063 - 飛び込め、渦潮の先へ
人を海へと返す、夜の呪剣。
商家夫人の言葉に、メニーナとシザーは顔を見合わせた。白魚へと変貌してしまった海賊団、そのフレーバーがまさに呪いの内容と一致するからだ。
「そ、それはつまり……人が魚になってしまう、ということでしょうか……?」
「詳しいことは分かりません。そうかもしれない、としか私の口からは」
なにせ古い話で、それに他にも、いくつもの呪物を送り出したようですから──と言って、夫人は続ける。
「刀剣、首飾り、指輪、鏡、絵画。それはもう様々なものを……」
「か、絵画……ですか?」
メニーナは顔を上げ、そういえば……と鼻を鳴らす。
たしかに馴染みのある匂いだ。メニーナには分かって、シザーには分からなかった。
「メニーナ、どうしました?」
「いえ、たしかに……画材の匂いが」
メニーナの言葉に、夫人は「あら」と手で口を抑える。
「お分かりになりますか?」
「は、はい。私も未熟ながら嗜んでおりまして……今も絵画を扱っているんですね……?」
「ええ。もちろん呪物としてではありません。かねてより絵描きとの繋がりが強く、取り引きの多い商家なのです。私も家業を継ぐ際、そういった魔法を受け継いでおります」
……そういった魔法?
メニーナは首を傾げ、どういうものなのかと尋ねた。
「絵画に命を吹き込む魔法です。筆遣いに色遣い……そうした丁寧な職人仕草には命が宿ります。魔力を宿し、使命を与えるのです」
「使命、というのは……?」
「魔法使いの腕次第ですが、簡単な命令ならばこなします。我が商家では、代々そうした "強力な絵画" を積荷に紛れさせ、守護を命じます」
「な、なるほど……」
人工の精霊のようなものだろうか、などと解釈しながらもメニーナは思考を巡らせる。
そもそも疑問だったのは、どうして海賊船がひとつ沈んだのか。
商船から積荷を奪った海賊たちは、おそらく呪剣とやらに呪われ、白魚となった。だがそれだけでは船が沈む理由にはならない。他にも要因があったはずだ。
その要因が、魔法で描かれたという絵画?
積荷が移されたあと、主から守護を命じられていた絵画は海賊たちと戦い、その余波か何かで船が沈んだ。ただの憶測だが、ひとまず矛盾はない。
「"強力な絵画" というのは……?」
「代々、家の当主が筆を重ね、塗り足してきた古いものです」
「だ、大事なものじゃないですか! それも海賊に取られちゃったんですか……?」
「ええ。残念ながら」
夫人は目を伏せて続ける。
「心残りは絵画を失ったことではありません。絵には魂が宿り、手入れを怠れば彼らは悲しみます。この二十年の間、彼の心を慰めてやれていないことが残念でなりません」
……シザーは不思議な気持ちだった。
ひとつはNPCの様子。まるでAIだとは思えない、人間そのものといった感情の発露だ。
そしてもうひとつは、メニーナだ。
驚くほどの調査速度で、あっという間にクエストの核心に迫りつつある。
そんなメニーナご本人は──そのとき、がたんっ! とソファから立ち上がった。シザーと夫人は揃って肩を震わせる。
「め、メニーナ? どうしました?」
「あの、その絵画……わ、私が確認してきます!」
……何を言っているのだ、この人は。
シザーはぽかんとした顔で立ち上がったメニーナを見上げ、そしてそれは夫人も同じである。
「は、はい? ええと、それは一体どういう──」
「海の底の絵画、見つけてきます。持ち帰れる状態かは分からないけど……それでも確認してきます。ずっと心残りなのは、よくないので……!」
そう言い放つと、メニーナはシザーの腕を掴んで引き摺り上げる。
「め、メニーナ!?」
「行きましょうシザーさん、トビくんのボス戦がもうすぐ始まる頃です。追いつかないと! それでは、また後日ご報告に参ります! ありがとうございました!」
「は、はあ……」
夫人を置いてけぼりにしたまま、メニーナとシザーは部屋を出た。廊下を小走りに、狼狽する使用人たちに見送られ、あっという間に玄関を出れば王都の大通りだ。
「メニーナ、本気ですか……?」
「はい。海の底に船が沈んでいて……おそらく、そこに例の絵画とボスがいます。あ、トビくんたちにも連絡しないと……」
そう言って走りながらウィンドウをいじるメニーナを追いかけながら、シザーはある単語に引っかかった。今「ボス」と言ったか?
「メニーナ、ボスは3隻の海賊船という話では?」
「いいえ。白魚たちは無限に湧くんです。海の底から湧いて出るんです。そして "海返りの呪剣" もまた海底に沈んでいます。つまり白魚たちの発生源は海底にあり──それは沈没した4隻目の海賊船です」
……発生源。
ボスである〈白魚の海賊団〉のさらに親玉が、海の底に潜んでいると仮定するなら。それはつまり──
「──まさか、隠しボス?」
〈炭守りドレ=ヴァローク〉というたったひとつの前例が、その存在を裏付けている。
「と、とりあえずクランチャットに連絡しました。ええと……どうしましょうシザーさん。どうやって海賊船の場所までいけばいいですかね!?」
「そこは考えてなかったんですね……」
思慮深さと無鉄砲さのバランスが未だよく分からない。シザーにとって、メニーナはそんな認識になりつつある。
「いえ、分かりました。伝手はあります。何とかしてくれそうな方々をお呼びしましょう」
「ほ、本当ですか! シザーさんすごい!」
……うん、悪くない。
シザーは満更でもなかった。
走りながらウィンドウを開き、登録済みのフレンドコードから直接通話をかける。
「もしもし、ラグドール。あなた、水魔法と風魔法はどちらも熟練度トップですね? オン・ルーも連れて今すぐ海岸に来てください。でなければ先の神殿での一件、お兄ちゃんにあることないこと言いつけますよ」
*****
ボス戦は第三形態へ。
倒れた船長たちの身体が青い粒子へと変わる。いつもであれば空へと消えていくそれが、今回ばかりは挙動が違った。
船長たちの粒子が羽虫のごとく群れ、融合し、そして再び物質化──巨大な一体の白魚となり、船上へと這い上がる。
揺れの激しくなった船上にて、海中から上半身を出したボスとの戦いは、すでに5分が経過していた。
「いやァ、回復ヤバいッすねえ!」
「こっちが3人しかいないってのもあるけど、リジェネのせいで全然削れないね〜……」
全身に纏う海水のヴェール──
第二形態の船長が使っていたリジェネ魔法の強化版だろう。ちょっと手を休めた途端、みるみる傷が塞がっていく。おかげでとにかくタフなボスだ。
薙ぎ払われる片腕を、ウーリを抱いて上方向に躱し、その間も休みなく撃ち込む射撃と結晶ナイフ。
さらに海水ヴェールから分離した水が球状に浮き上がり、追尾弾となって迫り来る。こっちは多節棍モードの殺人彗星をぶんぶんと振り回して撃ち払った。
「揺れるよ、気をつけて」
「了解」
少しすれば海中に潜り、そしてすぐに別方向の海面から顔を出す白魚。
移動だけで渦が生まれ、船が大きく揺れる。この揺れだけでもバランスを崩されかねない。
直後に放たれる水魔法の放射を躱し、ぽっかりと空いた口内にクレセントエッジを撃ち込めば、体表よりは効いた様子だ。
そんなジリジリとした戦いを繰り広げるさなか──ふと「あっ!」と声を上げたのはウーリだった。
「どうした」
「なんかメニーナからメッセージ来てた。ボス戦直前だったから気付かなかったな」
「内容は?」
器用にも両手で矢を放ちながら、目線だけでウィンドウを操作するウーリ。じいと文字を追い、そしてぱっと見開く。
「か、海底に隠しボス? もうひとつの海賊船? な、なんだこれーっ!」
気になる単語ばかりだ。
俺も片目でクランチャットに送られていた内容を確認すれば……うん、なんだこれ? ウーリと全く同じセリフが口に出た。
4隻目の海賊船、海返りの呪剣。
隠しボスが海底にいるかもしれない、というメニーナの調査報告だ。とはいえ……
「海底って言っても、ここ相当深いだろ。底に辿りつく頃には息も切れてるんじゃ……」
「そうだね。雑に飛び込めば辿り着くってわけでもないと思うし」
腕の薙ぎ払いで海に落とされ、溺れ死んだというプレイヤーの報告もあったはず。闇雲に潜るのではなく、何かタイミングやサインはあるはずだ。
そのとき、ふと──つい先程の光景を俺は思い出した。
「……渦か?」
巨大白魚が移動した直後、その跡には渦が残る。
大きく、深く、海の底へと続いていく螺旋状の渦だ。
その勢いに乗れば、一気に海底へと辿り着くことは……できるような気もするし、できないような気もする。
「うわあ、ありそう……採取ポイントの真裏に隠しルート作るようなゲームだもんね」
「どうする?」
「どうしよっかぁ」
攻撃を躱しながら、ふたりで悩む。
タイミングを狙って飛び降りることは容易だ。必要なのは勇気である。間違ってたらほぼ死に戻り確定だし、合っていたところでボスを倒しきれる自信もない──というか、普通に考えれば息が続かずに死ぬに決まってる。
だがそんな俺たちの背中を押すように、今度はメッセージではなく通話がかかってきた。
ウーリと目線を交わし、俺が出る。
「はいはい、メニーナさん? ええと、メッセージで送ってくれた件なんだけど──」
『はい! 私たち、今ボスエリアの手前です! と、帳近くの渦潮に飛び込めばいいんですかね……!?』
……なんだって?
早すぎるだろ。そもそもどうやって来たんだ。ツッコミたいところが色々あるけど、いや、それ以上に──
「め、メニーナさん? そっちに渦潮が出来てるの?」
『は、はい! できてます! あ、でも今消えちゃいました……!』
渦潮なんて、俺たちが突入したときには見当たらなかった。さらに背後を振り返れば、こちらでも、さっき発生した渦がちょうど消えかけているところ。
……巨大白魚の動きによって発生した渦が、ボスエリアの外にもリンクして発生している?
もしそうなら、あの渦はただの演出ではない。
何らかのギミックである可能性が高くなる。
「……分かった、メニーナさん。次に渦が出来たら飛び込もう」
『わ、わかりました……!』
俺はそう告げて通話を切った。
「……トビくん。私たち、息持つかな?」
「持たないと思う。お助けギミックを期待するしかないな」
ウーリの呆れ顔に答えつつ、メンデルにも負荷をかけて申し訳ないとツルの左腕をひと撫で。気にするなとばかりに塩まみれの葉がざわめく。
そしてもうひとり。
「バーキル先輩、アンタ泳げるっけ」
「全然泳げないッす! でもどッか行くなら着いていきますよお! ご迷惑おかけしたんで!」
ああ、そう。
まぁひとり残したところで巨大白魚は倒しきれないだろうし、ここは付き合ってもらいましょうか。
そして数十秒後、巨大白魚が海へと潜り、渦が発生したそのときを狙って──
「よし、いくぞ」
「せーのっ!」
「う、うおおおお……ッ!」
──俺たちは、渦の中に身を投げた。