5話 科学霊具
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五月十六日、警視庁公安部退魔課。
誠がこの通称マイナス課と呼ばれる摩訶不思議な部署に配属されてちょうど二週間が過ぎた。
「ヒマですねー」
与えられたデスクに突っ伏す誠。というのも、初日の激動が嘘だったのではないかと思うぐらい出動要請がなく、かと言って他に仕事もないので完全に時間を持て余していた。
「しょうがないさ。事件が起きなければ動けないのは部署に関係なく警察の性だからねぇ。取り分け、人間と違って妖魔は絶対数が少ない分どうしても事件は少ないんだよ」
同じく暇を持て余している橋渡《上司》からそんなお言葉をいただく。
ちなみに、綾音は我関せずの態度で、自身のデスクで読書に勤しんでいた。
「まぁ、言い換えれば平和ってことさ。僕たちが忙しかったら、それこそ世も末だよ」
「そうなんですけどねー。でも、何もしないっていうのはなぁ」
税金ドロボーと変わらない。そう誠がブー垂れていると、
「……アキラさん、帰ってきてるみたいですよ」
綾音が本を閉じ、ため息を連れ立ってそう言った。
「あれ? そうなの? 僕聞いてないんだけど……」
「今朝帰ってきたらしいですよ。橋渡さんに報告がないのは……、ああいう性格だからです」
「ハハハ、めんどくさがりだからねぇ彼女。――うん、でもいいこと聞いた。誠君仕事ができたよ」
「はい! なんでもしますよ!」
話の流れは全く分からないが、ようやっとこの無為な時間から解放されると思うと、声に力が入った。
「いやいや、そんなに張り切ることじゃないんだけどね。今、話してたアキラちゃんのところに行ってきて欲しいんだ」
「それだけですか?」
「うん、今後ウチで働く以上、彼女の協力は必要不可欠だからね。本当はもっと早く紹介はするつもりだったんだけど、彼女の仕事の特性上、他の署に飛び回ってることが多くてさ」
「他の署……って、対魔課って、ここ以外にもあるんですか?」
誠はてっきり対魔課は警視庁限定の組織だと思っていたので、寝耳に水だった。
「勿論あるよ。四七都道府県全部を僕達で見ることはできないからね。なんなら、東京に限定すれば都心部の署にだってある。違うところがあるとすれば、ウチが公安部預かりなのに対して他は警備部預かりなぐらいかな」
「へー、全然知らなかったです」
「まぁ、一応秘匿部署だからね。――って、話がちょっと逸れちゃったな」
「ですね。じゃ、話を戻しますけど、結局そのアキラさんって人は、何をしてる人なんですか?」
「それは本人から訊くといい」
会ってからのお楽しみ、と橋渡は言う。逸れるだけ逸れて、本筋の話はボカされる。まるで人生みたいだな、と誠は感慨に耽った。
「何はともあれ、とりあえず行ってきます!」
「はーい、よろしくねー。――じゃ、綾音も道案内よろしく頼むよ」
「は? 私ですか?」
「うん。だって、誠君はアキラちゃんの場所知らないだろうしさ。ついでに綾音も挨拶してきなさい」
「…………分かりました。私もアキラさんに用事がありましたから、どのみち後で行くつもりだったので、ちょうど良かったです」
本をデスクの引き出しにしまうと、綾音は立ち上がった。
後で行くつもりだったが、誠とは行くつもりはなかった。それはつまり、誠とは一緒に行きたくないと暗に言っているようなものだ。
(随分と嫌われちゃったなー)
この二週間、綾音とは業務以外のことでろくに会話していない。というより、誠が話しかけても一方的に無視されていた。最初はその理由をグイグイ訊いていたのだが、どうやら逆効果だったようで、彼女はより一層不機嫌になって殻に閉じこもってしまった。
橋渡曰く、「前にも言ったけど、単純に人見知りなだけだから、放っておけば自ずと話してくれるようになるよ」とのことだったので、今は敢えてそっとしている。
「……何をボサっとしてるんですか。早く行きますよ」
「うす!」
ジト目で綾音に睨まれる。怒り気味だが、久々に向こうから話しかけてくれたので、誠のテンションは少々上がった。
そのナメていると思われても仕方ない態度が、彼女の好感度を下げているのを青年はまだ知らない。
※
部屋を出て、しばらく廊下を歩いていると、とある部屋の前で綾音の足がピタリと止まった。
「この部屋です」
やはりパッと見はなんの変哲もない部屋ぽかった。
「ふーむ、鎮圧係の事務所の時も思いましたけど、見た目は普通なんですねー」
「秘匿部署なんだから当然でしょう。これみよがしに分かりやすい部屋を用意する訳ないじゃないですか」
「あ、それもそっか。――てことは、中もウチと同じく普通なんですか?」
「それは……、見た方が早いと思います」
と、綾音は何故か口ごもって逃げるようにドアノブを捻った。
「失礼します」
「失礼しまーす!」
綾音は恭しく、誠は快活に部屋の中に入った。
「おお!」
中に入るなり、誠は感嘆の声を上げた。
恐らく、幾つかの部屋をぶち抜いているのだろう。中はとんでもなく広かった。天井のライトは必要以上に明るく室内を照らし、白のタイルの床と壁がそれを乱反射して、ちょっと目が痛いぐらいだった。
だが、誠が感激したのはそこではない。
「なんですかここ! 武器庫?」
そう、壁一面に近接武器は日本刀は勿論のことナイフから青龍等まで揃っており、遠距離武器は拳銃からマシンガン、果てはバズーカまで多種多様な武器がズラッと並んでいた。ここが警視庁でなければ、百人が百人米軍基地だと答えただろう。
「惜しいな。少々ニュアンスが違う」
映画でしか見たことない武器の数々に誠が感動していると、奥から誰か出てきた。
現れたのは白衣を纏った金発の女性だった。よく見なくとも美人なのだが、目の下のクマとその全身から放たれる陰気なオーラがそれを感じさせていない。
「アキラさん」
綾音が白衣の女性の名を呼んだ。
「やぁ、綾音。見ない間にまた綺麗になったね」
「……見ないって、つい一ヶ月前に会ったばかりじゃないですか」
「そうだったかな? ふふ、いいじゃないか。そんな小さいことは」
呆れる綾音を、白衣の女性もといアキラは小さく笑い飛ばした。
「それより、そっちの彼は? 見ない顔だが」
白衣がゆらめき、アキラの視線がこちらに向いた。
「初めまして! 最近対魔課に配属されました黒瀬誠と申します! 以後お見知り置きを!」
「おや、元気の良い挨拶ありがとう。私は鳳蔵院アキラ。公安部対魔課科学霊具開発係の係長している者だ。……君が、噂の新人君だな」
「噂? どんなですか?」
「ああ、それはね――」
言い終える前に、アキラは白衣の内側に手を突っ込んで、そこから素早くナイフを取り出すと、その切先を――誠の眼球ギリギリに突きつけた。
「アキラさん!? 何を!!」
同僚の前触れのない奇行に、綾音が声を荒げる。
対して、当の本人である誠とはというと、
「えっと……、これって何か試されてるんですかね?」
意図を読みきれず困惑こそしていたが、特に驚いた様子はなかった。
「ふふ、眼前にナイフを突きつけられても身じろぎ一つしないか。普通なら分かっていても反応してしまうものだが、どうやら恐怖がないというのは本当らしい」
唇を広げて怪しく笑うと、アキラはナイフをしまった。
「すまなかった。どうも昔から気になったことは確かめずにはいられない性分でね」
「そんな理由で! まかり間違って当たったらどうするつも――」
「ああ、そうだったんですね。納得しました」
「……りですか」
効率的ですね、と今しがたナイフを向けてきた相手を褒める誠。そんな後輩の姿を開いた口が塞がらない様子で綾音は見る。
「? どうしたんですか水蓮寺さん?」
「いえ……、もうどうでもいいです」
ぷい、とそっぽむかれてしまった。理由はまるで分からないが、どうやらまた機嫌を損ねてしまったらしい。
「ふふ、それで今日は私の業務内容を知りたくてきたのかな?」
「はい!」
「いえ、私は刀のメンテナンスに来ました」
誠が元気よく肯定し、綾音が冷静に否定する。
「そうか。なら綾音は奥の部屋に行ってくれ。部下が対応する」
「アキラさんがしてくれないんですか?」
「そうしたいのは山々なんだけどね。生憎だが私には新人君にこの部署について説明するという超重要使命がある、メンテナンスも重要な仕事だが、こちらは私以外にもできる」
「説明こそ、誰にでもできるじゃないですか……」
「それがそうでない。この部署の仕事の全容を把握しているのは私だけだからね。あとは個人的に黒瀬君に興味が湧いた。もう少しお喋りしてみたいのさ。――なに、私の部下は皆優秀だ。安心して任せたまえ。――あと、綾音もそろそろ私以外の職員と交流を持つべきだな」
「ウッ、……分かりました」
痛いところを突かれたのか、綾音は余計な反論はせずに、トボトボと奥の部屋に向かって行った。
「さて、気を取り直して、どこから説明しようか」
近くにあった簡易的な丸椅子に座ると、アキラは言った。
「そうだな、まずは霊具とは何かについてかな」
と言って、アキラは近くの机の引き出しから何やらゴソゴソ探し始めた。
「あったあった。これだ」
取り出したのは、一枚の符と短刀だった。短刀は刃渡三十センチ程度で、刃は黒く鉄ではなく石製で、遺跡から発掘されたと言われてもおかしくない風体だった。符の方は、赤文字で何やら怪しげな文字やマークが描かれていて、ホラー映画とかで祠に貼り付けられていそうだった。
「この石包丁は『厄切り包丁』と呼ばれるもので、対妖魔専用の武具の一つだ。で、こっちの札が『霊符』と言ってね、符によって効力は様々だが、霊力を流すことによって超常現象を起こせる、要はサポートアイテムみたいなものだ。これらを総じて霊具と言い、かつての陰陽師や退魔士と呼ばれる人間は、これらを使って妖魔と闘っていた」
「かつて、てことは今は使われていないんですか?」
「フフ、鋭いね。――その通り、霊具は強力だが、そもそも数が少ない上に、物によっては使い手を選んだり、そうじゃなくとも諸々と条件や誓約が付き纏って、端的に言うと使い勝手が悪かったんだ。今も現役なのは、汎用性の高いこの霊符ぐらいかな。――で、誕生したのが、霊具と同じ性能をしながら、量産が可能で使い勝手もいい科学霊具というわけさ。……そうだな、君も綾音と現場に行ったならば、彼女の刀を見ただろう」
「ああ! あのビームブレード」
ポンと誠が手を打つ。どうやら、あれが科学霊具というものらしい。
「それと同じものがここにある」
アキラが白衣のポケットから鉄製の筒を取り出し、誠に渡した。
「霊力を込めてみるといい」
言われるがままに、霊力を込める。すると、筒の先から霊力が刀身の形となって飛び出す。
「おお! ホントに同じだ!」
「だろう。これを刀の柄の中に仕込めば見た目も立派な刀の完成さ」
ふふん、と手に入れたレアなオモチャを友達に自慢する子供みたいな得意げな表情でアキラは言った。
「ってことは、刀以外にもあるんですか?」
「勿論だ。霊具は何も刀だけではないからね。槍や斧から銃までなんでもござれだよ」
「へー、すごいんスね」
「すごいとも。実際、科学霊具の台頭によって、退魔に関わる者の生存率が大幅に上がったんだ。――と言っても、まだまだ改良の余地はあるけどね。取り分け、出力の最大値はまだまだ昔ながらの霊具には及んでいないのが現状だ」
「ほうぞ……、えーと」
「アキラでいいよ。苗字は呼びにくいからね」
「――アキラさんはずっと科学霊具の研究をしているんですか?」
「ああ。私は戦闘の才能がてんでなくてね。ただ、科学的な知識と霊具に関する知見があったから、こうしてサポートする仕事についたわけさ。――まぁ、君たち前線で妖魔と立ち向かう人間からすれば胡乱な仕事だと思われてしまうかもしれないが」
そう語るアキラの表情には、今までの自信ありげな妖艶さはなく、どこか影を感じた。
「へ? そうですか? 裏方が支えてくれているから前線が生きるわけで、そんな卑下することないですよ」
そんな彼女に、特に気を遣うわけでもなく、あっけらかんと誠は言ってのける。
「フフ、ありがとう。お礼ではないが、君の武器は私が見繕おう。何か希望はあるかい?」
「マジっすか!!」
「ああ。どっちにしろ必要だからね。この場にある物ならすぐに調整して渡せる」
「えーと、じゃあ」
誠は改めて部屋を見渡す。ナイフからバズーカまで幅広いラインナップだ。
選択肢は数あれど、誠の腹は最初から決まっていた。というより、科学霊具の説明を受けている段階で、これがあればいいなと思っていたのだ。
「これください」
誠はお目当ての武器を指差した。