4話 秘密
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廃ビルでの激戦を終え、誠はマイナス課の事務所に戻って来ていた。
「いや〜、初日から色々大変だったみたいだね」
ざっくりと報告を終えると、橋渡は他人事のような軽い口調で言った。
「で、どうだい。妖魔を初めて見た感想は?」
「んー、そうですねー。あんな生き物がいるんだって素直に驚きました。街中で突然出会ったら大変だし、もっと世間に周知した方が良いと思うんですけど」
「ハハ、残念ながらそうはいかなくてね。――というのも、妖魔にも種類があるんだけど、大概の妖魔は人間の畏れや怒りなんかの負の感情を喰らって力を増すんだ。だから、下手に周知すると逆に妖魔の被害を増やす可能性があるんだよね」
「成程……。まぁ、そもそも一部の人間にしか見えない生き物がいるって言われても中々信じられないですもんねー」
実際、誠も今日この目で見るまで眉唾だと思っていた。全人類が妖魔を見えるという状況を作らない限り、いたずらに混乱を生むだけだろう。
「そゆこと。まぁ、なんにしても疲れたろ。詳細な報告書とかは明日でいいから、今日はもう上がってゆっくり休みなさい」
「マジすか! 了解です! ありがとうございます!!」
ビシッと敬礼して、誠はウキウキで踵を返して部屋の外に向かった。そして、ドアノブに手を掛けようとしたら、タイミング良く外から誰か入って来た。
「あ、水蓮寺さん」
入って来たのは綾音だった。
「怪我大丈夫なんですか?」
あの後、すぐにカップルの仲間を搬送するための救急車を呼び、綾音もそれに乗るよう伝えたのだが、彼女はこれを頑なに拒否し、一人でどこかに行ってしまった。
「……問題ありません」
平坦に言う綾音だったが、その顔色は未だ青白い上に冷や汗が止まっていなかった。
「痩せ我慢は身体に毒ですよ。ツラい時はツラいって言わなきゃ」
「余計なお世話です……!」
フン、と顔を背けて綾音は部屋の奥に行ってしまう。心配しただけだったのだが、どうやら怒らせてしまったらしい。今後、同僚として付き合っていくにあたり、何故怒ったのか根掘り葉掘り訊きたい気持ちに駆られるが、そうすると余計怒らせてしまうパターンはこれまでの人生で経験済みなので、ここは潔く退散することにした。
※
「もうちょっとデレてあげても良いのに」
「……」
「おっと、ごめんごめん。おじさんが悪かったからそんなに睨まないで」
降参と言わんばかりに両手を上げる橋渡。そんな上司の飄々とした態度に、綾音は呆れ果ててしまう。
「それにしても、誠君じゃないけどさ、本当に体調は問題ないかな?」
「ええ、この程度の怪我、慣れています」
「……そっか。――まぁ、無理はし過ぎないでね。せっかく頼れる新人も入って来たことだしさ」
頼れる新人というワードに、綾音の眉がひくついた。
「気になるかい? 彼のこと」
「……一体、何者なんですか?」
しずしずと綾音が訊く。
「警察官だよ。僕たちとは違って、真っ当なね」
橋渡は苦笑する。
マイナス課の人員には二パターンいる。一つが『スカウト組』で、もう一つが『一般組』だ。
スカウト組は、正式な採用試験を突破したのではなく、妖魔退治のスペシャリストとして、外部の機関や組織から引っ張ってこられた存在である。
反対に一般組は、正面から警察に入った者の中から素質ありと判断され、マイナス課に配属された者たちである。
この二つを比較した時、どちらが優れているかと言えば、前者になる。
無論、一般組の中にも優秀な人間もいるし、そうでない者も場数を踏む内に足手まといではなくなっていく。しかし、それでも幼少の頃より妖魔に触れて生きてきたスカウト組と比べると心許ないのが現実だ。
これらを加味すると、黒瀬誠の動きは一般組よりスカウト組に近い。天然の霊力使いだからと言われればその通りなのだが、どうにも違和感があった。
「まぁ、彼は色々と特殊だからね。綾音が気になるもの無理ないさ」
「特殊?」
「そう。――綾音は最近あった指定暴力団守藤組本部のガサ入れ覚えてるかい?」
「……ええ、大きいニュースでしたから」
綾音はスカウト組なので、正規採用ではない都合上、他の部署の警察官と絡むことは滅多にないのだが、それでも思いがけず耳に入るぐらい話題に上がっていた。
「確か、麻薬の製造及び密売の容疑で大規模なガサ入れをしたアレですよね」
守藤組は構成員百人程度の独立系暴力団で、規模自体は大きくないが、大手暴力団と関係が深く、警察としてもあまり手が出しにくい存在だった。それが先月辺りになって、なんの前触れもなく、警視庁によるガサ入れが行われた。今もなお捜査は続いており、久々の大捕物に世間の関心を買っている。
「うん。……まぁ、表向きはそうなってるよね」
「表向き? ――いえ、そもそもその話があの男とどう関係があるんですか?」
話の核心が見えず、綾音が問うと、橋渡は橋渡で「うーん、どこから説明したものかな」と頭を捻っていた。
「そうだな……、結論だけを端的に言うと、――彼、守藤組を一人で潰しちゃったんだよね」
「………………………………………………………はい?」
「ハハハ、まぁそうなるよね。順を追って説明しようか」
あからさまに訝しむ綾音に、諭すような口調で橋渡は話始めた。
「彼が交番勤めの時、パトロール途中に不審な女性を発見したらしくてね、事情を訊いたら『ヤクザに妹が誘拐された』と言い出したらしくてさ。――ああ、ちなみにネタバレしておくと、この誘拐された妹ってのはさ、元々守藤組の組長の愛人の一人だったらしいんだけど、何を思ったのか組の金を盗んで逃げ出したらしくてね。で、その金を一旦お姉さんに預けようとしたところであえなく組員に捕まったって流れらしいんだけど、そんな事情はつゆ知らないお姉さんはパニックになって、偶々現れた誠君に助けを求めたんだ」
どうしようもない話だよね、と橋渡は肩をすくめた。本当にどうしようもないと思いつつ、本題はここからなので、綾音は余計なツッコミは入れずに黙って耳を傾ける。
「それでお姉さん同様、この時はまだ事情を知らなかった誠君は、あろうことかそのまま守藤組の事務所に単身乗り込んだんだ」
「……で、壊滅させたと」
「うん、抵抗してきた組長含む構成員百名余りを返り討ちにしたんだって」
「それは……、なんというか」
「イカれてるよね〜」
橋渡が肩をすくめる。綾音も同意見だった。他にもっとやりようがあったはずなのに、どういう思考回路ならば乗り込むなんて発想になるのか。
「本人はそれが一番手っ取り早く妹さんを助けられる方法だと思ったらしいよ。ただ、警察的にはこんなことが公になったら大問題になるからね。なにせ、ろくな逮捕状も証拠もないまま組を壊滅させるなんて、裏からも表からも大バッシング確実だ。だから、慌てて適当な理由こじ付けてガサ入れして誤魔化すって手を打ったらしいんだ。……まぁ、ヤクザの事務所だけあって、麻薬やら覚醒剤やら銃やら色々出てきて結果オーライだったらしいけどね。それでも未だに対応に追われて、大混乱の真っ最中さ」
自分がもしこの件の担当だったらと想像して綾音はゾッとした。しかし、これで色々と合点がいった。
「成程。つまり、その話を聞いて、橋渡さんはあの男が天然の霊力使いだと確信したわけですか」
「うん、大正解」
ピンポーン、と橋渡は茶化すように言った。
例えば、プロの格闘家であっても、数人の素人に囲まれればピンチに陥るものだ。その相手がヤクザともなれば尚更だ。腕自慢もいれば武器を使う者、なんなら銃だって使用されたかもしれない。それが百人近くいるとなれば必ず先に体力が底をつく。百人組手は、あくまで組み手だから成立するのだ。
しかし、そこに体力を増強するもの、または補って余りあるものがあれば話は変わってくる。つまり、霊力だ。そこで橋渡は、件の問題児は霊力を使えると踏み、本来であればクビ確実なところをマイナス課で引き取ったという流れだろう。
「世に放つには惜しい才能だったからね。必死に上層部を説得したさ。――ただね、綾音。彼の最も特異なところはそこじゃないんだ」
「はい?」
堪らず首を傾げる綾音。妖魔と相対する人間にとって、生まれながら霊力を扱えるというのはこれ以上ないアドバンテージであり才能だ。それを超えるものとは一体なんなのか。
橋渡は意識的に一拍開けた後に告げた。
「彼、恐怖がないんだよね」
黒瀬誠の最大の異常を。
「恐怖が……ない?」
「そ、薄いとか鈍いとかのレベルじゃなくて、完全にない。生きてきておおよそ怖いという感覚を体験したことがないんだよ彼は。だから、ヤクザの事務所に一人で乗り込むなんて少年漫画ムーブをかませちゃうわけだ」
「そんな人間がいるんですか?」
恐怖とは人間に限らず、この世のありとあらゆる生物には多かれ少なかれ備え付いているものであり、防衛本能と言い換えることもできる代物だ。例えば、人が暗闇を恐れるのは、無意識下に危機を察知する本能が働いているからに他ならない。他にも、雨の日に川や海に近づかないのも、火事になった家の中に飛び込まないのも、高層ビルの屋上から飛び降りないのも、全て恐怖の仕事だ。
それがない。そんな人間が本当に存在するというのだろうか。
(――いや)
思い返せば、その片鱗はあった。
例えば、廃ビルに入る直前、彼は盛大に顔面から転んでいた。普通なら、ああいう時は咄嗟に手が出るものだ。運動不足の子供とかなら分からなくもないが、日頃から警察官として訓練も積んでいる彼がなるのは思い返せば不自然だった。あれも、転ぶことに対する恐怖がなく、反射的に手が出なかったのだとしたら腹落ちする。
そして、恐怖がなければ当然、初見の妖魔だって怖くない上に、当たり前のように闘える。
つまり、天然の霊力使いと恐怖がないのミックス。
それが黒瀬誠という人間の正体というわけだ。
「ウチが求める人材としてこれ以上ないでしょ」
橋渡がニッコリ笑って言う。
「それは……、そうですが……」
「あ、ちなみに、綾音はこれからも彼とバディを組んでもらうから」
「ハァ!?」
今日一番の大声が喉から飛び出した。出しすぎて、背中の傷が若干開いてしまった。
「っ〜〜」
「おいおい、大丈夫かい?」
「も、問題ありません。――そんなことより、バディってどういう意味ですか?」
「そのまんまだよ。これ以上ないって言ってもさ、危なっかしいところもチラホラあるから、そこを綾音にフォローしてあげて欲しいんだよね」
「お断りします!」
「残念ながら、決定事項だから受け付けられないなぁ」
「なっ!」
なんたる横暴。ここで引き下がるわけにはいかないと綾音は奮起する。
「絶対にイヤです! あんなのとずっとに一緒にいたら頭がおかしくなる!」
「そこまで言わなくても……。どの道、これから暫くは三人なんだから、もっと仲良くして欲しいんだけど」
「無理です!」
上司命令であっても限度というものがある。
綾音は必死に訴えかけるが、奮闘虚しく結局最後まで聞き入れて貰えることはなかった。