064 - 深淵の海賊船
ファストトラベルポイントまで一直線に走り抜け、やってきた海岸。トビくんと共に〈雨降らしのメヌエラ〉を倒しておいて本当によかった──とメニーナは思った。
休息エリアに待っていたのはクラン〈PEEK A BOO〉のふたり、ラグドールとオン・ルー。後者はすでにオオカミの姿へと変貌している。ちなみにメニーナは初対面である。
「さて、シザーちゃん。こんな時間におじさんたち呼び出して……何よ、何のつもり?」
「時間がないので単刀直入に。私とメニーナを〈白魚の海賊団〉ボスエリアまで運んでください」
「……うん、まぁ通話でも同じこと聞いたけども」
ラグドールは苦笑いで答える。
「いやあ、そうは言われてもねえ。ウチはたしかに稼いではいるけど、さすがに自家用の船までは──」
「違います。足はオン・ルーです。高位水魔法の水上歩行バフ、高位風魔法の速度強化バフ、そして高位水風混成魔法の水中呼吸バフ。いずれも会得していることは分かっています」
ぴしゃりと言い放ったシザーの指摘に、ラグドールは押し黙った。手持ちの魔法は完全に把握されている。
メニーナがあわあわと戸惑っているさなか、追い打ちのようにオン・ルーが呆れ声で言う。
「オーナー、ここまで来たんなら付き合いましょうよ。急いでる相手に変な交渉吹っ掛けようとするのマジ良くないっすよ」
「うぐっ……」
「どうぞお二人さん、乗ってください。トビさんのとこには迷惑かけたので、いい機会だ。どこへだって走りますとも」
若者の説教に打ちのめされたおじさんを置いて、くおんとあくびをしながら姿勢を低くしたオン・ルーに「ありがとうございます」とシザーは飛び乗った。「お邪魔します」とメニーナも続く。
「ほらオーナー。ぱぱっとかけちゃいましょう魔法」
「はあ、全く……分かった分かった。その代わり、終わったらボスの情報教えてね」
「そ、それはもちろん! ありかとうございます……!」
こくこくと無邪気に頷くメニーナに、ラグドールは毒気を抜かれた様子で杖を構えた。
「フロートウォーク、ハイエンチャント・ウィンド、バブルリング! はい、いっておいで!」
「恩に着ます」
「ありがとうございます!」
「ワオーンッ!」
きわめて贅沢なエンチャントの重ねがけ。
周囲に泡を漂わせるようなエフェクトを身に纏い、ふたりを乗せたオン・ルーは駆け出していく。
「泡が消えるまで呼吸持つけど、水入ったら意外とあっという間だからねーっ! 気をつけてーっ!」
「わ、わかりましたーっ!」
遠ざかっていくラグドールの声に何度も礼を言いながら、メニーナは前に乗るシザーにしがみついた。
風を切る勢いで疾走するオン・ルーはあっという間に浜辺を抜け、海面の上を「たんッ!」と駆ける。
やがて襲ってくる白魚や巨体タコたちも簡単に振り切り、あるいはシザーが辻斬りのように斬り殺して道を拓いていく。
「うわっ、た、タコ足……!?」
「失礼。苦手でしたか?」
根元から斬り裂かれたタコの腕がびちびちと跳ねながら隣をかすめ、メニーナが「ひい!」と声を上げる。
「い、いえ、びっくりしただけで……そ、それよりいいんでしょうか。さっきから経験値とかアイテムとか、私の方に流れてきて……」
「問題ありません。報酬の配分はAIが決めています」
きっと、ほとんどのドロップはシザーとオン・ルーに流れているはず。その上でメニーナの手元に多少の報酬が残るなら、それだけレベルの高いマップなのだろう──とシザーは思考した。
「メニーナ。引き続き、空の牽制をお願いできますか?」
「は、はい……!」
追いついてくるのは数羽のペリカン。
メニーナは案外に射撃センスがよく、つばさに水魔法を上手く当てることで、倒せはせずとも追跡を振り切る時間を作ってくれている。
いずれにしても、ふたりと一匹は瞬く間にボスエリアへと辿り着く。
そこで見つけたのは、ボスエリアの入口からやや逸れた場所にある、ごうごうと音を立てて回る小さな渦潮。
ボスエリアの向こうにいるであろうトビたちに連絡をつけたメニーナとシザーは──
「行きましょう!」
「はい。お供させて頂きます」
──何の躊躇もなく、渦の中へと飛び込んだ。
「……えっ? 俺は?」
あっという間に渦の中へと飛び込んでいったふたりと、その場に置き去りにされた一匹。巨大オオカミは状況を飲み込めないまま首を傾げ──
「ま、まずい! バフが切れる前に戻らないと!」
──ひとつ「ワオーンッ!」と悲しみの雄叫びを上げ、水上歩行のバフが切れる前にと大急ぎで駆けていった。
*****
「火を灯せ、ドレ=ヴァローク」
着水の直前、そう唱えておいたのが功を奏した。
魔力強化したツルで自分とウーリの身体を守り、渦潮の勢いに呑まれる。
目なんてまともには開けてはいられない。
それでも夜の炎のうっすらとした青灯りは、ランタンの空気口を塞いだとて灯り続ける。きっと暗い水の中でも役に立つだろう。
水の流れに乗り、ぐるぐるとしばらく身体を揺さぶられていれば──俺たちはやがて、海底らしき場所へと到達した。
地に足がつく。
水の中で砂を蹴る感触。
うっすらと目を開ければ、そこは薄明かりに照らされた海底。背後を振り返れば、巨大な海賊船がそこに沈んでいた。
「…………!」
4隻目の海賊船。メニーナの調査は大当たりだ。
遅れて目を開けたウーリもまた、興奮したように俺の手をぎゅうと握った。
船は真ん中のところでばきりと大きくひしゃげ、ひび割れ、そこから中の財宝がごろごろと転がり落ちていてしまっている。金貨、宝石、アクセサリー、それに腐りかけた絵画なんてものまで──
──と、その瞬間。水の流れが動いた。
まずウーリが反応して、俺も同じく見上げる。
上からごろごろと転がって落ちてくるのは見知った姿。メニーナ、そしてシザーのふたりだ。
水中に降ってきたメニーナは、俺たちと財宝を交互に見回して……口は動いているものの、ゴボゴボと何を言っているのかはよく分からない。
ウィンドウから「ぴこん!」とチャットの着信音。
『シザーとオーバーキルも入れたチャット作ったよ。思考か目線で入力できる』
ウーリ、お前がいて本当に良かった。
『ありがとうございます! トビくんも絵画見つけてくれて! 多分これです!』
こっちはメニーナ。待て、何の話だ。
メニーナからの報告、戦闘中だったからざっくり要点しか確認していないのだ。やたら長文だったし……でも「絵画」とか、たしかそんなワードはあった気もする。
……というか、オーバーキルはどこいった?
あと俺たちは息継ぎをどうすれば良い? メニーナとシザーの身体の周りには、妙に大きな泡がいくつも回っているように見えるけど……それはなんだ?
聞きたいことは色々あるが──
何から聞こうかと思っていた矢先、メニーナとシザーからさらにチャットが打ち込まれる。
『詳しい事情はあとで。メニーナにはやらなければならないことがあるようです』
『はい、私はこれから絵のお手入れをします。少し時間をください!』
……なんだって?
そう打ち込みながら、メニーナはこぼれた財宝の山、腐りかけた絵画へと泳いで寄った。
『トビくん、息は続きますか?』
一方シザーはこちらにやってきて、チャット越しに言う。
『いや、かなりまずい。ウーリも。ふたりは平気そう?』
『はい。ラグドールに水中呼吸の魔法をかけてもらいました。これもそう長くは持ちませんが……』
ラグドール?
なるほど、ふたりがどうやってここまで来たのか疑問だったが……彼らを頼ったのか。
『トビくん。ツルを利用して、私の血液をトビくんとウーリに行き渡らせるという方法はどうですか?』
『はい?』
シザーはとんでもないことを言い出した。
『要するに、血中酸素が足りないということでしょう。呼吸のできる私の血液を全員に巡らせれば、多少は時間を稼げるのでは』
『いや、できるかもしれないけど……そこからどうする』
『分かりません。ですがメニーナには考えがあるようです。信じてみてはいかがでしょう』
そう言って、じっとこちらを見るシザー。
どうやらふたりは十分に仲良くなったようだ。
この短時間でシザーにそこまで言わせるなら……今回もメニーナは大活躍だったのだろう。十分に信用に値する。
だがそのとき──
『とびさん、うりさん、やばいす! たすけ』
──突然、そんな不恰好なチャットが飛んできた。
入力も変換もまともに出来ていない、焦った様子のオーバーキルからの連絡。
ウーリがばっと後ろを振り向き、俺もそれに倣う。暗い海の向こうから、バタバタともがいてやってくるのはオーバーキルと──彼を追う数体の白魚だ。それも武器を持った海賊個体。
『落下地点がズレてたのか。アイツもツルで捕まえとくんだったね……まぁいいや。トビくん、助けてあげて』
『ああ』
下手な泳ぎで必死にもがくオーバーキルを、伸ばしたツルで絡め取り──思いっきり引き寄せる。
追跡をやめず、こちらへと迫る白魚たち。
背後からはシザーが俺の首に腕を回し、ぎゅうと抱きついた。
『どうぞお使いください。この水の中では、私の居合いも役に立ちませんから』
『いいんだな? 意外と苦しいぞ』
『はい、覚悟の上です』
一人分の呼吸を三人に分配──せいぜい延命処置になるだけ。また感覚遮断によって規定値以上の苦しさはないが、それでも若干の不快感はある。
けれど、本人がいいと言うならお言葉に甘えよう。
シザーに、そしてウーリの方にもツルを伸ばし、その体内に「ぷちんっ」と導管を侵入させる。
──頼む、メンデル。任せた。
医療系は専門外。
これまで何度も生物の身体に侵入してきたメンデルの方が、血管の位置には詳しいだろうから……俺は制御をメンデルに託した。
背中にしがみつくシザーの身体が「びくんっ」と跳ね、ぎゅうと腕の力が強まる。その喉の奥で、嬌声を飲み込んだような音が漏れて響く。
そして、遅れて全身に力が戻ってくる感覚。
俺自身は呼吸していないのに、筋肉に酸素が回りはじめる。
『よし、私もイけそう』
『水中で弓って使えるのか?』
『無理! だから肉弾戦で』
『了解』
すでにウーリは片手に短剣を装備していた。相変わらず準備が良い。
背後にオーバーキルを放り投げ──俺たちは三人で絡み合ったまま白魚たちに突撃する。
近いやつを片っ端から月人の処刑で切り裂き、さらにメンデルで内部侵入。捕食攻撃を合わせてとにかく火力を押し付ける。
防御はウーリとシザーが担当。
敵の三叉槍やシミターをナイフで、あるいは刀で弾いて守り、生まれた隙を俺が追撃する。
攻撃と防御の完全分業だ。
なりふり構わず突撃する際は、こういうやり方も良い。
調子よく白魚たちを処理している間にも、後方にぶん投げたオーバーキルからメッセージ。
『トビさん、やばいってそいつらじゃないです! 奥です!』
『奥?』
『でかいのきてます!』
たどたどしいチャット。パニックだなぁ。
だが言いたいことは伝わった。奥をじっと見つめていれば、それはぬらりと──暗闇の向こうから砂を歩いてやってくる。
『封鎖型ボス〈大海賊クックノール〉が確認されました』
それはこれまでの白魚と同じ、のっぺりとした白い肌に筋肥大した四肢。
しかし異なるのは、他個体よりもひと回り大きな巨躯、背中から生えた無数の吸盤付き触手、ブクブクと膨れて目も口も見えなくなった頭部。
そして、その片腕に融合した黒い両手剣。
『夜属性の魔剣だ』
『見えんの?』
ウーリの疑問に頷く。
どうやら魔法系スキルは、熟練度や属性に応じて魔力への感受性が変わってくるらしい。だから俺の場合は、夜属性が特によく見える。
なるほど、魔力が見えるというのはこういうことか。大剣からゆらゆらと立ちのぼる黒い魔力は、たしかに禍々しい。
優れた魔法使いであればもっと鮮明に、そして自分の属性以外の魔力も視認できるのだろう。
そして直後──「だんッ!」と砂を蹴って加速した隠しボス、クックノールの剣撃を、シザーの刀が打ち払った。
『来ますよ。速い上に重いです』
『了解。最近、そんなボスとばっかり戦ってる気がするよ』
まぁ、少なくとも──
月詠み巫女よりは手強い相手になるだろうな。
*****
一方、メニーナ。
トビの方で何かが起こっているのは分かっていたが、目を向けることはしない。彼女は目の前の作業に集中した。
絵画の心を慰める。
その具体的なやり方は知らない。
最善は絵画を持ち帰ることだったが……どうやらこの絵画はすでにマップの一部となっているようで、持ち上げたりインベントリに回収したりといったことはできなかった。
ならば、描き足す。
それ以外の方法は思い浮かばない。
布の上に絵の具を塗り重ねて描かれたその絵画は、長らく水に晒されて色が剥がれ、布も腐りかけ。
まずメニーナは布のやぶれた部分を〈エルダー・スパイダー〉の粘着糸で補修し、そしてさっき倒したばかりの巨大タコの "墨" を取り出した。
色を塗り分けている時間はない。
単色で、表現の幅を出せて、かつ勉強したことのある分野──水墨画で行こう。そう決めた。
──全然違う絵になっちゃうかも。
──ごめんなさい。
心の中でそう告げて、メニーナはさらに水魔法を展開する。
ウォーターアロー。本来は水の矢を放つ魔法だが、射出しなければ矢型の水を手元にとどめておける。
メニーナは、矢の中に墨をすべて溶かした。
海中に溶けていかず、魔法矢の形にとどまる墨液。それを筆代わりにして布をなぞれば──黒い軌跡がそこに残る。
さあ、これで絵を描ける。
……このとき、まだ誰も気付いていない。
トビ、ウーリ、シザー、あるいはメニーナ本人でさえ、その行動の意味と結果を予想だにしていない。
多くの情報と背景設定、自律AIを内包し人工精霊としての性質を有する絵画に、メニーナの強い意志と意味のある行動、魔法干渉。条件は十分以上に揃っていた。
それはトビとメンデルの "共生" にも類似した──イレギュラーデータの芽生えである。