057 - 温度差で風邪を引く、グッピーも死ぬ
翌日、俺は装備を受け取るためにビルマーの元へとやってきた。
場所は始まりの街……ではなく王都。彼も今や棲家を移し、王都中央のクランハウスに拠点を構えている。
「あっ、トビさんだ」
「おーいビルマー! トビさん来たぞ!」
「魔王様?」
「おお、本物だ! 本物の魔王様いる!」
……まぁこの通り、ビルマーの家は大所帯だ。
元々ビルマーは企業所属のプレイヤー。だから同じ企業の同僚たちと、こうしてクランを立ち上げている。様々な分野の生産職が集う職人クラン〈エンタープライズ:ベルベット&メタリカ〉は、今日も賑やかである。
「ああ、トビさん。いやあ、今日からよろしくお願い致します。預かっていた装備、ばっちり更新終わりましたので」
「どうもありがとう」
煤まみれの顔で現れたビルマーと、さっそくウィンドウからアイテムの受け渡しを行う。
昨日預けたばかりのヘイロウ、夜接がれの黒装束、月人の処刑、そしてドレ=ヴァロークの灯火……いずれもムーンビーストや月詠みの素材で強化されて帰ってくる。
「ランタンは点灯時間が60秒延長。月人の処刑は斬れ味を伸ばしました。このあたりは基本の強化ですね」
「十分ありがたいですよ」
どちらもきわめて有用だ。
夜魔法を手に入れてランタンはもう不要かと思いきや、MPの節約やエンチャントが切れたときの繋ぎとしてかなり重宝させてもらっている。
「ヘイロウについては、ムンビ素材を加えて精錬からやり直しました。金属ですので純正の杖と比べるとやや効果は落ちますが、魔法効果を高める触媒として機能します」
「えっ、すごい!」
棒と多節棍の二形態を使い分けられる上に、常に魔法の杖としても機能するってこと? ラグドールから素材をむしり取っておいて良かった!
「黒装束は、蜘蛛糸を用いた基本的な補強と、こちらにもムンビの宝石系素材をいくつか取り付けて魔法強化。ご要望の通り、全体として防御よりも攻撃重視の強化を施しましたが……」
「完璧です」
「そうですか、よかった!」
メンデルの編むツルの鎧で相応の防御力が確保できるので、今回お願いした強化は全体的に攻撃寄り。
特に「魔法強化」はそのまま「エンチャント効果の強化」にもなるので、俺にとっては実質的な「物理・魔法の両強化」である。
「それでは、ウーリさんにもよろしくお伝えください」
「勿論。次はクランの皆で遊びに来ます」
「ええ、ぜひ!」
これ以上ない装備更新を終えて、俺はクランハウスへと戻る。
例の海賊退治には、さっそく今日から取り掛かる予定だ。
というのも……これまではどうしてか一発勝負になることが多かったが、本来ボス攻略というのは何度も死んで覚えていくもの。下手に準備に時間をかけるより、挑んで負ける方が健全だ。
船乗りアダンとの約束はもう2時間ほど後。
空いてしまった中途半端な時間を、いつもの寝室でだらだらとしながら潰す。
俺が寝転がると、当然のように膝枕をしてくるメニーナの距離感にはもう慣れてきた頃だ。普段おどおどしてるくせに、この子が一番距離近いのなんなんだよ。
「そういえば、フルルは?」
「中間テストが近いんだってさ」
学生してやがるなぁ!
どうりでログインしてこないわけだ。
いるなら誘ってもいいかと思ったが、それなら今回はウーリとふたりで行くか。
「メニーナさん、もし良かったら……俺たちが外出てる間、〈白魚の海賊団〉について調べてみてくれない?」
「構いませんけど、何か気になることがあるんですか?」
「組合で聞いた限り、かなり古い時代から活動してるボスっぽくてさ。弱点とかの情報、どこかに残ってないかなって……」
「な、なるほど……調べてみます!」
この世界が夜に覆われる前から──
設定上では少なく見積もっても三十年以上、あの海では海賊の活動記録がある。俺とウーリでは攻略の手がかりになる情報は引き出せなかったが、メニーナならまた違う視点を持っているだろう。
メニーナはふんふんと張り切った様子で、太ももの上に寝かせた俺の頭を撫でる。
「そ、その調査って……シザーさんと一緒でもいいですか……?」
「え? いいけど、なんで?」
「今度、一緒にお出かけしましょうって約束したんです。街をあちこち歩くと思うので……いい機会かなと……!」
「あ、ああそう。全然いいよ?」
俺の知らないところで色んな交友が広がっているようです。友達と友達が仲良くしてくれるのは俺としても嬉しい。
「それにしても、あと2時間弱か……」
中途半端な時間。
メニーナの柔らかな肉肌に頬を沈ませて、何だか妙な気分になってきた……と思ったそのとき。
まるで思考を先読みしていたかのように、メニーナの手が俺の下腹部を「すり……」とさする。
「……っ!?」
「大きく、なってますね……その、ムラってしちゃいましたか……?」
ぞくり、と耳をくすぐるようなメニーナの掠れ声。
いつの間にか這って近づいてきているウーリと一緒になって、彼女たちは左右から囁く。
「いいよ? 時間あるし、一発すっきりしちゃおっか」
「わ、私も……トビくんのふにゃふにゃに蕩けちゃってる声、また聞きたいです……」
……ああ、まずい。
最近、いよいよ流されやすくなっている気がする。
こくり。そう俺が頷いてしまいそうになった、そのとき──
「……? 何の音、ですか?」
「外かな? なんだよ、いいところだったのに」
──ふと、外から聞こえてきた物音に、俺たちはびくりと肩を震わせた。
首を傾げるメニーナと、不機嫌気味なウーリ。
ウーリはそろりと窓から外を覗き、「……NPC?」と小さく呟いた。
「NPC? なに、誰?」
「お、お客さんですか……?」
「いや、そういう感じでもないかな。なんか嫌な予感する。トビくん、顔出さないようにしてね」
……たしかに〈月の狂気〉を持つ俺は、簡単に顔を出さない方がいいか。
起き上がりかけた身体を、メニーナが背中から優しく抱きしめて抑え込む。
ウーリもできるだけ窓から身体を出さないようにしながら、そっと窓を開けて音を聞こうとする。
「──我らは王国騎士団である! ぐ、グレゴール薬師商会、トビはいるか! 貴殿が秘密裏に "夜の魔法" を扱っているとの密告を受けた!」
……うわあ、マジか。
こういう展開もあるのか。
「げっ、騎士団……? うわ、ホントだ。がっちり鎧まで着込んでるじゃん」
目だけを出して窓の外を観察していたウーリが、げんなりとした様子で言う。
「ど、どうしましょう……トビくん、捕まっちゃうんでしょうか……?」
「いやあ、さすがにプレイヤーが長期拘束されるってのはゲーム的にないと思うけどね〜……クランハウスが取り上げられる、みたいな展開はワンチャンあるのかなぁ」
「ええ……!?」
まぁたしかに、ない話でもない。
しかしそうなったら、いよいよヴァローク婆さんに合わせる顔がない。そんな展開だけは避けたいところだ。
騎士団の怒号は絶えない。
内容は「大人しく出てこい」だとか「抵抗や虚偽は無駄だ」とか……好感度はマイナスに振り切っている様子。
メニーナは不安げに俺の身体を抱く力を強め、俺たちはどうしたものかと顔を見合わせる。いっそログアウトしてしまう、なんて時間稼ぎもありか? などと考えていると──
「おいアンタら! 騎士団だか何だか知らねえが、さっきから好き勝手よう!」
──外からそんな男の声が響いた。
そして次々に、色んな人間の声が重なる。
「そうだ! いざ化け物が出たってときは城に引きこもりやがったくせに、偉そうに言えた立場かあ!?」
「誰が俺たちの街を守ってくれたと思ってやがる! 薬師商会と守護者様だろうが!」
「な、なんだ貴様ら……誰に口を聞いていると思って──」
「役立たずに言ってんだよ! 化け物にビビって何もしてくれなかった穀潰しによお!」
……まさかこの辺りの住人たちか?
俺たちを庇ってくれている、それも王国の騎士団にまで逆らって。
「これは、なんか風向きが……」
「か、変わってきました、ね……」
俺たちは騎士団と地域住民の口喧嘩を呆然と見守る。
「こ、この……貴様ら、揃って異教に絆されおって……!」
どれだけ威圧しても怯まない住民たちに騎士団はビビったのか、やがて「つ、次はないからな! トビを差し出す準備をしておけ!」と吠えて去っていったようだった。
「おお、住民が勝った! 撃退したー!」
「す、すごいです……!」
うん、本当にすごい。
よくもまぁ平民の身分であそこまで。
王国騎士なんて大抵は貴族の出だろうに、恐れ知らずというかなんというか……だが助けられたことには変わりない。後日、何か礼を配って回ろう。
「それにしても、あの感じはまた来るだろうな〜……どうする? トビくん」
「どうって言われてもな……」
王国のNPC相手に喧嘩を売るわけにもいかないし、こちらから出来ることはそんなに多くない。
「お、おふたりが留守の間、大丈夫ですかね……」
「うーん。問答無用で財産取り上げ、なんてつまんないことするゲームでもないと思うから……色々ルートは用意されてると思うけどね? でもメニーナにシザーをつけるのは正解かも」
「ああ、たしかに。オーナーだしな」
出歩いている最中、騎士と鉢合わせてトラブルにならないとも限らない。シザーは護衛にぴったりの人材だ。
俺たちは俺たちで、約束した海賊退治をここで断るのも余計にNPCの好感度を下げるだけ。受けた依頼はやりきった方がいい。
……とはいえ、これらも結局は対症療法。
根本的な解決のためには、一体どうしたものか──
──なんて思考を、背後から「ぎゅう~……」と柔肌を寄せるメニーナの温かさが遮った。
「め、メニーナさん……?」
「トビくん、その……邪魔されちゃいましたけど、収まってませんよね……?」
吹きかかる甘い吐息。
重たい前髪の向こうにうっすら透けた瞳には、ピンク色のハートマークが浮かんでいるように錯覚さえするほどの熱がこもっている。
じゅんと疼く下腹部を、メニーナの爪が「かりっ……」と引っ掻いた。
「ああ、そうだね。まだ時間あるし、今度こそ……じっくり煮詰めてぶッこ抜いちゃおうか」
「は、はい。それじゃあ、トビくん……今日も、可愛いへこへこ、練習しましょうね」
じっとりと湿った愛情と恐怖に……俺は今度こそ「こくり」と頷いて、流された。




