043 - 俺の「ざまあ」はとっくの昔に終わっている
自分が夢を見ているのだとすぐに分かった。
それが知っている記憶、たしかに実在した記憶だったからだ。
当時、俺は〈ドラゴンフライ〉というセミプロチームに所属していた。
今こうして俺の胸ぐらに掴みかかっている青年もその一味。
彼はアッシュレイルという名前で活動しているプレイヤーで、チームのリーダーだった。
「なんでお前が行くんだよ! お前とウリとシザーで!? チームのボスは俺だぞ……!?」
これはなんの話だったか。
ああ、そうだ。企業のお偉いさんから声がかかって、食事を奢ってもらったんだ。
友達も連れてきていいと言われたから、当時一番仲のよかったウリとシザー・リーを連れていった……というか、ふたりが勝手についてきたという方が正しいか。
今思えば、アッシュが怒るのも無理はない。
当時のアッシュはなかなか結果が出ず、プロの領域まであと一歩届かない──焦っていたのだ。俺の行動には配慮が足りなかった。
「……アッシュ、いい加減やめてください。食事会ではスポンサードの話なんてひとつもしていませんし、あくまでプライベートです。あなたに口を出される義理はありません」
アッシュの後ろで、シザーが疲れきった様子で言う。
長い黒髪の少女だ。年齢はひとつ年下ながら、性格や思考は俺たちよりずっと大人びていたので、俺とウリは彼女を尊敬していた。
けれど、アッシュはそれも無視して怒りをぶちまけるだけだ。
「兄貴の下位互換だの、トビのほうが向いてるだの、どいつもこいつも好き勝手言いやがって……ウリも、シザーも、お前ら揃ってメスの顔しやがって! おいトビ、お前もなんか言ってみろよ……ッ!」
……アッシュの怒号に、俺はなんと答えたのだろう。
自分が何を言ったかなんてとうに忘れてしまったくせに、自分以外の一挙一動をこうも鮮明に覚えている。ならば俺は案外、当時のことを未練に思っているのかもしれない。
「初見殺しと女に可愛がられることしか能のない、基礎もまともになってねえイロモノが……チームの顔ぶってんじゃねえぞ!」
言われたなぁ、こんなことも。
まぁ間違ってはいない。ただ口が悪いだけだ。ウリも、シザーも、俺よりずっと基礎力のある優れたプレイヤーだ。
「何にしても……来季のスターティングは俺、ウリ、シザーの3人を中心に組み立てる! お前は留守番してろ!」
悪くない編成だと、このときの俺は思った。
俺は不安定なプレイヤーだ。自分で分かっている。だからそれでいいと思った。
けれど……たしかこの揉め事は、ここで打ち止めにされたはずだ。
「うるっせえなぁ、さっきからグチグチグチグチ……」
そう、こうしてようやく口を開いたかと思えば、唸るように顔をしかめる──日ノ宮ウリという女によって。
「う、ウリ……?」
普段と全く異なるウリの雰囲気に、これまで冷静に場を見守っていたシザーが首を傾げる。
俺もシザーも、このときすでに嫌な予感を覚えていた。
一方ソファから起き上がったウリは、片手につまんだ飲みかけの缶ジュースを「──べこんッ」と思いっきり握り潰し、ゴミ箱の中に投げ捨てる。
ふらりと立ち上がったその足で、ウリはアッシュに近寄り──
「死ねッ!」
「──ぶべっ!?」
──アッシュの頬を、思いっきりに殴りつけた。
腰を捻り、上体ごと打ち出すような本気のグーパンである。
ウリはぶっ飛ばしたアッシュをさらにタコ殴る。馬乗りだ。その両頬に交互の連打を叩き込みながらウリは叫ぶ。
「情けねえんだよ、リアクションに困るんだよ! さっきから劣等感むき出しのガキみてえな八つ当たりしやがってッ!」
「ッぐ、ぶぼっ!?」
「延々聞かされてるこっちの身にもなれよ! 恥ずかしいよ! メスの顔して何が悪い、少なくとも今のお前に比べりゃ超優秀なオスなんだから仕方ないだろうが! 私とシザーがトビくんにメス卵子献上するとこ、お前は指咥えて見てろ! 誰とも繁殖できないザコ遺伝子がよぉ! バーカバーカ!」
うわあ、今聞いても本当に最低すぎる。
この文句が現役女子高生の口から出ることあるか?
シザーはぎょっとした様子でウリを見て、しばしの硬直のあと、慌てて止めに入る。俺もそうした。
「離せーっ! 殴り足りねえーっ!」と暴れるウリを、ふたりがかりでなんとか引き剥がした頃には、アッシュの顔面はボコボコに膨れきっていた。
それから、俺にチームの除籍処分が下ったのは数日後のことだ。
処分理由はまぁ、適当にでっち上げられたもの。今となっては覚えてもいないくらい、どうでも良い建前だ。
俺はそのままチームから身を引いた。
元より、プロになりたいという気持ちは皆ほど強くはなかった。トビという人間がいなくなることでアッシュの気が済むなら、それでプロを目指すためのモチベーションを保てるのなら、俺はそれでいいと思った。
ああ、本当に懐かしい夢だ──なんて思いながら、俺は眠りから浮上していく。
*****
このゲームでは睡眠をとることができる。
実際には「ログインしたままゲームをスリープモードに落としている」……みたいなことなのだが、これが案外に快適で心地良い。昨今では不眠症の最新治療としても注目されているくらいだ。
ぼんやりと目を覚ませば、頬が温かく、やわらかい。
「あ、おはようトビくん。いい夢見れた?」
……なにしてんだコイツ、とツッコミを入れたいところだったが、頭がぼんやりして上手く発声できなかった。
ウーリの手がやさしく髪を撫で、俺の頬は彼女の太ももの谷間に沈んでいる。
「……今じゃこんなにも穏やかなのにな」
「え? なんの話?」
「いや、なんでもない……おはよう」
クランハウスの寝室、ベッドの上。
ごろりと身体を半回転させ、太ももに頭を預けたまま上を見上げる。夢で見た数年前のウーリと比べてみると、こいつも随分と丸くなったものだ。
……いや、やっぱり尖りすぎだろ、当時の日ノ宮ウリ。
「ポーションの準備できました。他クランの皆さんにお裾分けする分は、ボクが持っておきます?」
「フルルちゃんありがとう。それでお願い」
どうも途中でうたた寝してしまったようだが……現在、例の地下マップ〈月隠れの神殿〉の攻略当日。事前準備はフルルが済ませてくれたらしい。
「あ、あの……トビくん……」
「ん?」
「だ、大丈夫ですか……?」
おそるおそると尋ねるメニーナに、俺は首を傾げる。
「その……い、居心地、悪くないのかなって。元チームメイトの人に会うんですよね……?」
「ああ、それは全然大丈夫」
「そ、そうなんですか……?」
「うん。俺、そんなに気まずいとか思ってないんだよ」
向こうは俺のこと、嫌いかもしれないけれど。
「ウーリさんは大丈夫なんですか……?」
「私? 私は全然根に持ってるけど」
でしょうね。
「トビくん、もうそろそろ出発するけど平気?」
「ああ、いつでも」
ランタンの火を灯し、メンデルに夜の魔力を与える。他に準備はいらない。
俺はベッドから立ち上がり、出発する。
今回、呼ばれたのは俺とウーリ、ついでにフルルの3人だ。
PK娘を招待するかについては向こうでも議論があったようだが、ノーム戦では真面目に戦っていたので、そのあたりが評価されたのだろう。
今回は不参加となるメニーナも、目的地まで同行してくれるそうだ。
というか……何だか妙にそわそわしているので、俺のことを心配してくれているのだと思う。
「と、トビくんとウーリさんは……そもそも、どうしてドラゴンフライというチームに?」
道中の雑談。
ウーリと顔を見合わせて、それぞれ答える。
「たしか私もトビくんもスカウトかな?」
「ああ。そのときのリーダーはアッシュレイルじゃなくて、イグニスって人だったけど」
「だ、代替わりとかあるんですね……」
「そうだね。イグニスはアッシュの実の兄貴でさ。だから家族経営というか、身内チームではあったかな」
俺もウーリも、イグニスという人間が好きだったから、最終的にチームに入った。
けれどそのイグニスは競技シーンを引退。あとを託されたアッシュのメンタルはガタついていたのだろう──と今になって思う。
ちなみにドラゴンフライの面々とは現在も疎遠というわけでもなく、引退したイグニスや仲の良かったシザー・リーとは今でも頻繁にSNSでやり取りするし、お中元や年賀状も届く。さすがにアッシュとは何年も顔を合わせていないけど。
道中はそう時間もかからず、クランハウスから直接ファストトラベルで街を移動し、やがて俺たちは目的の礼拝堂跡地に辿り着いた。
「あ、それじゃあ……み、みんな、頑張ってね……!」
「うん! 送ってくれてありがとう、メニーナ」
「留守番頼んだ」
何度も振り返っては手を振って、やがて見えなくなるメニーナ。
俺たちは礼拝堂の少し手前で、まずハイファットエンジンに出迎えられる。
「よう来てくれたなぁトビくん、ウリちゃん!」
「トビさん、お久しぶりっす!」
「おはようございますバルーンさん。あとタカツキも久しぶり」
王都で一緒に戦った面々に加えて、タカツキをはじめとした数人は見覚えのあるメンツだ。ウリも「ういーっす」と軽く礼をし、タカツキの周りを見回した。
「へえ。もっとがっちりプロだけで固めてんのかと思ってた」
「何言うとんのウリちゃん。別ゲーでどんなライセンス持ってたって、デイブレの上手い下手には関係あらへんよ。じゃったら肩書きなんぞ気にせんと、やる気あるヤツ掻き集めたほうがおもろいやんなぁ」
まぁこいつ功労者やし──とレッドバルーンはタカツキの背中を強く叩き、タカツキは悶絶した。
「功労者?」
「なんや、トビくんもじゃろ? ほら君らが倒した〈月詠みラナエル〉とかいうボス、あれの撃破が地下ダン解放のトリガーらしいんよ」
……もしかして、あの鍵か?
拾ったそばから消滅してしまった、ラナエルの鍵。あれが地下マップ解放のきっかけ?
「そういやぁ、もうひとりの功労者……フルルちゃんじゃっけ? 例のPK娘は?」
「ああ、多分そのへんにいます。気にしないでください」
「あ、そう? ならええんやけど」
街を出歩くとき、フルルはこうして隠密状態になる。こうなるとウーリの感知スキルを駆使しても見つけられない。
まぁアイツは意外としっかりしてるので、はぐれてるってことはないだろう。
「まぁええわ、他のメンツも揃ってるからはよ行こ」
レッドバルーンの言葉に頷く。
道中、他のハイファットエンジンのメンバーに「なぁ俺のこと覚えてる?」「俺、実は昔トビくんと予選で当たったことあってさあ」などと話しかけられ、懐かしい記憶を思い出したり、まぁさすがに覚えていないことも多かったり……。
お邪魔した礼拝堂の中は、ほとんど廃墟という有り様。
ただし中央には大きな穴が空いていて、地下へと続く石造りの階段が続いている。
そんな階段の前で、他のメンバーとも顔を合わせる。
「あ、トビさんどうも。俺です、オン・ルーです」
声をかけてきた灰銀色の男はオン・ルーと名乗った。
俺の知っているオオカミの姿ではなく、ヒトに獣耳と尻尾が生えているだけの獣人の姿だ。
「姿、切り替えできるんだ」
「はい、あの獣化はスキルなんで。あ、紹介します。ウチのボスです」
オン・ルーの声かけでやってくる長身の男。
やや癖っ毛で、腰まで届く黒髪。髪の隙間から見える尖った耳から、どうやらエルフらしいということが分かる。男は俺を見てニコニコとしていた。
「おお、トビくんだぁ久しぶり。ノーム戦では直接挨拶できなかったけど、ラグドールです。今もまだダラダラと〈PEEK A BOO〉ってチームを運営してます」
「知ってます。お久しぶりです、ラグドールさん」
〈PEEK A BOO〉オーナー、ラグドール。
もちろん知っている人だ。ハイファットエンジン同様、かなり年季の入った古参チームなので、大会に参加しはじめた頃はよく予選で狩り殺されたものである。
ちなみにラグドールという名前は猫の意ではなく、かつて回線不調でやたらとラグを頻発させていたことから来ている。そんな縁起悪いものを名前にするなよ──と当時の俺は思った。
そして残るクランは……
「ええと……トビくん大丈夫? 気まずくない? 何かあったらおじさんたち盾にしてね?」
「ああ、いや。本当に大丈夫なんで」
因縁のチーム〈ドラゴンフライ〉を前に、ラグドールが心配そうに言う。レッドバルーンといい、メニーナといい、みんな気まずいだろうと思ってるんだなぁ。全然そんなことはないので問題ない。
俺はそいつに声をかけた。
アッシュレイル──どのゲームでも灰色の髪をアバターの目印にするから、分かりやすい。
「久しぶりだな、アッシュ」
「…………」
挨拶は返ってこない。
いわゆる "勇者" のような正統派アバターが、それに似つかわしくないぎろりとした表情で俺を睨んだ。
「……トビ。よくもまぁ顔出せたもんだな?」
「ああ。本当は来るつもりなかったんだけど、ちょっと必要になって」
「チッ……まぁ、お前らはただの数合わせだ。攻略はプロが主導する。モブはせいぜい肉盾にでもなっとけ」
たったそれだけ吐き捨てて、手でしっしと払う動作をするアッシュ。
分かってはいたが、なんともまぁ嫌われたものだ。ここで変に刺激する必要もないと、俺は退散しようとして──
──そのとき、アッシュの身体は地面に叩き伏せられた。
「ッぐ……な、なんだァ……!?」
ダンッ! と強く地面に叩きつけられ、そのまま片腕を捻り上げられるアッシュ。
少女はアッシュの身体を腹這いに抑え込むようにして、もう片腕を靴底で潰す。喉元にナイフの刃を突きつけた。
「見るからにチームプレーできなさそうな人ですねえ。今のうちに殺しときますか?」
お前が言うな、フルル。




