006 - 一目惚れ
「ねえ、トビくんはなんで〈園芸〉と〈庭師〉にしたの?」
これは、例のイベントの翌日──
つまり正式版リリース初日の深夜。
いつもに増して大盛況だったというライブ配信を終えた日ノ宮ウリは、深夜その足で俺の家にやってきた。
図々しくも家主のベッドを独占し、ゴロゴロと寝転がりながら聞く。
「生産系のスキルなんて他にも色々あるでしょ。武器作ったり、薬作ったりさ。なんでわざわざ庭で植物を育てようって思った?」
俺は考える。
考えて、漠然としたままの思考を捻り出す。
「スローライフ……っぽいだろ」
「なにそれ」
「分かんねえよ。今までこんなふうにゲームしようと思ったことないし」
枕に埋められた顔から、大きな片目がこっそり覗く。
ウリは続きを促すように、ぱちりとひとつ瞬きをした。
「ゲームに熱中してきた人生だったからな。特に好きでもないゲームでも勝ちたいし、向き合えば本気になっちゃう。お前もだろ」
「そうだね」
「でも、そうじゃなくても楽しいかもなって思ったんだよ。勝つためになんでもやるって世界から、せっかくイチ抜けしてさぁ。だったら……そうじゃない楽しみ方もしてみたいって、思ったんだよ」
少し、沈黙。
ウリもまた、考えてから口を開いた。
「その結果がガーデニングなの? なんか変じゃない?」
「うるせえなぁ。いいだろ、大学で仲良くなった子がそういうゲームやってたの! お庭作ってお花育てて図鑑埋めんだよ! ちょっと楽しそうだろうが!」
「トビくん、それは30年くらい前からずっとある類いのスキマ時間ゲームだね……」
呆れたように目を細めるウリ。
でも、とウリは続けた。
「そっか、トビくんはまだ分かんないんだね。分かんなくて、楽しみ方を探してる途中なんだ」
まぁ、そういう言い方もできる……のだろうか。
「だったら、買ってあげてよかった」
にんまりと牙を見せて笑う日ノ宮ウリという友人を見て、俺は──
なんだこいつ、母親面してんじゃねえよ──と思ったことを覚えている。
*****
「ご、ごめんなさい! こっちに危ない鳥の群れが来ていませんか! ご、ご迷惑、かけていませんか……!」
草むらから飛び出してきた女の子。
あまりにも敵意の感じられないその様子に、俺とウーリは顔を見合わせる。
目元の半分以上を隠してしまう長くて重たい前髪に、後ろから首元へと下げた同じく重たそうな金色の三つ編み。
それだけ見れば、ゆるっと、ふわっと……というような印象の女性だ。
だが、凶悪なのはその体躯。
デカい。縦にも横にも。
俺も170cm弱とそう背が高いわけではないが、それにしたって見上げる高さ。
そして何とは言わないが、前に突き出た凶悪な膨らみ。
「どう思う、ウーリ」
「デカいね。私はめちゃめちゃ性癖かな」
「俺もなんか……新しい扉が開きそうな気分。でも見すぎだ」
恥じることなく真正面のそれを凝視し続けるウーリ。
その首筋にチョップを入れつつ、俺とウーリの顔色を交互に伺う三つ編みの彼女に、俺が応える。
「ええと、キツツキの群れならたしかに来たけど……もしかしてあれ、アンタが?」
「そ、そうなんです……やっぱりご迷惑おかけしたみたいで……」
「いや、大丈夫っすよ。故意じゃないのも見れば分かる」
ぺこぺこと頭を下げ続ける彼女。
むしろこっちが追い詰めているような、申し訳ない気持ちにさえなってくる。
いいよいいよと手を振ればようやく彼女は顔を上げたが、その肩は疲れきってうなだれていた。
「それよりさぁ、どうやってやったの? マッドペッカーが群れを作るなんて聞いたことないんだけど」
ぴょいと口を挟むウーリに、背の高い肩がびくりと跳ねる。
「え、えっと……わかりません、私はお使いを頼まれただけで……」
「お使い? クエストのこと? ああ、私はウーリ。君は?」
「あ、メ、メニーナです……お使いっていうのは、ええと……」
やめなさい、質問攻めは。
三つ編みの彼女、メニーナは押されっぱなしだ。
じっと見つめるウーリの視線にたじたじになりながら、少しずつ話し始める。
「その、クエスト……? ってやつだと思います。お花屋さんのお婆さんに頼まれて、お花を運ぶようにって……すみません、ゲームってあんまりやったことがなくて……」
クエスト──
つまり、いわゆる頼みごとやミッション的なイベント。
NPCから受けた依頼をこなし、報酬を受け取ることができる。
「お花を運ぶって、どこに? なんで?」
「こいつのことは気にしないで、ゆっくりでいいんで」
「は、はい……ええと、お供えです。山の麓にある洞穴の中の祠に、お花を供えてきてほしいと。なぜかは、分かりません。そういうものだそうです」
そういうもの、か。
ウーリと再び顔を見合わせる。
「山の麓ってなると、もうひとつ先のマップだね。洞穴っていうのはトンネルのことかな」
「ああ、例の王都に向かうルート?」
「うん。山を登るかトンネルを通るかの2ルートあるんだけどね。どっちも3日前に攻略が終わってる」
ただ、とウーリは続ける。
「メニーナ、それとマッドペッカーが群れてたのには何の関係があるの?」
「ああ、えっと、それにはまず……お花を見てもらってもいいですか……?」
そう言ってメニーナが手に取ったのは、背中に背負ったリュックサックだった。
思えば不思議だ。
この〈 DAYBREAK. Magic of the Deep Night 〉には他のゲームと同様、インベントリという概念がある。要するに手に入れたアイテムを物質化せずに収納しておけるシステムだ。
だが、メニーナのバッグはずっしりと重たげ。
つまり物質化したままの何かが入っている。
そして彼女がバッグから取り出したのは──植木鉢だった。一輪の花が植えてある。
「おお、本当に花だ」
「なんでリュックサック? もしかしてインベントリに収納できないとか?」
「う、ウーリさん、よく分かりますね! 実はそうなんです!」
その花は、灰色に近い薄緑色の茎と葉、黒い花弁。
そして全体に黄金色の脈が走り、かすかに発光しているようにも見える──どこか異質な様相の花だ。
それにシチュエーションも、どこか変に思えた。
お供えの花と言えば、普通は切り花や花束を思い浮かべるが──この花は生きている。
そんな俺の思考を置いて、女の子ふたりは話を進めていた。
「ウーリさんのおっしゃる通り、このお花はインベントリに隠せないんです。それにこのお花を外に出していると、敵を呼び寄せてしまうみたいで……」
「それでマッドペッカーが群れてたんだ。でもあいつら、メニーナじゃなくて私たちの方に向かってきたよ?」
「あれは魔物払いのお香です。お使いを引き受けたとき、お婆さんがお守りだって言って持たせてくれました。さっきので、もらった3つ……ぜ、全部使い切っちゃいましたけど……」
苦笑いしながら、ポケットを漁るメニーナ。
手のひらの中には、燃え尽きて使い物にならなくなったお香が3つ。
なるほど、魔物払い──
つまりモンスターを追い払うためのアイテムか。
メニーナの持つ花に集まったマッドペッカーたちは、これで追いやられて俺たちの方に逃げてきたわけだ。
「まぁ俺たちは無事だったしいいけどさ……メニーナさんはどうするの? 目的地がトンネルの奥っていうなら、先は長いよな、ウーリ」
「うん。このマップを抜けるにもまだかかるし、ボスも超えないといけない。メニーナ、戦闘は?」
「た、戦うの、あまり得意ではなくて……ど、どうするって……どうしましょう……」
しゅんと俯くメニーナの腕の中で、黒い花はゆらゆらと揺れる。
「このお使い、もう3度目なんです。2回は敵に襲われて、お花をダメにしてしまって……今回もさっそくお香を使い切っちゃったし……」
「仕方ないよ、明らかに難易度が合ってない。あんな数のモンスターに襲われたら、今の最前線の人たちでも苦戦するよ」
ウーリがメニーナの側に寄る。
ぎゅっと裾を掴み、俯いた顔を覗く。
ウーリは普段からずけずけと物を言うし、距離感のバグった自由人ではあるが……必要なタイミングでは、意外と気を遣えるやつだ。
「メニーナが受けたっていうクエスト、報酬はどのくらいなの? おいしくないクエストなら焦ってやらなくてもいいと思うんだ」
「ほ、報酬は……ありません」
「えっ? ないの!?」
ウーリがこっちを見る。
なんだそのしかめっ面は。頭上にハテナマークが浮かんで見える。
「え〜っと……どういうこと?」
「ど、どうって言われても……大したお礼はできないってお婆さんが……」
「ごめんなメニーナさん。こいつ効率厨だから、報酬のないクエストを受けるメニーナさんのことが理解できないんだ」
たしかに気は遣える。TPOも弁えている。
だが効率度外視なエンジョイ勢の気持ちは理解できない。
そんな哀れな対人ガチ勢を、どうか許してやってほしい。
まぁ、とはいえ……
「俺も急ぐ必要はないと思うな。クエストもNPCも逃げないし、難易度的にも今の時点でのクリアは想定してないんじゃないかなって」
俺も、概ねウーリと同意見。
このマップは序盤も序盤だが、それでも相当に苦戦させられた。
次のマップで、さらに今以上のモンスターが群がってくると言うなら……ウーリの言った通り、その難易度は最前線のプレイヤーでも苦戦するレベルになるだろう。
ただ、メニーナは──
「いえ、それじゃダメなんです」
──首を横に振った。
「花をダメにして帰るたび、お婆さんが悲しそうにします。でも先延ばしにもしたくないんです。会いに行くと、いつも山の方をじっと見つめていて……それが不安そうで。早く安心させてあげたいって……」
「ええと……ねえメニーナ、そのお婆さんはNPCだよ?」
「分かってます、ゲームの中のプログラムですよね」
顔を上げたメニーナの視線は、気弱ながら真っ直ぐだ。
ウーリと俺を交互に見る。
「でも……安心させてあげたいって私が思ったんです。他のプレイヤーさんに頼ろうとしても、報酬なしでは誰も受けてくれないみたいで……だから私だけです。私、もうちょっと頑張ります」
静かな言葉だったが、芯があった。
辺りがしんと静まり返り、キツツキの鳴き声だけが遠くから聞こえる。
しばらくの沈黙に、メニーナは焦ったように次の言葉を紡ぐ。
植木鉢をリュックサックにしまい、顔を赤くして俺たちに背を向ける。
「と、とりあえず今日は帰りますけど! まずはこのお花を無事に持ち帰らないと、またお婆さんを悲しませちゃうので……な、なんとか敵から隠れて進む方法を考えてみます! き、今日はご迷惑おかけしちゃって、すみませ──」
──咄嗟に、肩を掴んだ。
「ひゃんっ!?」
俺とウーリ、ほぼ同時だ。
まぁ、考えていることは同じだろう。
両肩に触れた俺たちの手に、メニーナの身体はびくりと跳ねる。
「あの、な、なんですか……?」
「メニーナ、その依頼さぁ」
「俺たちにも手伝わせてくださいよ」
俺たちの言葉に、前髪に隠れたメニーナの瞳はぱちくりと瞬く。
彼女が何に戸惑っているかは分かる。
でも、答えも俺たちも単純だ。
──俺もウーリも、ゲームにガチになるヤツらが大好きだ。
ガチになる、それは「勝ちたい」という欲だけじゃない。
ただのプログラムでしかないNPC相手に感情を見出し、それが偽物だと分かっていても本気で彼らを助けようとする──そのガチさ、ゲームへの真摯さ。
つまり、この瞬間……
俺とウーリは、メニーナという女の子の心意気に一目惚れしてしまったのだ。
*****
第1章 - Crossing in the Night
プレイ時間:2時間35分
栄養状態:回復傾向
同行者:ウーリ/メニーナ/プレデター・グリーン