022 - 雨降らしのメヌエラ
土砂降り雨の降り始めたボスエリア。
ぐぽぽッ……ぐぽぽッ……と奇妙な咆哮を上げるボス、メヌエラ。
夜に加え、この土砂降りの視界に、深く浸水した足場……メンデルのツルを用いた空中戦がなかったらと思うと、ぞっとするほど最悪なボス戦だ。
まぁ、とにかく先手必勝。
枝から枝へ跳び渡り、俺は高度を取った。
そして上空から勢いよく降下するように──メヌエラの背中を狙った一撃。靴底の鉄塊に勢いを乗せたかかと落としを叩き込む。しかし──
──ガンッ!
「硬……ッ!? 」
鈍い金属音と共に跳ね返される蹴撃。
そういえば、アメフラシって生物は……退化した貝殻が背中の肉の内側に格納されているのだっけか。
肉厚な背中の内側に、強烈な装甲の手応え──鉄板のように硬いそれに弾かれて、まともなダメージが通った感じはない。
それもただ物質的に硬いだけでなく、ボスオオカミ戦でも感じた "魔眼による装甲強化" ──つまり夜属性の強化に近しいものを感じる。
跳ねるように身を翻し、俺が着地したそのとき──
──メヌエラが動いた。
ぶるり──とその軟体が震えたかと思えば、全身から黒い魔力がどっと溢れる。
腹部から何本もの手足──人間の赤ん坊のそれにも似た無数の突起が突き出し、ムカデのようにうねりながら地面を蹴る。
「ぐぽぽッ! ごぽッ──!」
「き、キモッ……」
……いや、人のことは言えないけども。
突進──重たげな見た目に反して、その動きは俊敏だ。
バタバタと手足を叩きつけるようにして、迫り来る!
「速いな……!」
「ぽぽぽ──ッ!」
ツルを地に走らせてステップを補助し、跳躍──側面へ滑り込むように回避! さっきまで立っていた場所を巨体が駆け抜け、わずかな足場として残っていたマングローブの根をへし折っていく。
背中にはほぼダメージが通らない。
ならば仕方なく、攻撃はあの気持ちの悪い手足へ。
蹴りつける。切り裂く。
反転してバタバタと迫りくる巨体を、また上空へと跳躍して躱す。
しかしそこで──俺は「嫌な感覚」に気付いた。
全身に覚えたかすかなひりつき。皮膚が焼けるような感触と──同時に、足元で「ぴしり」と何かが軋んだような音。
「──まさか、腐蝕毒?」
自分のHPゲージがじりじりと減っている。
暗器靴の足先に仕込まれた刃が、気付けば赤く錆び、そして腐り落ちてしまっている。
俺ははっとして上を見上げた。
降り注ぐ土砂降り雨に、わずかな色がある。雨粒は紫色に濁り、触れた肌が赤黒く変色していく。
人を蝕み、武器を破壊する──毒と塩の雨だ。
「マジで言ってんのか……まだ序盤も序盤のマップだってのに」
なんて殺意の高いボスだ。
塩、それは植物であるメンデルにとっても天敵だ。〈異常耐性〉のおかげでスリップダメージは軽微だが……金属腐蝕の方も洒落にならない。怯んで一歩後退したその瞬間、腐蝕した片足の刃が「ぽきり」と音を立てて折れた。
「ぐぽぽぽ──ッ!」
「ああ、休ませてはくれないな……!」
迫り来る突進をギリギリで躱し、蹴りを叩き込むが──当然、武器としての能力を失った暗器靴ではダメージも下がる。となれば……
「ボス戦で毎回これをするのも芸がないが──仕方ない。メンデル!」
呼べば、ツルは全身へと走った。
足元から頭へと──肉体に沿って束ねられた灰色のツルは鎧となり、ぶわりと咲いた漆黒の花束がざわめく。
「蓮の傘」
肩や首から生える無数のスイレン。
巨大な円盤状の葉が、降り注ぐ塩の雨を弾く。
「火を灯せ、ドレ=ヴァローク」
こうなればスタミナレースだ。
短期決戦、夜の炎を灯す。
リュックサックの中に突き込んだツルが、大量の生肉からエネルギーを吸い上げ続けるが──降る塩水もまた、バッグの中に染み入っていく。メンデルが嫌がり、悶え苦しんでいる気配を感じる。本当に時間はなさそうだ。
「さあ、来いよ」
「ぐぽぽッ! ごぽぽぽ──ッ!」
泥を巻き上げながら突進する、ぬめりをまとった巨体──飛び退きながら、頭頂部に蹴撃を叩き込む!
当然、手足の攻撃よりもリスクは高い。
ギリギリまで突進の正面に立つわけだから、被弾はしやすくなる。
だが、ここからはダメージ効率重視──
スタミナが尽きる前に、塩の侵蝕が進む前に片付ける! 少しダメージを喰らうくらいは目を瞑ろう。
ダメージの期待できる頭部に、俺はひたすら打撃を重ねる。
ぶん殴り、蹴りを放ち、槍で貫き……しかし避けきれずに突進が掠めると、俺の身体が一方的に吹き飛ばされる。
当然だ、相手との重さが違いすぎる。
ただし──
「──苔生す揺籃」
俺の身体を、ぶわりと増殖したミズゴケのクッションが受け止める。
接ぎ木によって取り込んだ「ミズゴケ」の形態。多量の水を含んだスポンジのような多層構造が、衝撃系ダメージをわずかに軽減する──自動車に搭載される "エアバッグ" のような使い方だ。
致命傷でなければ良いのだ。
俺は適当なHP回復ポーションを取り出しツルで吸い上げながら、そして何事もなく体勢を立て直す。
跳躍、跳躍、さらに跳躍。
木の枝にツルを引っ掛け、張り巡らせながら──高所を駆け回っては打撃を重ねていく。
一方、メヌエラの反応速度もまた次第に上がっていた。
頭に突き出た触角によって、振動か気配でこちらを捕らえているらしい。蹴りを叩き込む直前、触角がぎょろりとこちらを向き──
「ぐぽぽぽぽ──ッ!」
「危なッ……!?」
──ばくんッ!
開いた大口が俺の足を噛み千切ろうとしたところを、咄嗟にツルを使って後方へと飛び退く。
欠損ダメージはシャレにならない。
少なくともそういう状態異常が存在するのは、前回のウーリを見て確認済みだ。
というか今、口の中に人間の歯が揃ってなかったか……?
気色の悪い手足といい、一体どういう生態なんだ。
さて、夜の炎の残り時間はどれほどか──
だがそうしているうちに、俺は他にも異変に気付いた。
どうも、メヌエラの姿勢が徐々に変化してきている気がする。
前足と比べて後ろ足が徐々に発達し、頭が高く持ち上がり、腹が伸び、これはまるで──
「……立ってる?」
──人間のような二足歩行を目指しているかのように、上半身を起こし始めている。
これはおそらく、俺が高所を跳び回ってばかりいるからだ。
高所を移動するこちらに合わせ、攻撃が届く高さを調整している──つまりプレイヤーの動きに合わせて体型を自己改造するモンスター。
「ははっ、良いな……!」
プログラム通りの動きしかしない敵なんてつまらない。
こっちのほうがいい。
「それに……わざわざ転ばせやすい体勢になってくれた」
やや頭をもたげるようにして、なるたけ高い範囲を攻撃しようと駆け出す巨体──あまりにもバランスが悪いじゃないか。
俺は跳躍し、あたりの樹木に張り巡らさせたツルを幾重にも束ねる。
そして、空中で一閃──首の根本へひっかけるように、その強靭なツルを滑り込ませた。
メヌエラが俺の真下を駆けて過ぎ去っていく、その瞬間──
「よし、倒れろ」
「ごぽッ……ぐぽ、ぽぽぽ──ッ!?」
立ち上がった姿勢のまま、首にツルを巻いたまま──自分の突進の勢いに引き摺られるように、その巨体はひっくり返った。
ばしゃんッ──と爆ぜるように水飛沫が上がり、ぶくっと膨れた腹が剥き出しになる。
ランタンの灯に照らされたその腹は半透明な斑柄で、内臓の動きまで透けて見えるようだった。
「さあ、どう見ても弱点だ……!」
降下するままの勢いで、俺は蹴撃を叩き込む。
軟体の上に波打つ振動──臼歯の生え揃った口から、嘔吐するように噴き出る大量の泥。苦しそうだ。
トドメは槍だ。
もはや使い物にならない暗器靴の代わりに、脚部にまとったツルは形を変える。槍状に成形・硬化させた茨の槍で、俺は踏みつける。突き刺し、突き刺し、突き刺し、突き刺し──突き刺す!
「ぐぽッ……ごぽぽ、ぽぽぽッ……!?」
「いくら汽水域の生き物でも、体内まで塩っ辛いってことはないよなぁ! エネルギーいただきます!」
言葉通り「踏みにじる」ような連撃が腹部を裂き、内側に潜り込んだ無数の槍が、その身体の中に根を張っていく。
深く、深く。蝕み喰らう。
ねじ込むように侵略していく捕食者の猛攻が──やがて、その巨大な生命を吸い尽くした。
『〈雨降らしのメヌエラ〉を撃破しました』
『DAYBREAK Achieved』
『〈沈めの三叉洲〉の夜が明けます』
*****
ボスエリアを出れば、夜が明けていた。すっかり雨も止んでいる。
遠く、晴天の空にうっすらと顔を出した太陽が、視界いっぱいの水面をオレンジ色に照らしている。
「はあ、なんか疲れたな……」
色んな意味で、奇妙なボス戦だった。
せっかく仕立ててもらったばかりの暗器靴はボロボロになり、片方は完全に破損して武器としての性能を失ってしまっている。
とはいえ、戦果も大きい。
まず経験値。
メインウィンドウを確認すれば、そこにはようやく経験値の使用メニューが解禁されていた。つまりボス戦を4つこなしてようやく借金がプラスになったわけだ。
さっそくスキルスロットを6つに拡張──
「おお、本当にスロットが増えた……!」
少し考えて、俺は〈蹴術使い〉を一度スロットから外した。暗器靴が壊れてしまい、蹴りにこだわる必要がなくなったからだ。
代わりに〈園芸〉〈庭師〉をセット。帰り際、視界の晴れた湿原で植物を摘んで帰るのも良いだろう。
Name:トビ
Race:人族
Slot:6
Skill:〈★魔花使い〉〈★園芸〉〈★庭師〉〈★滋養強壮〉〈★軽業〉〈★異常耐性〉〈支配耐性〉〈蹴術使い〉〈休息〉
これで経験値はまたすっからかんだ。
もう少し経験値が溜まったら、次はいよいよスタミナ管理系の新規スキルを狙う方針でいきたい。
経験値の他には、ボスドロップの素材もなかなか美味しい。特に良さそうなのはこの2つだろうか。
Item:黒真珠鋼
Rarity:ボスドロップ
永き変異の末、メヌエラが体内へと仕舞い込んでいたそれは、妖しく黒光りする貝殻であった。
その重厚な生体鉱物は「魔法金属」としての性質を呈し、夜と水の魔力に強く反応する。
Item:メヌエラの偽神核
Rarity:ボスドロップ
怪物は小さな雨神として信仰を偽り、かすかな神秘を得た。
この宝珠は、そうした昏き神秘の源である。
ソロ討伐のおかげか、黒真珠鋼は特に大量。
ビルマーに渡せば、試作中の装備品がより高いクオリティで仕上がるだろう。
一方、メヌエラの偽神核のほうもランタンの強化に使えるはずだ。
現在「夜の炎」の魔力トリガーにしている "黒狼の魔眼" は、他の夜属性素材に入れ替え可能ということだったから──これで夜魔力の持続時間を伸ばすことができるかもしれない。
それにしても、今日だけでボス2体を撃破か。
さすがに次のマップに進む元気はない。
それでも俺がすぐにファストトラベルで帰らず「沈めの三叉洲」に戻ってきたのは、なんとなくさっき会ったプレイヤーたちのことが気になったからだ。彼らは無事にやってるだろうか。
「挨拶だけでもしたいけどなぁ」
彼らのおかげでボスエリアが発見できた、というのは間違いない。まぁ今から元の場所に戻って会えるかどうかは分からないが──
その瞬間、肌に触れたのは金属の冷たさだった。
「……ッ!?」
ぞくりと背中が強張る。
振り返るより早く、首筋をなぞる刃の感触。
ぶしゃり──血液の代わりに青白いポリゴンの飛沫を噴き上げ、俺は喉を切り裂かれた。
まだまだ連戦が続きます。
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