070 - 俺たちの動く城
突如として俺の前に現れた剣豪。
その人の名はイナバという。
プロチーム〈ヴォーパルバニー〉のオーナーであり、シザー・リーの実の兄。
特に後者については、シスコンという言葉はこの人のためにあるのではないかと思うほど、妹のことを溺愛している。
つまり──
シザーの活動休止のきっかけとなった俺は、あまり良く思われていないだろうということだ。
「それにしても、厄介なタイミングで来てくれますねお兄さん……!」
再び放たれる居合いを「キンッ!」と弾き、間合いを取りながら言う。
「偶然というわけでもありませんよ。そして私怨でもありません。俺は王国騎士団に協力する身分でしてね。騎士団と敵対した方には、セットで俺との戦いがついてきます」
「うわあ、最悪だ。ルール無用の斬り合いでアンタに勝てるやついないでしょ」
「どうでしょう。俺にも本業がありますから、こっちのログイン率はそんなに高くないですよ。それよりも──」
ぎり、とイナバは奥歯を噛み、気付けば間合いの中に入ってきていた。
あまりに自然な重心移動に、ブレのない体幹。ぐっと距離が詰められたことに遅れて気付く。
きらりと煌めいた抜刀に、直感だけで構えた殺人彗星が激突する。
「──この小僧、誰がお義兄さんだッ!? お前と再会してから妹の帰りが妙に遅いんだよ! 知らねえとは言わせねえぞ、このマセガキがァ!」
「おい、ばっちり私怨じゃねえか!」
幾度も剣と棍をぶつけ合う。
腕力ではこちらが上。押し込み、しかし隙を縫うように放った蹴りは読まれていたのか刀で容易にいなされた。
さらに放った結晶ナイフは、くるりと流れるような回し蹴りに落とされる。そして回転のままに放たれる──薙ぎ斬り。
「うわっ、それ居合いじゃないだろ……!」
切っ先が首に触れる直前に仰け反って躱し、刀身を弾きあげるように鞭打つ多節棍モードのカウンター。ようやく生まれた隙に、撃ち出した結晶ナイフがぶすりと突き刺さった。
……ここまで斬り合って、ようやくナイフ一本のダメージか。まったく割に合わないな。
「……ッ! なるほど、やりますねえトビくん。大した手札の多さだ」
「アンタも相変わらず実践的ですね。あと急にキレないでください、怖いから」
刀の技術だけで言えばシザーが上。
一方、イナバというプレイヤーの強さは、古武術だけに終わらない実践力だ。
刀だけでなく、拳、蹴り、ナイフ、銃。なんだって使うし、なんだって貪欲に取り込む。対応力、器用さ、視野の広さといったパラメーターがとにかく高い。
イナバはシザーよりも強い。
それが現時点での、俺の評価。
「お、お兄ちゃん! 邪魔をしないでください! 最近の帰りが遅いことは謝りますから……でも、トビくんは悪いことをしていないんです!」
相対する騎士ひとりを無力化し、こちらへ来ようとするシザー。それを見て、イナバは残念そうに目を伏せた。
「ああ、シザー……いいよ、俺はお前が選んだ道を否定するつもりはないんだ。かつてドラゴンフライに残ったことも、選手を辞めたこともね。ただし──」
イナバが息を継ぐと同時、戦場にいくらかの人影が乱入する。彼らは建物の屋根の上からぞろぞろと現れ、降り立ったと同時にシザーやフルルに襲いかかった。
「うわあっ! 誰ですか!?」
「か、カナエさん! 門下生まで来ているのですか……!?」
装備や容姿に統一感のない面々。どう見たってプレイヤーだ。
けれど中にはイナバと同じく刀を持つ者も数名──イナバのチームメイトに加えて、ついでに呼ばれた門下生たち。
「──シザー、つまらないことを言ってはいけないよ。俺たちが兄妹だとか、トビくんへの私怨だとか、そんなリアルの都合はどうでもいい。だってこれはゲームなのだから! 冷めること言わずに、互いのロールを全うしようじゃないか!」
こちら優位だった戦場は、やや騎士団側に傾いた。なにせヴォーパルバニーの関係者なんて例外なく腕利きだ。
ノームたちの土魔法が薬草園への侵入を阻みこそしているが、シザーとフルルだけで担うには前線の負担が大きすぎる。
『トビくん。まずいよこれ、そのうち人海戦術で突破される』
「わかってる、ありがとう。メンデル、隙を見てシザーとフルルの手助けも頼む」
ウーリの報告に応える。
メンデルを自律行動させ、隙があればツルでのアシストを任せながらも──俺はイナバとひたすらに斬り合う。こいつを野放しにするのが一番まずい。
だが──
『トビくん、後ろからひとり来てる!』
「…………ッ!」
──背後から迫るのは、雷を纏った刃。
ツルの収縮を利用して横に飛ぶも、脇腹を浅くえぐられる。
「チッ! 反応が早いな……!」
舌打ちをしながらも、しっかりと追撃を重ねてくる騎士団のボス。
そういえばこいつもまだ倒せていなかった──と展開した月人の処刑で刃をぶつけ合い、衝撃を利用して間合いを取る。
「第三団長。この子、本当に強いから覚悟してくださいね」
「分かっている! さっき散々してやられたからね!」
どうやら第三団長と呼ばれている。
この国の軍がどういう形になっているのか、よく知らないが──さて、二対一か。もはや手加減できる相手ではないが、どうするか。
そのとき、ずっと黙していたメニーナが口を開いた。
『トビくん。このクランの決定権は、私にあるんですよね?』
「え? あ、ああ。そうだけど……メニーナさん、どうするか決めたの?」
『はい。決めました。トビくん、海賊鍵はまだ持っていますか?』
通話越しに、普段より凛とした口調で聞くメニーナ。俺は彼女の問いに頷く。
『では宝島へ逃げましょう。私たちは新天地に向かいます』
「メニーナさん、でもそれって……」
もちろん、その選択肢は最初から考えてはいた。
王都に住まなくたってゲームはできる。特にNPC殺しを嫌がるメニーナにとっては大きな価値のあるルートだろう。
だが、ひとつ問題がある。
薬草園の存在だ。
王都を脱するということは、すなわちドレ=ヴァローク氏の形見である薬草園を捨てていかなければならない──はずだった。
『ええ。勿論、薬草園は捨てません』
メニーナはぴしゃりとそう言った。
俺がどういう意味かと尋ね返す前に、地鳴りが響く。
地面が鳴り、揺れる。
イナバや騎士団、それに俺も、一斉に地響きの発生源を見た。
「はっ? え? な、なんですかアレは……!?」
『え、えええっ!? と、トビくん! 薬草園が立ちました!』
目の前で動揺するイナバに、通話越しに興奮した様子のフルル。彼女の言葉通りだ。薬草園は立っていた。
地盤ごとくり抜くように持ち上がった、薬草園と小さな塔。土塊で出来た四つの脚がそれを空中で支えている。
脚を生やした薬草園は、そのままゆっくりと歩き出した。
「ま、マジで……?」
いいのか、こんなことできちゃって。
ずしん、ずしん──と大きな地響きが、戦場の空気を支配していく。
『……〈ウィンディーネの遣い〉が水を操るのを見て、思ったんです。ノームちゃんたちも、決まった形の土魔法を使っているんじゃなくて、土そのものを自由に操る力を持っているんじゃないかって』
メニーナは淡々と言う。
『だからお願いしました。私たちは薬草園と一緒に宝島を目指します。皆さんには援護を頼みます!』
「り、了解……!」
理解はまだ追いつかないが、状況は一転した。
未だ呆気にとられたイナバたちを置いて、俺はツルを使って跳躍。
「あっ! あの小僧……まさか逃げる気か!?」
当然だ。まともにやり合う理由がなくなったのだから、ここから俺たちは逃げに徹することができる。こうなると攻撃する側は相当にしんどい。
諸君らには、せいぜいしんどい思いをしてもらおう。
まずはフルルとシザーを回収する。
「あ! トビくん!」
「お迎えありがとうございます。兄がご迷惑をおかけして、本当に申し訳ありません」
「いいよ、気にしないで。向こうも正しくゲームを遊んでるだけだ」
とにかく、騎士やプレイヤーに四方を囲まれたここは、戦うにしても状況が良くない。
慌てて追ってくるやつらを置き去りにして、ふたりを抱えながら移動する薬草園の方へと跳び走る。
やがて、迎えのタクシーがやってきた。
こちらへと走ってくる、黒インクで描かれた細身の獣。チーターとか豹とか、そのネコ科っぽい雰囲気は見覚えがある。
封鎖型ボス〈砂駆るアスターク〉。
気付けば雨が止んでいた。つまりメヌエラとの選手交代──〈絵画魔法〉で同時に動かせるのは一体まで、ということなのかもしれない。
「なるほど、足にはちょうど良いですね。素晴らしい判断です、メニーナ」
「えっ。これメニーナさんがテイムしてるんですか?」
メニーナの新スキルについて知らないフルル。実はテイムじゃなくて魔法なんだ。あとで説明してやろう。
シザーとフルルが跨ると、魔獣は薬草園の周囲を走り出す。
本物には到底及ばないスピードだが、それでもプレイヤーの足で追いつくのは難しい。
さらに、魔獣は甲高い声で吠えると共に、小さな砂の竜巻を生み出した。
「な、なんだ──ッ!?」
「風──いや、土魔法か!? ぐうっ、吹き飛ばされる……ッ!」
小さな竜巻は、近寄った騎士たちを吸い込み、そして後方へと吹き飛ばす。足止めとしてはこれ以上なく有用だ。ボスギミックを知るプレイヤーたちは躱して近寄るが、厄介そうなやつからウーリが狙って射撃を撃ち込んでいく。
そうしている間にも、薬草園は巨人のような歩幅で西を目指していた。
形勢逆転。
きわめて有利な撤退戦だ。
このまま目指せ、新天地。