052 - またいつの日か/エピローグ
ここからは後日談──の、その前に。
色々な後処理、そして今回やらかしてくれやがったPEEK A BOOへのおしおきが先だった。
「ったくお前は……もうええ歳じゃろ、そろそろ自制心っちゅうもんを覚えてくれんかのう! ホンマにィ!」
「す、すみませんでした……こんなダメなおじさんを許してください……」
生き残ったハイファットエンジン一同、そして主にウーリとフルルによってタコ殴りにされ、今はこうして正座させられているダメなおじさんことラグドール。
俺も二、三発は蹴りを入れておいた。今回は結果的に彼の奇行に助けられたわけだが、それはそれだ。
まぁこのおじさん、殴りかかる側として殴られる覚悟もしっかりキメてきている人なので、今も楽しそうにニヤニヤしている。このあたりは「ゲームを楽しんでいるなぁ」と感心するところもある。迷惑上等、悪評上等のこういうプレイスタイルも、皆が冗談として笑ってくれる範疇でなら良いのかもしれない。
だが──楽しくなさそうなヤツも、ひとりいる。
「んで……アッシュよ、お前もじゃ。お前の動機はこのダメオヤジより根深そうじゃからのう。笑えん話をゲームに持ち込む輩は、冗談じゃあ済ませんぞ」
アッシュレイル。
倒れた柱にもたれかかり、未だ両足を亡くした状態で座り込む彼は、俯いたまま黙している。レッドバルーンの言葉にも応答しない。
しばし気まずい沈黙が流れ、レッドバルーンはため息を吐いた。
「ったく、お前は何を妬んどる。ゲームの上手さか女の子の取り合いかァ知らんけど、周りばっか見とっても疲れるだけやで?」
「…………」
「トビくんウリちゃんは離れてもうたんかもしれへんけど、残ったメンツ見いよ。しっかり死に戻りゼロ、弱いヤツなんておらん、ええチームやん。お前らにはお前らの良さがあるんやから──」
「……うるせえよ」
ぼそり。はじめてアッシュは言葉を遮り、ゆっくりと顔を上げた。虚無感と嫌悪に彩られたその表情の内は、もう俺には分からない。
だがアッシュは俺とウーリを順に見て、再び口を開く。
「おい。トビ、ウリ」
「なんだ?」
「……なに?」
すでにウーリが不機嫌気味です。
今にも自慢の機械弓を取り出しかねないウーリの手を、ぎゅっと手のひらで握って抑え込む。それを見たアッシュは舌打ちをしながらも、俺たちに言った。
「お前ら、ドラゴンフライに戻ってこい」
……何を言ってるんだ、こいつは?
あっ、まずい。ウーリとフルルが共にブチギレそうな気配! ふたりを両手に掴んで牽制しながら、ひとまず続きを聞く。なお欠けた腕はハイファットエンジンのヒーラーによって治療済みだ。
「戻ってきていいって言ってやってんだよ。トビ、お前はプロどころかアマの世界からも降りて、どうせひもじい暮らししてんだろ? お前に稼がせてやる! ウリ、お前だって……結局トビさえいればなんだっていいんだろうが!」
……ひもじい暮らし? こいつ、俺の生活費や住居をイグニスが負担してくれていること、知らないのか。
まぁ、いずれにしてもこれは──
こいつはもう駄目だ。少なくとも今のままでは駄目だ。重症だ、あまりに根腐れすぎている。
大前提、俺は戦力を外に求めることは良いことだと思っている。
今のチームの地力が足りないから、嫌いなやつにも頭を下げてチームに入ってもらう……そういうなりふり構わずな勝利への執着は嫌いではない。
だが、ここまで身の程を弁えない言葉も他にない。
もしひとつでも日ノ宮ウリという女の性格を知っていれば、これでウリが頷くわけがないことくらい分かるはず。
「……トビくん、手離して。もうダメだわ、こいつ」
「ええ、やっぱりこのヒト殺しましょう」
ぶちり──と両隣で堪忍袋の緒が切れた音。
そうだな、これは俺が止めてはいけないやつだ。少なくとも今、ウーリは明確に侮辱された。それを晴らす権利がこいつにはある。
俺が握っていたふたりの手を離した、その直後──
──アッシュの身体を斬り裂いたのはウーリでもフルルでもない、シザー・リーだった。
「が、はッ……!?」
肩から腰にかけてをばっさりと切り裂く一太刀。
今まさに駆け出そうとしていた女子二名がびくりと肩を震わせて静止し──けれど、一番に信じられないという表情をしていたのはアッシュレイルだ。
目を瞑りながらゆっくりと納刀したシザーを、アッシュは見上げる。
「な、なぜ……シザー、なんでお前が……! お前だけは、俺に……ッ!」
「……お前だけは、ですか。真っ先に口に出るのは、そんな言葉なのですね」
ウーリとフルルは黙ったまま顔を見合せ、ぱちくりと瞬きをした。そして俺を見る。
「ええと……トビくん、これは……」
「ど、どうすればいいですか……?」
「いやぁ……俺に言われてもな」
俺だって、さすがにこんな状況ははじめてだ。シザーが言葉より先に手を上げるところなんて今まで見たこともない。
けれど、シザーの纏う雰囲気があまりにも厳かだったから……俺たちは続きを聞く他になかった。
「もうやめましょう、アッシュ。私もあなたも負けたのです。今の私たちはあまりに見苦しい」
「な、なんだと……!?」
「身の程を弁えましょう、と言っています。今のドラゴンフライに、あなたが思っているほどの価値はありません」
アッシュは絶句し、けれど咳き込みながら吠える。
「お、お前……お前だけは言うなよ、そんなこと……!」
「お前だけは……またそれですか」
シザーはゆっくりと目を開ける。
その切れ長の瞳が、もはや呆れるような様子でアッシュを見下ろしている。
「私だけがチームに残ったこと。それを "シザーだけはトビではなくアッシュを選んだ" などと……そんな風に勘違いしていましたか。私の優柔不断な選択が、あの日あなたが捨てるべきだった醜悪なプライドを守り、今日まで肥大化させてしまったのですか」
「醜悪なプライド、だと……? お前、よくも……!」
だが、それはアッシュを責めるというより……
シザーが自分自身の選択を責め、悲しんでいる言葉にも聞こえた。
「私の存在が、あなたをそこまでつけあがらせてしまっていましたか。私がチームに残ったから、トビくんから私だけは奪い取ることができた……などと思い込んで自慰に浸ることでしか、あなたは己の自尊心を守れなかったのですか」
「し、シザー! お前、さっきから自分が何を言ってるのか分かって──」
「なんて情けない」
ぴしゃり。そう吐き捨てる。
「いつか、あなたが立ち直るその日を期待していました。その助けになれるのならば、私があなたの傍にいる意味はあったのだろうと思っていました。けれど……」
「おい、シザー……!」
「けれど、あなたの歪みの原因が、他ならぬ私にあったのなら……もっと早いうちに、私はあなたの前から消えるべきだったのですね」
「や、やめろ……シザー、お前は……! お前だけは、俺の元から──」
──俺の元から、消えないでくれ!
けれどその言葉が紡がれる前に──アッシュレイルの首は刎ね飛ばされた。
一閃。宙を舞い、そしてゴロゴロと転がる青年の首。
その剣筋は俺の目を持ってしても捉えきれない。「──ちゃきん」と涼し気な納刀音だけが、気付けばそこに置き去りにされている。
腰に吊り下げられた鞘からゆっくりと手を離せば、刀はぶらりと悲しそうに頭を下げる。シザー・リーはただ静かにそこに立ち竦んでいた。
「……決別です、アッシュレイル。私もあなたも外道に堕ちた。どうか互いに、いつか正しい道へと戻って来ることができますように」
転がったアッシュの頭部、そして崩れ落ちた身体。
それらはいずれも青い粒子へと溶けて、そして消えていった。
*****
……今度こそ、後日談。
あれからシザーは「この度は申し訳ありませんでした」と皆に頭を下げ、そしてドラゴンフライの全員を斬り殺して姿を消した。
「お前が変に焚きつけるから、とんでもないことなってもうたやんけ!」
レッドバルーンにそう怒られたラグドールは、とても肩身が狭そうにしていたが……正直、今日でなくてもいつかはああやって瓦解していたような気はする。
それくらいアッシュの拗れ方は重症だった。
「なんちゅうか、トビくん……君、モテるなぁ」
「どうですかね。バルーンさん、奥さん何人いるんでしたっけ」
「7人や」
じゃあアンタにだけは言われたくねえよ。
少子化に伴い、日本で重婚が認められるようになったのは10年くらい前だったはずだが……レッドバルーンの母国ではもう少し前から同じ法案が可決されているので、彼の家庭はより年季が入っている。
……ちなみに、おじさんふたりは今回で仲を拗らせるというわけでもなく、その夜にはSNSで飲み会の写真が上がっていた。PEEK A BOO一同が居酒屋の床に土下座し、会計を奢らせられている写真だった。
それと俺の方にも、フレンドコードを経由してラグドールから謝罪のメッセージ。
「うわっ、すげえ量の素材……何人分だよ、これ……」
あのろくでなしおじさんの姿からは想像もできない社会人的な謝罪の文面と、膨大なゲーム内マネー。くわえてムーンビーストや月詠みのドロップ素材、ついでに俺が知らないレアな薬草の苗が数十種以上も送付されている。
ムーンビースト素材については、ラグドールひとりで手に入れたとも思えない物量なので……おそらくクラン〈PEEK A BOO〉が今回の攻略で手に入れたすべての素材をまとめて送り付けてきたのだろう。
「今回の利益は丸々返上ってことか。変なとこで律儀だなぁ……」
もちろん、もし裏切りに成功していれば、すべての報酬を掻っ攫っていくつもりではあったのだろうが……これはアッシュを焚き付けた当事者としての償いか、それとも「当然、勝者は敗者からむしり取るべき」という独自の哲学なのか。
……なんとなく、後者な気がする。
彼らなりの歪んだ武士道というか、なんというか。
頂いた薬草は、ありがたくクランハウスで育てるとしよう。
さて、まぁ笑える話はこれくらいとして。
「色んなニュースが相次いでるな……」
大学の帰り道。
なんとなく歩く気になれず、珍しく乗り込んだバスの中でタブレットを開き、ぼうっとSNSを眺めている。
いつも通りの裏切り者で、相応のアンチは抱えながらもどこか憎めないヒールチーム〈PEEK A BOO〉のダメージは小さい。
一方〈ドラゴンフライ〉というチームの評判と信用は、今回のことで大きく落ちた。特にゲーム内のノリでなく、生々しい私怨を理由に攻撃をしたというのが印象の悪さを際立たせている。これにはスポンサーも苦い顔つきで、ドラゴンフライはプロチームとしての存続さえ危ぶまれる状況だ。
さらにドラゴンフライのエース格であったシザー・リーは、チーム脱退と競技活動の休止を発表。
「しばらくは憧れていた大学生活を楽しみます」
……と意外にもポジティブなメッセージを残して表舞台から姿を消し、ファンたちの勘繰りは留まるところを知らない。
そしてそのとき、「ピコン」とメッセージが届いた。
「……イグニスか。ちょっと気まずいな」
アッシュレイルの実兄──
イグニスという元競技プレイヤーからの着信。とはいえ気まずいのはお互い様だろう。俺は文面を確認する。
『愚弟がまた粗相をしでかしたと聞きました。申し訳ない』
「…………」
正直、もうあまり気にしていないというのが本音だ。
今回のことは、すでに十分なほどチームの致命傷となってしまった。これ以上の制裁を俺は希望していない。
「大丈夫です、それより体調どうですか、と……」
返事はすぐに返ってくる。
『落ち着いています。今回のことでびっくりして立ち上がれかけちゃったくらい。そちらこそ生活に不足はありませんか。何か足りないものがあったら言ってください』
俺はそのメッセージに「大丈夫です。お大事に」と返して、タブレットの電源を落とした。
現在、イグニスは闘病中の身だ。
数年前に病に倒れ、チームの運営からはとっくに離れている。今も上体を起こすのがやっと、というくらいの痛ましい有様。
とはいえ本人は「指と目さえ動けば会社は動かせる」と豪語して、日々何億という単位の金を転がしている。
君の華々しい競技人生を愚弟が奪ってしまった、その補填をさせてほしい。そう言って、イグニスは俺の口座に金を振り込み続ける。
気を許すと文字通り桁違いの額を手渡そうとしてくるので、「最低限の生活費でいい、ひとまずは大学を卒業するまでにしてくれ」とは常日頃から言ってはいるが……イグニスの方はやや不満げだ。
ウリといいイグニスといい、なぜ俺の周りはやたら金を払いたがるやつばかりなのだろう。
「……アッシュはどうなるかなぁ」
正直、プロとしてはもう無理かもしれない。
それでも、別にプロとして食っていくだけが競技の楽しみ方じゃない。俺が介入すればまた拗れるだろうし、首を突っ込むつもりはないが……意外にあっさりと、どこか小さなきっかけで彼が再生する道だってあるはずだ。
そのときにまた、縁があるなら一緒に遊びたいものだ。お前と楽しく競い合った日々を、俺は意外と「良い思い出」だと思ってるんだ。なぁ、アッシュレイル。
そんなことを思いながら、やがて俺は自宅へと到着し──
「あ、トビくんおかえり」
「おかえりなさい、トビくん。お食事出来ていますよ」
……なんでいるの?
ウリ、そしてシザー。消息不明とSNSで話題になっていた女が、何故か俺の家にいた。
エプロン姿のふたりに玄関前で出迎えられ、俺は呆れながらリビングへと上がる。
「……どうしました? あ、もしかして外で食べてきてしまいましたか?」
「いや、そういうわけじゃないんだけど……」
「あ、ムラついちゃった? 食欲の前に性欲のほう処理しとく?」
黙っとけ赤いの。
むぎゅっと両頬を掴んで口を閉じさせ、シザーに「ごめん」と謝る。
けれど──シザーはそっと唇を耳に寄せ、五指をぎゅっと絡めながら答えた。
「……私は構いませんけれど。あなたの親愛なる友人として、いくらでも」
「えっ」
「どこをお使いになりますか? 指、口、胸、あるいは……どうぞ、ご希望の箇所をお召し上がりください」
こんな女しかいないのか、俺の周りは。
やや気恥ずかしそうに目を逸らしたシザーの視線の先では、ウリが「その調子だ!」とばかりにサムズアップをしていた。誰の入れ知恵かバレバレである。
本当にいい加減にしとけよ、赤いの。




