023 - 夜の殺人者たち
ぶしゃり──血液の代わりに青白いポリゴンの飛沫を噴き上げ、俺の喉が切り裂かれる。
同時に、知っている少女の声が聞こえた。
「あれ? 途中で止まっちゃった」
「こい、つ……ッ!?」
おそらく、頸部に這っていたメンデルのツルが束になり、かろうじて頸動脈を守ってくれたのだろう。HPゲージは尽きていない。
飛び退くように距離を取れば、自分のナイフを不思議そうに見つめるプレイヤーキラー、フルルの姿があった。
おでこの位置で切り揃えられた前髪が揺れ、あざとい黒猫耳がぴくぴくと動く。
「まぁいいや──じゃあ、もういっかい」
そう言って、猫目の中に浮かぶハートマークさえ錯覚するような、じっとりとした甘い笑み。
しかしその表情に反して、彼女の身体は「ダンッ!」と弾丸のように跳び出し──こちらへと迫る。
足がもつれそうになるのを、ツルを後方の枝に射出し引き寄せることで、強引に間合いを開ける。
「まさか、ずっと追ってきてたのか……?」
「はい! でも速すぎて全然追いつけなかったので、タイミングは偶然です!」
「本当かよ……」
「嘘です!」
嘘かよ。
つまりこのガキは、しっかり俺が弱るのを待ってやがったわけだ。
どうも、彼女は戦闘狂という感じでもないように思う。
不意打ち上等、獲物が弱るのを待って丁寧に殺しにくる。
正々堂々の決闘が好きなわけでもない。だからといって、人殺しが好きというのも違う気がする。強いて言えば──
「PvPが好き……?」
「はい、好きです。だってトビくん見てたから!」
振り抜かれるナイフを、かろうじて無事な片足の靴底でガンッ! と弾く。
じいっと目を細めて、少女は言う。
「トビくんの鮮やかなキル、とっても憧れます。丁寧なハイドも、綺麗な漁夫も、トビくんがかっこよかったから大好きになりました。だからボクもやりたいんです」
──こ、怖い!
憧れ──なんて厄介な感情なんだ。
フルルはへにゃりと可愛らしく笑い……その指の先で、ナイフの軌道がぬるりと滑ったかと思えば、斬撃はすぐ目の前に迫っている──!
「上手いな……!?」
「えっ、えへへ、そうですかぁ?」
「素直に褒めたらキモいなぁ!」
満更でもなさそうなふにゃふにゃ笑顔を浮かべたまま、容赦なく撃ち込まれる刺突連撃。その切っ先を、かろうじて腐蝕に耐えた靴底の鉄板だけで弾き、受け流していく。
──5発。
弾き、弾き、弾き、一拍ディレイ──弾き、弾く!
「あっぶねえ……!」
「わあ綺麗。反射がお若いですねえ」
たしかに速い。速い上に、緩急が良い。
ゆらゆらとした不安定な体勢から、ふっと気付けば首筋までナイフが迫っているという恐怖。意図的にずらされた剣撃のリズム。
スタミナはひとまず問題ない。
あのアメフラシ野郎をしっかり吸って帰ってきたからだ。リュックの中はほぼ空っぽだが……まぁ、例の花装束を纏わなければ、ひとまずは持つだろう。
問題は、フルルがとんでもなく上手いプレイヤーだってことだけだ。
「はぁ……まぁやるしかないか! せっかくクエストも受けたし」
「クエスト? クエストってなんですか?」
「殺人鬼を殺せってギルド依頼だよ」
「えっ、殺人鬼がいるんですか!? 怖い!」
……俺はお前が怖いよ。
ファンガールなのは良いとして、そのデタラメな性格は一体どこから来たんだ。
鋭い一閃を、身を屈めて躱す。
絶えず交差するナイフと体術の応酬。
水音と金属音が幾度も重なり、刃が鉄にぶつかり合うたびに火花が散る。
手首からツルを射出して、均衡を打破しようとすれば──
「それダメです」
──その瞬間、ぬるりと差し込まれたナイフに根本からツルが切り落とされる。
たしか前回も綺麗に全く同じ対応をされた。
この精密過ぎる対応は、映像ログから射出動作の勉強もしてきていそうだ。この子ならそれくらいやっているだろうという確信さえある。
とはいえ……
「別に、手首からしか射出できないわけじゃないんだけどな」
その瞬間──フルルの身体は、ひっくり返った。
「えっ?」
足元だ。
水に沈んだ足首から伸ばしたツルは、そのまま沼の底を走り、フルルが間合いへと入ってくるのを待っていた。
踏み込んだ瞬間──ツルは少女の足首を強烈に締め上げ、バランスを崩す。
すっ転んで宙に浮いたその顔面に叩き込む──渾身の拳撃。
「ぶッ飛べ」
「ぎゃん──ッ!?」
──ダンッ! と肉を正面から捉えた最高の手応え。
その頬に撃ち込まれた打撃は、フルルの軽い身体を悠々と吹き飛ばす。水面の上を何度もバウンドするようにして遠ざかっていく少女の身体を──
「はい、もう1回」
「う、うわああああっ!?」
──足首に絡みついたままのツルが、再び引き戻した。
ぎゅんッ! とゴムの収縮するメンデルに、空中を引き摺られて戻って来るフルルの身体を──再度、ぶん殴る。
「ぐえッ!」
「なんでそんな "やられ役" みたいな悲鳴ばかり……」
まぁ、手加減するつもりもない。
戻って来る勢いをそのままに、衝撃を上乗せする一撃。ボクシングのように素早く拳を撃ち込む。打撃を重ね、重ね、重ねて──容赦なく!
「よし、イメージ通りの動き」
フルルの身体は再び、水面の上を何度も跳ねるようにして吹き飛んでいく。
ただし前と違うのは、足元を巻き取っていたはずのツルがいつの間にか切られていたことだ。防御は無駄だと即座に判断し、ダメージ覚悟でツルを断ち切ることを優先したらしい。このあたりも判断が良い。
本当なら、このままトドメまで連撃で持っていくつもりだったが……
「かなり良いダメージは入ったみたいだし、十分かな」
水面を跳ねて運ばれ、芦の茂みへと叩きつけられたフルルの身体は、ぐでりと全身を弛緩させて力尽きていた。
何度も殴りつけたその顔面は深くえぐれ、青白いポリゴンの粒子が煙のように立ち上っている。
欠損系の状態異常か、あるいは脳震盪のようなシステムがあるのかも分からないが──いずれにしても、スタン状態には変わりない。
俺は取り出したHP回復ポーションを飲み干しながら、沼の中を歩いてフルルに近付いた。
そのときだった。
「トビくん、なんか来てます」
「……!」
──倒れたままのフルルが、はっきりとそう言った。
そのえぐれた顔面には、未だグロ表現規制用の青白いテクスチャが張り付き、前もまともに見えていないはず。しかし頭の上に跳び出た猫耳は、ぴこぴこと右側を向いて反応している。
──右側?
右手側を振り向くように、俺が一歩後退したその瞬間──その方向から何かが飛来した。すさまじい勢いで、俺とフルルの間を吹き飛んでいく。
「……ッ!?」
「まったく、誰ですかねえ。せっかくボクとトビくんのふたりきりだったのに」
つまらなそうにフルルは言うが、それどころではない。
泥を巻き上げて転がり込んできたそいつには見覚えがあった。
ついさっき助けたプロ志望プレイヤーのひとりだ。
その身体は浅い水面の上を何度も転がり、やがてマングローブの幹に激突すると、青白い粒子に分解されるようにして消滅──つまり死に戻りする。
なんだ?
何が起こっている?
答え合わせでもするかのように、同じ方向からもうひとりのプレイヤーが必死の形相で走ってくるのが見えた。
こっちも見覚えがある。たしか冒険者ギルドで絡んできた張本人──逆立った金髪の男だ。
「あ、兄貴……! 兄貴ィ! 助けてくれ、殺人鬼が──ッ!」
「……はい? 兄貴?」
……兄貴って誰?
もしかして、俺のことでいいのか?
それに「殺人鬼」っていうのは──俺はふと、ぐでりと倒れ込んだままのフルルを見たが、彼女は「はて?」と首を傾げるだけだった。
だがその瞬間──
助けを求めて叫びながら駆けてくるプレイヤーの背後に、影は現れた。
「……ッ! おい、後ろ!」
「へっ?」
それは、黒いローブをまとった誰か。
ぱっと見ではシルエットが分かりづらいが──女性か? その様相はまるで暗殺者だ。足元には黒い風の渦が逆巻き、彼女は「空中に浮いたような姿勢」で突如として出現した。
プレイヤーが背後を振り向くよりも前に、女はその腰から、するりと音もなく双剣を引き抜く。プレイヤーの首元に剣閃が振り下ろされる、その瞬間──
「ああ、もう、仕方ない!」
──俺は駆け出していた。
飛び込むように振り上げた脚──靴底に仕込んでいた鉄板が、暗殺者の双剣を「──ガンッ!」と弾く。
「誰だ、お前?」
「…………」
女は答えない。
ローブの向こうには不自然に暗闇が広がり、その相貌を拝むこともできない。
ぶつかり合った刃が火花を散らし、そのまま俺の靴底を弾くようにして後方へ飛び跳ねた女は、着水する前にふわりと浮遊した。
その足先には相変わらず、黒い旋風が静かに渦巻いている。あれで浮いているのか? いや、そんなことよりも──
「あ、兄貴! すまねえ、助かったァ……!」
「兄貴になったつもりはないけど、それよりこいつは?」
「だ、だから殺人鬼だって! 俺らが探してた、依頼のフルルって女だろ……!?」
……うん?
俺は前方の女の挙動に気を配りながらも、フルルの方をちらりと見た。
どう見たって、本物のフルルはここにいる。
「あのクエスト、まさか人違いか……?」
「クエスト? それって、さっきトビくんが話してたやつですか?」
「ああ、そうだよ。プレイヤー・NPC合わせて100人殺した凶悪犯がいるから討伐してくれってさ」
「え、なんですかそれ。ボク、NPCなんて殺してないですよ」
……そうだった。
こいつはPvPが好きなんだ。
PvE──つまりNPCやモンスターとの殺し合いになんて興味がない。
あのクエストのターゲットは、フルルじゃない。
「あ。トビくん、来ますよ」
「──ッ!」
依然その正体は分からないまま──次の瞬間、黒い旋風がごうと勢いを増した。
一瞬の踏み込み。フルルの言葉に「来る」と構えていたはずなのに、動いたと理解した頃には、その姿はすぐ目の前に迫っている。
振り抜かれる双の剣閃──反射的に後退し、その手首にツルを絡めるようにして剣の動きを止め、しかし次の瞬間にはその拘束も断ち切られる。手の内で「くるり」と回転した双剣が、音もなくツルを撫で斬りにする。
「どいつもこいつも、斬れ味の良い武器を……!」
「…………」
振りかざされる剣を躱し、弾き、カウンターのように拳を撃ち込むも、その手応えは浅い。
足元で廻る黒風が空を蹴り、女は攻撃を上手く受け流しながら水面に着地──間合いを取り直した。
それと同時に、俺は気付く。
あの黒い疾風の魔法の正体だ。
黒風にツルが触れた瞬間、俺の中でメンデルがざわめく気配があった。
「あ、兄貴!? あの、なんか、顔に花が……!」
「ああ……分かってるから、あんまり気にしないで」
「そ、そうすか……?」
彼が狼狽えるのも無理はない。
ぶちぶちと──自分の顔から肉を断ち切る音がする。
俺の制御を無視し、顔面の半分を突き破って咲く黒い花。
花は群れを成し、咲き乱れる。
こいつを接ぎ木して以来、メンデルがこうやって喜ぶ瞬間は決まってる──夜の魔力を吸い上げたときだ。つまりあの黒い疾風は、夜属性の魔法だということになる。
「で、でも、どうなってンすか……フルルじゃないなら、こいつ一体誰なんですか……!?」
そうわめく彼の言葉を聞きながら──そのとき、俺は中華料理屋で交わしたウーリとの会話を思い出していた。
『たとえばプレイヤーもスキル次第で "闇属性" の魔法が使えるけど、これは "夜属性" とは明確に区別される。要するに──』
『プレイヤーには使えない力なんだよ、夜の魔力って』
…………。
このゲームには、プレイヤーの頭にプレイヤーの名前が表示される──なんて親切なシステムは存在しない。
NPCとプレイヤーの違いなんて話してみなければまず分からないし、それはモンスターが相手だろうと同じだ。
だから俺は──片手でメインウィンドウを開き、戦闘ログを確認した。
『徘徊型ボス〈月詠みラナエル〉が確認されました』
──ああ、やっぱりね。
直前にギリギリなボス戦をしていたからか、妙な勘だけが冴えている。
黒ローブの女──〈月詠みラナエル〉は、手の内にくるくると双剣を回し、そして逆手に構えた。
「仕方ねえなぁ……」
さあ、こうなれば自棄だ。
本日3体目のボス戦といこうか。




