025 - タカツキ青年の独白
男の名は「タカツキ」と言う。
VRスポーツ観戦を趣味とするごく一般的な大学生であり、応援チームはハイファットエンジン。
そのうちレッドバルーンの主催するファン同士のトレーニングサーバーにも参加するようになり、気付けばプロを目指すようにまでなっていた。
自分がどれくらいのプレイヤーなのかと考えたとき、タカツキの自己評価は「まぁまぁ上手い方」……この年齢からプロを目指しはじめたにしては上出来だ、と良く褒められる。
けれど一方で「越えられない」と感じてしまう才能の壁は常にあった。
今、目の前に広がる光景はまさにそれだ。
トビ、それにフルル。
俺からしたら、どっちも同じくらいバケモンだ──とタカツキは息を呑む。
「たん、たん、たん──たん、たんっ!」
そんなふうに妙なリズムを取りながら、フルルはラナエルとの剣舞を楽しげに刻んでいる。
彼女の声が跳ね上がるたびに「キンッ!」「カンッ!」とナイフの刃が双剣を弾く。その滑らかで緩急のあるナイフ捌きに、ボスであるラナエルのほうが困惑しているようにさえ錯覚する。
ついさっきまで、たったひとりでラナエルを圧倒していたトビもそう──「立ち回り」や「小手先の器用さ」だけでは説明のつかない、人間離れしたバトルセンス。
否が応でも、自分の才能がいかに中途半端なものかという現実を痛感させられる。まぁ、とはいえ──
「──それは今考えることじゃねえんだよ!」
己を奮い立たせるように咆哮し、予備の長剣を装備したタカツキは、フルルと同じようにラナエルに襲いかかった。
「わわっ!?」
「すんません邪魔して! 俺もやりますッ!」
「うん! ちょっと邪魔!」
こ、この女──と額に青筋を浮かべながらも、タカツキの剣が彼女らの間に割り込む。
剣と剣がぶつかり合う。次に「ごう」と黒渦が巻き起こったことを視認すれば、放たれる回し蹴りをタカツキはしゃがむようにして躱す。
「あっぶねえ……ッこ、これをよくひとりで……!」
当たれば、一気に主導権を奪われて殺される。
一撃一撃の重さ、プレッシャーは尋常ではない。
けれど、ひとりよりふたり──
タカツキの介入のおかげでラナエルの注視から逃れたフルルは、気付けばラナエルの背後に回っていた。
「えいっ」
「────ッ!?」
首元に宛てがわれたナイフをすっと引けば、血飛沫のように溢れ出る青白いダメージエフェクト。
足元の黒渦が爆ぜ、タカツキとフルルは互いに吹き飛ばされる。しかし今のダメージレースは間違いなくこちら優位だ。
だがそのとき、ラナエルの周囲に変化が起こった。
彼女の周りはさながら「夜」のように暗闇に包まれる。双剣にも黒い魔力が帯びた。
「な、なんだ……!?」
「第二形態じゃないですかね。ていうかあなた誰ですか?」
ラナエルは待たない。
黒渦を纏った足が空中を蹴りつけ、一気に跳躍して距離を詰めると、タカツキは長剣を構え──
「……ッ! み、見えねえ……!?」
──瞬間、視界が黒に呑まれた。
ラナエルと共に移動する「夜」──視界は暗く、今まではっきりと見えていた手足の動きが読めなくなる。
どの方向から斬られる?
分からない。タカツキが闇雲に剣を構えようとした、そのとき──
「そこ危ないですよ」
「ぶべッ!?」
──横入りしてきたフルルに、タカツキは蹴り飛ばされた。
幸いにも攻撃の軌道から逃れるように、泥の中に放り出される。
視線の先では、フルルがラナエルの剣閃をさも当然のように弾き返し、カウンターの斬撃を叩き込んでいるところだ。
猫の目が大きく散瞳し、頭の上に突き出た獣耳をぴこぴこと震わせて、フルルは敵の攻撃軌道を捉えている。
「あ、あの女……!」
もう少しまともに連携できないのか──と続けようとしたそのとき、何かがタカツキの横をすり抜けた。
その姿は、さながら魔人だった。
灰色のツル、咲き乱れる花々──そして黒い木の枝を身体の至るところに生やした、植物の魔人である。
腰に吊り下げられたランタンは藍色の炎を灯し、伝播した魔力が全身を迸っている。
「あ、兄貴っすか……?」
「うん。見た目怖くてごめんな。ポーションありがとう、行ってくるよ」
その異形に見合わない、からっとした声でトビはそう答え──そして跳んだ。
水面を蹴り、瞬く間に双剣と激突。
斜めから振るわれた一太刀を、トビは左の腕で真正面から受け止め──夜の魔力によって硬質化したツルの束は、数本が断ち切られようとも未だに肉には届かない。
同時、ラナエルの足元で炸裂する震脚──黒渦によるノックバック。
「うわあっ!」と情けない声を上げて吹き飛ばされるフルルとは反対に、トビはいくつものツルをその場に打ち込むことで突風に逆らった。
黒渦をうならせるままの勢いで振り抜かれた蹴撃を、今度は右手の長剣で逸らして受け流しながら──
そのとき、トビの胸元がきらめいた。
ぴしりと音を立てて、白い結晶が急速に生成されていく。
「塩の柱」
「───ッ!?」
細く、長く、鋭く成形されるそれは塩結晶の針。
攻撃を受け流すために両腕が塞がり、けれど胸元から伸びた結晶針は、がら空きになったラナエルの顔面に突き刺さった。
*****
マングローブ──汽水域に自生する塩生樹木の総称。
その最大の特徴は、塩分を含む過酷な環境下でも生存可能な“排塩機構”にある。
それは要するに、根から吸い上げた水中塩分を、葉の表皮から分泌・結晶化して捨てるという特殊な処理能力なわけだが──
今回の接ぎ木によってメンデルが得たのは、そういう力だった。
体内に貯蓄した塩分を排出し、ついでに針や刃物などの形に結晶化。
夜の魔力による硬質化が前提にはなるが、十分に武器として使える代物になる。
胸元から生成した結晶刃が、ラナエルの顔面を見事に穿つ。驚いたように硬直するその頭部を、俺は思いっきり殴りつけた。
「────ッ!?」
「もう1回だ」
顔面に刃が突き刺さったまま吹き飛んでいくラナエルをツルで巻き取り──引き寄せての追撃。フルルにやったのと同じだ。
殴り、殴り、殴り、殴り──ぶん殴る!
「…………ッ!」
「ははっ、キいてる」
ぐらぐらと頭を揺らし、朦朧とした様子のラナエル。
ラナエルの周囲には夜の闇が展開され、視界は悪い。ランタンの青い光が照らす、わずかなシルエットの動きを見逃さずに捉え続ける。
きらりと光る双剣の刃がかろうじてツルを断ち切り、同時に、ラナエルの足元で黒風が「ぶわり」と膨れ上がった。
風を纏って放たれる回し蹴りを──
「そいつは受けちゃダメ──だったかな」
──さっと躱し、俺は手のひらに結晶を生み出した。
不格好な2本の結晶ナイフ。そいつをぱっと投擲すれば、ラナエルは精密に双剣を振るい、ナイフを撃ち落とす。
だが、おかげで前がガラ空きだ。
振り抜いた足先がラナエルの顔面を捉える。
突き刺さった結晶刃をさらに深くまで押し込みながら、彼女の身体はサッカーボールのように蹴り飛ばされた。水面を跳ね、吹き飛び、転がり、そして──
「殺しちゃっていいぞ、フルル」
「はあい」
──ここにいるのは、俺だけじゃない。
ラナエルの吹き飛んだ先、こうなることが分かっていたかのように待ち構えていたフルルは、にんまりと笑って愛用のナイフをきらめかせる。
一閃。
その首筋を丁寧に撫ぜた刃が、〈月詠みラナエル〉のHPを削りきった。
『〈月詠みラナエル〉を撃破しました』
『クエスト目標が達成されました』
*****
Item:月詠みの破片
Rarity:ボスドロップ
月詠み巫女たちが用いた刀剣の欠片。鍛え直せば上質な刃となる。
元は祭祀を目的として鍛えられたものだったが、後年には暗殺剣として歪な技術発達を遂げた。
ドロップアイテムのフレーバーテキストを読んでも、ラナエルの背景は分かるんだか分からないんだか……明らかなのは、彼女が「月詠み巫女」という聖職者であり、暗殺者であったということくらいか。
まぁとにかく、ギリギリの勝利をもぎ取った俺は、消えゆくラナエルの死体に近づいた。
最後にトドメを刺してくれたフルルは、にこやかに手を振って迎えてくれる。
「よう、お疲れ」
「お疲れ様です、トビくん! 超かっこよかったです! あ、これあげます」
……いきなりなんだ?
「あげます」と言ってフルルが指差す先は、今まさに青い粒子となって消滅していったラナエルの死体跡だ。
浅い潮水の底で、何かがきらめく
拾い上げてみれば、それは鍵だった。
「これは……?」
「わかんないです。その場に残ったので、ドロップ素材とは違うと思うんですケド」
まぁ、たしかに……。
朝日にかざして確認しても、何の変哲もない鍵のように思える。黒く錆びきった鉄色の鍵だ。だがその瞬間──
──太陽の光を浴びた鍵は、融けるようにして消滅してしまう。
「えっ」
「あっ」
死体と同様、粒子となって掻き消えた鍵。
フルルと視線が合い、何だったんだ──と互いに顔を見合わせた。
……ゲーム的に考えれば「どこかの鍵が開いた」と判断するのが妥当か? まぁそれにしても、心当たりのある場所はないけれど。
「兄貴ィーッ!」
おっと、もうひとりの功労者がいたのを忘れていた。
逆立った金髪の彼は、ばしゃばしゃと泥をかき分けてやってくる。
「あ、兄貴ぃ……! アンタすげえよ! 本当に倒しちまった!」
「ありがとう。でもあのポーションなかったら死んでたよ。ナイスアシスト!」
「うっす! あざーッす!」
お互い泥まみれの手でハイタッチをすれば、フルルから妬ましげな視線を感じる。
仕方なくフルルの方にも手をかざせば、彼女は猫のように飛び跳ねて「ぱァンッ!」と手を打ち合わせた。痛いよ。
「他のお仲間は、死に戻り?」
「あ、ああ……俺が最後のひとり。まぁゲームだ! こういうことだってある!」
「はは、そうだな。まぁさっさと行って、顔見せてやりなよ」
ついでにボス討伐を自慢してくると良い。
あのレベルのボスなら、ドロップ素材もきっと上等なものだろう。
長剣を返して背中を押せば、男は深く頭を下げる。最後に「あ、そうだ!」と俺に紙切れを押し付けた。
レッドバルーンから押し付けられたのと同じ──名刺代わりのフレンドコードだ。この男は「タカツキ」と言う名前らしい。
「もしよかったら!」
「ああ、登録しとくよ。よろしくタカツキ。俺はトビ」
「知ってます!」
ああ、ですよね。
タカツキは改めて深々と頭を下げると、王都の方向へと走り去っていく。
さて。
「フルル、ナイフ貸して」
「へ?」
ふたり残された俺とフルル。
手を差し出してナイフを要求すれば、フルルは首を傾げた。
「なんだよ。俺とナイフ同士でヤりたいんだろ」
「…………!」
ぴく──とその猫耳が跳ね、フルルはじっとこっちを見上げる。
「い、イイんですか……!?」
「いいよ、助けてもらったし。ほら、予備ないの? 前に使ってたやつとかでもいいよ」
「は、はい! じゃあこれっ!」
慌ててインベントリから取り出されたナイフを、俺は受け取る。
手の内でくるくると回して感触をチェック。うん、いい握り心地だ。そして構えた。
ファンサービスの時間だ。




