPCが死んでしまったらどうするのか? たとえばこのヴァローク婆やミラ・コルヴァランのように。
──その答えが、この黒装束たちである。
多くの重要NPCは、たしかに死ねば蘇らない。そしてその役目は別NPCに引き継がれることになる。けれどそもそもの話──彼らはそう簡単には死なないようになっている。
ミラやヴァローク婆に仕える彼らは、いわゆる殺し屋集団。対魔物戦には参加せず、対人間・対プレイヤー戦に特化した能力データを有する特殊NPC群である。
様々な背景や設定付けによって、ヴァローク婆をはじめとした重要NPCの周囲にはきわめて強力なボディガードたちが張り付いているのが常である、ということだ。
「あなたたち、しばらくミラ様に従いなさい。どうかメニーナさんを守ってあげてね」
「御意に」
ヴァローク婆の声に、黒装束たちは跪いて答え、再び闇の中へと姿を眩ませる。
「それでは、今のうちに西門を開けさせましょうかのう。彼らの脱出が叶った暁には、以後商会に便宜を図るようにと、侯爵様にお伝えしておきます」
「どうもありがとう」
ミラとヴァロークは、互いに小さく頭を下げる。そして最後に、ミラは集会所の中を見回した。
「ああ、勿論……今の話は他言無用じゃよ。すぐに契約魔法を用意する。逃げれば首を落とす。余計な動きはしないようにのう」
柔らかな笑みを浮かべ、ゆったりとした口調で告げられるミラの言葉に、皆は引き攣った表情で頷く他なかった。