024 - バッドマナーフレンズ
トビが湿原で激戦を繰り広げている、その頃──ウーリとメニーナのふたりは王都ハイルロンドに到着していた。
戦闘職のフレンドが他にいないであろうメニーナを、ウーリの方から声をかけて無理矢理引っ張ってきた形である。
野良メンバーでの「霊獣トロート」攻略戦は若干のぐたぐだこそあったものの、なんとか森を抜けて王都へとやってきた彼女らは、その足で適当な飲食店に入っていた。
「す、すみませんウーリさん……今日はありがとうございました。私がいたら配信もできないのに……」
「いいんだよ、こっちから声かけたんだから。王都まで来ないと解放されないコンテンツ、いっぱいあるからね〜」
カゴいっぱいに運ばれてきた白パンをもしゃもしゃと口に詰め込みながら、ウーリはそう答える。
──うん、なかなか美味しい。
このゲームでは、生産職プレイヤーの需要を高めるために、大抵のNPCメイドアイテムは劣化品が基本である。だが「食品の味」のみに限っては、プレイヤーを不快にさせないよう最低ラインの保証がされているらしい。
プレイヤーメイドの店ではないこの洋食店も、料理の味は十分に上等だ。
ウーリに倣うように、メニーナもパンとスープに手を付ける。
「お婆ちゃんのお手伝いはどう?」
「た、楽しいですよ。興味深いお話もいろいろ聞けて……あ、トビくんにもお話したいこと、たくさんあるんですけど……」
「ああ、例の花の話とか?」
「それも含めて、ですね」
ということは、他にもあるのか──とウーリは目を細めた。
先のクエストもそうだが、メニーナの思考は一般的なゲーマーとはかけ離れている。そのメニーナが、一体どんな新情報をどこで入手してくるか……想像もできない、というのが今のウーリの内心だ。
「まぁ、ぜひメニーナから連絡してあげてよ。トビくん喜ぶと思う」
そう言えば、メニーナはパンを咀嚼しながらこくりと頷く。
「そうします。メンデルちゃんにも会いたいし……」
「メニーナはあの子のこと好きだよね」
「だ、だって可愛いじゃないですか。いつもおなかぺこぺこに空かせてて」
……それは、可愛いのか?
どちらかと言えば「飢えた」という表現のほうがしっくりくる生物だと思うけど。
「そういえば、メンデルちゃんの種族……プレデター・グリーンでしたっけ? あの子もボスなんですよね。どこかのマップで出会えるんでしょうか」
「ああ、出会えるには出会えるんじゃない? まぁただ、ちょっとレベルは高いだろうね〜……徘徊型のボスだから」
ウーリがそう答えると、メニーナは首を傾げる。
「徘徊型……だとレベルが高いんですか?」
メニーナのその質問に、ウーリは少し考えた。
さて、どこから説明したものか。片肘をつき、スープカップの中でスプーンをくるくると回しながら……ウーリはしばらく黙したのち、口を開く。
「このゲームには封鎖型ボスと徘徊型ボスがいる。1マップにつき、どちらか片方が必ずいる。どっちもいる場合もある」
「はぁ。封鎖型っていうのは、私たちがさっき倒したやつですよね?」
「そう! 霊獣トロートとか、ブラックハウンズ・アルファとか……マップの境界を封鎖してるボス。つまり "乗り越えないといけない壁" として設定されてるボスとも言える」
その一方で──
「徘徊型ボスっていうのは、マップを自由に徘徊してるボス。こっちは倒しても倒さなくてもいい──つまり逃げていいボスなんだよね」
「逃げていい……逃げていいから、その分強い?」
「まぁそういうこと!」
チャレンジ枠──とでも言うべきか。
倒す必要がない代わりに、本来のレベル帯よりやや高難度に調整されたボス。
「そうなんだ……でも、徘徊型って今まで出会ったことないですね……?」
「ああ、そうだね。実は〈遠吠えの森〉には封鎖型と徘徊型がどっちもいたんだけど……私たちは1日で抜けちゃったから。あとは王都の東マップでも徘徊型が確認されてたかな」
「おお、さすがウーリさん……!」
相変わらずの事情通にメニーナは拍手し、ウーリは満更でもなさそうに「ふふん」と笑った。
「ああ、それと──」とウーリは調子付いて続ける。
「メニーナ、私たちと出会う前にどのマップを通ったか覚えてる?」
「どのマップって……と、〈遠吠えの森〉ですか?」
「ううん、もっと前」
「もっと前……ああ、そういえば、始まりの街から〈遠吠えの森〉に着くまでに草原がありましたっけ」
それだ、とウーリは頷く。
「全プレイヤーが必ず通る最初期マップ〈月詠遺跡平原〉……チュートリアル用のマップすぎて見逃しがちだけど、あそこもマップである以上は同じルールで動いてるはずなんだよ」
「同じルールって、あ……1マップにつき、封鎖型と徘徊型のどちらか片方が必ずいる……?」
「そう。でもあの草原に封鎖型ボスはいなかった。ならば代わりに徘徊型ボスが必ずいるはず──っていうのが自然な考え方だ。まぁ実際のところは、まだ見つかってないんだけどね」
その矛盾した内容に、メニーナは難しそうに眉をひそめた。
「見つかってない……? 一番最初のマップなのに、そんなことあるんですか……?」
「あるよ。徘徊型ボスは、文字通り徘徊するからね。見つけにくい場所を練り歩いてることもあれば……たとえば配置マップを抜け出すこともあるかもしれない」
「ま、マップを抜け出す……!? それって、いいの……?」
まぁ、いいんじゃないだろうか。
少なくとも、ひとりのプレイヤーを気に入った挙げ句、無抵抗でテイムされちゃう──なんて子もいるくらいだし。
「今、あの草原のボスはどこを徘徊してるんだろうね。街に侵入して人を殺してるかもしれないし、他のマップを次々攻略してるかもしれない。あるいは攻略最前線のプレイヤーたちを追って、すでにこの王都にまで来ていたり──なんてね」
「こ、怖い冗談はやめてくださいよ……」
はて、冗談のつもりはなかったが──と内心思いながら、ウーリは「うはは」と笑ってその場を誤魔化した。
*****
︎︎ 〈月詠みラナエル〉──その体躯は、ただのヒトと変わらない。
双剣を構えたまま、彼女はすっと腰を落とす。
その足元に黒い渦が巻き起こり、次の瞬間、渦が爆ぜたかと思えば──彼女の身体が視界から消えた。
「──ッ! ちょっと剣貸して!」
「は、はいっ!?」
──爆発的な加速。
気付けば目の前に迫るその剣撃を、プロ志望くんから奪い取るようにして借り受けた長剣で「──キンッ!」と弾く。
「この速度を片足だけで捌くのは、流石に無理だ……!」
交差する剣と剣──
弾き、そのまま剣の柄でラナエルの手首を殴りつけるも手応えは浅い。宙返りでもするかのように彼女の身体はふわりと翻り、今度は下方向からやってくる剣撃を靴底で逸らす。
瞬間、足にまとった黒風がごうと唸った。
水面を強く打ち、視界を遮るように噴き上がる水飛沫──同時にラナエルは斜め後ろから回り込み、背後を狙ってくる。
「まったく、上手いな」
水や地形まで利用してくるとは。
ともあれ俺は、反射的に肘を振り抜いていた。斬撃を放たれる前に肘打ちで頭部を殴りつけ──よろめいた身体に、そのまま回し蹴りをキメる。
「────ッ!」
ローブの向こうで、はじめてリアクションらしいリアクション──顔をしかめたような気配。
さらに振り抜いた長剣は交差する双剣に受け止められたが、そのまま交差状態の両手首をツルで巻き取って締め上げてやれば、がら空きになった顔面に拳を叩き込んだ。
ラナエルはかろうじて拘束を断ち切りながらも、水面の上を転がるようにして吹き飛んでいく。
「す、すげえ……兄貴が優勢だ……! ってか剣まで使えんのかよ!」
「うわーん! 見たい! ボクだって見たいのに!」
やかましい声が聞こえてくる。
フルルは未だ、視力が回復していないらしい。
まぁとにかく──追撃に走る。
ツルを走らせ最速で距離を詰め、飛びかかるように振り抜いた蹴撃が、逆手に握られた片刃に弾かれる。
だが、体勢は未だ崩れたままだ。超至近距離に突き出した片腕から弾丸のように射出したツルは、その根元を断ち切られようとも勢いづいてラナエルの顔面を殴りつけた。
「喰い散らかせ、メンデル」
切り離されたメンデルがラナエルの顔面に根を張り、夜の魔力を吸い上げ、黒い花を咲かせる。
無論、本体の制御下を離れたツルの一本が独立して動き続けることはない。しかし──ダメージに加えて相手をひるませる騙し打ちとしては上等だ。
驚いたように硬直するラナエルの首筋に、長剣を突き立てる!
「───ッ!?」
「……逸らされたか」
咄嗟に首を折り曲げたラナエル。位置をずらされた。
刃は首筋をざくりと切り裂くも、致命傷には至らず──ごうと足元の旋風が膨らんだかと思えば、俺たちは互いに吹き飛ばされるようにして引き離される。
一方で、ラナエルの顔面に張り付いたメンデルのツルは……着水時に爆ぜた泥水を浴びて、バタバタと悶え苦しむように彼女の顔面から落ちていく。
「厄介だな、塩水」
先のボス戦でもそうだったように、植物であるメンデルは塩を嫌う。
このあたり一帯は汽水域──つまり淡水と海水の混ざる場所だ。エネルギーを吸い上げる際、同時に塩水を吸い上げてしまう環境は、メンデルにとってはやりにくいだろう。
俺は自分の装備を確認した。
服、リュックサック、いずれも塩水をびっしょりとかぶり、汚染されている。
リュックサックに詰めた食料も、ほとんどが干乾びて消費済み。インベントリにはまだ残りがあるが、この場にばらまいたとて塩水の沼に沈んでしまう。無論、だからといって丁寧に食事をしている余裕もない。
「結局は短期決戦か。芸がないなぁ……!」
課題であるスタミナ問題が解決してないんだから、当然の結果だけど──迅速に相手を削りきる他にない。
だから俺とラナエルは、全く同じタイミングで跳び出した。
俺は水面を、彼女は空中をそれぞれ蹴って駆け出し
──互いの蹴撃が衝突!
彼女の足先に渦巻く夜風が、俺のHPゲージをわずかに削る。
一方でメンデルもまた、黒い旋風から「夜の魔力」を吸い上げ、その筋力と装甲力を増していく。顔面に咲き乱れる花々が、嬉しそうにざわめく。
幾度も幾度も、剣閃は交差し、離れ、再びぶつかり合う。双剣を弾き、回避し、カウンター気味に返す一撃もまた、突風に吹かれていなされる。
度々かすめる刃同士はいずれも致命的なダメージには至らず、ただ火花と波紋を散らすばかりだ。
もう何度目か、迫り来るラナエルに対して水面に這わせたツルがその足元で蠢き、回避を強いる。
ラナエルは軽く飛び上がるとそのまま双剣を振りかざすが、これは読めていた動きだった。
そのまま空中で互いの攻撃が衝突し──そしてその隙間に差し込んだ長剣の切っ先が、いよいよラナエルの肩を穿った。
「───ッ!」
「ようやく良い手応えだ」
迫り来る反撃の刃を躱すように、ツルを背後の木に撃ち込んで跳躍──勢いをそのままに、長剣の突き刺さった肩口を「ぐり」とえぐるように切り裂けば、ラナエルの足は一歩怯んだ。
そして上空から、落下の勢いを上乗せした蹴撃を振り下ろす。
防御の構えは間に合わない。
振り抜いたかかと落としがラナエルの頭部を見事に撃ち抜き、宙に浮いていたその身体がはじめて水の中に沈む。
「このまま押し切る!」
だが、追撃のために振り抜いた長剣の切っ先は──ずれた。
「──ッ?」
今度こそ首を刎ねるはずだったその軌道がぶれて、浅く肉を断つにとどまる。
──何だ? なぜミスった?
その答えを、俺は一拍遅れて把握する。
メンデルだ。
全身を補強するメンデルの繊維がきゅっと縮まり、痙攣でもするかのように妙な挙動を繰り返す。腕が震え、精密な制御が上手くいかない。
その原因が「塩」であることが、俺にはすぐに分かった。
「ちょっと時間かけすぎたか……!」
フルルとの戦闘に、ボスの連戦──
この汽水域で戦いすぎた。体内に蓄積した塩が、メンデルの動きを麻痺させている。
当然、その隙をラナエルが待ってくれるわけもない。
跳ね上がるように沼から脱したラナエルの足元で、渦巻く黒風がうねりを増した。次の瞬間、振り抜かれた足先が──音すら追いつかぬ速度で襲いかかる。
震える腕で、防御するように長剣を構え──
「あっ、兄貴ッ! それは受けちゃダメだ……ッ!」
──その忠告は、一歩遅かった。
これまで見た中で最も大きい黒渦。それが剣の守りを真正面から捉えた瞬間──
俺の身体は、吹き飛んだ。
「────ッ!?」
その威力は、あまりに強烈。
自分の身体が、水面の上を幾度も跳ねる。
ただの衝撃じゃない──おそらくは風の魔法。吹き飛ばしの威力に強い補正を持つ突風だ。
そういえば……最初に逃げてきて死に戻りしたプレイヤーも、こうやって吹き飛ばされて死んでいったっけ。
そんなことを思い出しながら、吹き飛んだ俺の身体はやがて大きな水上樹に激突して止まり──気付けばその鋭利な木の枝が、俺の身体を貫いていた。
胸に空いたいくつもの穴から、青白い粒子の煙が立ち昇る。
「し、初見殺しにも程があるだろ……」
なるほど──たしかにこれは、まともに受けちゃダメだ。
ひゅうひゅうと声が掠れる。
背後から身体を突き抜ける無数の枝は、見下ろせばなかなかにショッキングな光景である。
今、俺のHPゲージがかろうじて残っているのは、あの攻撃が風と夜の魔力をブレンドしたものだったからだろう。
攻撃の半分を占める夜の魔力を吸収し、筋繊維を強化した腕だけで攻撃を受けきった。ただ相性が良かっただけだ。
「とはいえ……これは、さすがに無理か?」
塩害による痙攣は相変わらず──
その上で、こうも身体を縫い付けられてしまっては、次の攻撃を避けることなど不可能だ。
だんッ! と空を蹴る音、そして黒渦のうなりが聞こえる。
ふと目を離した瞬間──ラナエルはすでに、至近距離まで迫っていた。
「────」
女は何も語らなかった。
ただ目の前の敵を刈り取るのみ。
逆手に握った双刃が、振り下ろされる。
「──ちょっと、待ったあああああっ!」
振り下ろされた刃が、俺の視界を覆った──その瞬間だった。
横から割り込む影。
そして甲高い金属音。
刃と刃が正面からぶつかり合い、火花を散らす。
──ああ、見慣れたナイフだ。
その頼りない刃渡りを、けれど器用にあてがって──ラナエルの双剣の軌道が、見事に弾き飛ばされる。
「せっかくのふたりきりだったのに……横槍いれてんじゃねーぞ、おじゃま虫がよお」
現れた黒猫少女──
フルルは俺に背を向けて、ぐるぐると唸るように言う。
「トビくんを殺すのは、このボクだ」
……うわあ。
台無しだよ、良いシーンだったのに。
さらに振り抜かれるラナエルの斬撃を、フルルは当然のごとく弾いた。
弾き、受け流し、黒風を纏った蹴りを見事に躱して──そして抜けた先に振るうナイフが首元を掠めると、ラナエルは初めて驚愕したように距離を取る。
そして直後──
「兄貴ィ! こいつを!」
「……うん?」
今度は、別の影が水面を走ってくる。
逆立った金髪の彼だ。肩を上下させながら、必死の形相でこちらに駆け寄って──
「こいつを、使ってくれえ──ッ!」
──その手から放られる、ガラス瓶がふたつ。
俺は反射的に、投げ渡されたそれを手に取った。これは……
「……ポーション?」
キャッチした2本のガラス瓶には、どちらもポーションらしき液体が閉じ込められていた。それぞれ異なる色をしている。
一方は青く輝く神秘的な色。
もう一方は反対に赤黒く、どろりとした質感である。
俺は受け取ったそれらを一度インベントリにしまい、名前と効果を確認する。
Item:トロートの秘薬
Rarity:ボスドロップ
霊獣から賜る青い秘薬。
その優れた回復作用は、かつて王家が在処を秘匿していたほど。
服用することでHPとMPを大きく回復する。クールタイム300秒。
Item:霊髄獣血
Rarity:オリジナル
霊獣トロートのどす黒い血。
中でも髄から採れる獣血はきわめて稀少であり、これはそうした獣血を発酵させ、効果をより高めたものである。
服用することでスタミナを大きく回復し、代わりに軽度の毒を受ける。
「…………」
……どっちも超レアアイテムじゃないか?
特に後者は、ボスドロップをさらにオリジナル加工したもの──要するに、俺がビルマーに作ってもらった「ドレ=ヴァロークの灯火」と同レベルの特注品だ。
「……ああ、分かったよ。ありがたく頂こう」
今、ここで遠慮するほうが失礼だ。
俺は受け取ったふたつのポーションを、躊躇わずに一息で飲み干す。
途端、ミリ単位まで削れたHPゲージは目に見える勢いで回復し、またマスクステータスであるスタミナがみなぎってくる感覚──味はお世辞にも美味しいとは言えないが、とても心地が良い。
ああ、全く……
ここまでしてもらったら、もう負けられないじゃないか。
さあ、そんな負けられない俺が次に解決しなければならない問題は──
「塩害対策だ。接ぎ木を急ぐぞ、メンデル」
そう声をかけて、俺は自分の胸を貫く水上樹──マングローブの枝を掴んだ。




