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警視庁マイナス課  作者: 西沢 陸
百鬼連盟編
32/35

30話 夢の終わり

 ※


 幸せだった。水蓮寺綾音は限りなく幸せの渦の中にいた。


「ねぇ、綾音! 今度の文化祭で、劇の主役するってホント!?」


 家族揃っての晩御飯、母特製の唐揚げを食べていたら、楓がキラキラ瞳で訊いてきた。


「……誰から聞いたの?」

「アキちゃん! アキちゃんは、キラちゃんから聞いたって! 自分が主役をやりたかったのに悔しいィー! って喚いてたらしいよ!」

「何やってるんだか……」


 はぁ、と幼馴染で、かつクラスメイトの金髪ツインテールの痴態がありありと脳内再生されて、綾音はため息を吐く。


「何っ、綾音が主役だと!? 母さん、カメラ新調してもいいかな!?」

「ええ、最高品質の物を調達してちょうだい。文化祭までに用意できなかったら餓死させます」

「罪に対して罰が重すぎる!? まぁ、用意してみせるんだけど!」


 暴走する父と、それを助長させる母。こうなるから言いたくなかった、と綾音は額を押さえる。


「でも、珍しいね綾音が主役だなんて。そういうのイヤじゃなかった?」

「イヤだよ。……でも、クラス投票で決まっちゃって」


 でなければ、華も演技力もあるキララに譲っている。そもそも自分は目立つのは好きじゃないのに強引に、と綾音は身勝手なクラスメイトたちに腹を立たせた。


「演目は?」

「……白雪姫」

「あー、そりゃ綾音だね。キラちゃんはどっちかっていうと継母っぽいもん」


 ピタリとキララの配役まで当ててしまう楓。こういう洞察力の鋭さが彼女が神童と言われる所以だろう。


「じゃあ、王子様はもしかして例の転校生かな?」

「本当、よく分かるね」

「フフフ、もしかしてこの劇がキッカケでロマンスが始まっちゃうのかな〜? 本当にキスしちゃったりして」


 キャッ、と何を妄想したのか、楓が頬を紅く染めてうねうねしている。


「そんなわけないでしょ」


 綾音は恋愛脳の姉に、冷や水をぶっかけるようにピシャリと言い放った。


「そうだぞ! キ、キスなんて父さん絶対に許さないからな! もし、そんなことが起きたらその転校生と担任の橋渡先生に殴り込みをかける!」


 ヒートアップする父を、娘たちは無視して話を続ける。


「でも、その子じゃなくても、誰か気になる人いないの?」

「いないって。……そういうお姉ちゃんはどうなの?」

「私?」


 コテンと楓は首を傾げる。


「うん。いつも私にばっかり訊いて不公平だよ。偶にはお姉ちゃんのも教えてよ」

「ふふん、お姉ちゃんにはね世界一可愛い妹がいるからそれでいいの!」


 にんまり笑って綾音の頭を撫でた。なんだか、はぐらかされた気もするが、それを超えて嬉しかったのでよしとした。


「……私も、世界一綺麗なお姉ちゃんがいればそれでいい」


 お返しとばかりに、ボソっと、恥ずかしそうに頬を染めて俯きながら綾音が小声で言う。

 楓は一瞬、呆気に取られていたが、すぐに笑顔に戻り、


「もう、ウチの妹最高!」


 辛抱たまらんと綾音に抱きついた。


「ちょ、ちょっとお姉ちゃん! 食事中だよ!」


 口ではそう言いつつ、綾音は特に抵抗しなかった。そんな娘たちの様子を、両親は微笑ましそうに眺めていた。

 幸せだった。綾音が望んだ全てがここにはあった。

 だから、


「ねぇ、お姉ちゃん」

「ん? どしたの?」


 だからこそ、言わなければならないことがあった。


 綾音は一度だけ生唾を飲んで、ゆっくり口を開く。


「これは、夢なんだね」


 瞬間、世界が止まった。

 比喩ではない。本当に止まったのだ。まるで、ビデオを一時停止したみたいにピタリと。時を刻むのを止めた。

 動いているのは綾音と楓の二人だけだった。


「そっか、バレてたか」


 楓が困ったように笑った。

 すると、ゴゴゴゴゴと地鳴りのような音が鳴って、世界が崩れていった。いつも温かく綾音を迎え入れてくれていた家も、常に愛を持って自分に接してくれていた両親も、楽しかった思い出も、何もかもが消失していく。





 全てが漂白され、四方一面全て白に囲まれた世界で、残されたのは綾音と楓だけだった。


「いつから気づいてたの?」

「……どうだろ。でも、最初から薄々おかしいなって思ってたの。――多分、ずっと同じような夢を見てたせいかな」


 ぬらりひょんに家族が殺される記憶の夢と同じぐらい、何事もなく平和で家族と幸せに暮らす日常を夢見ていた。

 だから気づけた。気づけてしまった。


「そっか……」


 楓は神妙な面持ちで妹の言葉を受け入れた。

 それから、しばらく無言の時間が続いた。綾音は三角座りで、膝に顔を隠すように埋めていた。

 楓はその隣に座って、ただ妹に寄り添っていたが、しばらくすると、意を決したように楓が口を開いた。


「ねぇ、綾音」

「イヤだ!」

「……まだ、何も言ってないよ」

「早く『この世界』から出ていけって言うんでしょ!? 絶対にイヤ! お姉ちゃんとずっとここにいる!」


 さらに深く綾音が閉じこもる。


「綾音……」


 そんな妹の頭を愛おしそうに楓は撫でる。


「ごめんね、一人にして。ずっと辛かったんだね」


 言われて、綾音が静かに頭を上げた。彼女の顔は、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになっていた。


「毎日、眼を覚ます度に思うの。なんで私だけ生き残ったんだろうって。あの時、一緒に死んでおけばよかったのにって。そうすれば、こんなに苦しい思いをしなくて済んなのに……!」


 拭いても拭いても止まらない涙を拭いながら綾音は語る。

 家族なき世界で生き続けるには理由が必要だった。だから、復讐を求めた。それこそが自分が生き残った意味だと思い込んだ。でないと、心が壊れてしまうから。


「あんな想いを抱えて生きるなんてもうイヤ! ここにいれば、そんなこと考えずに済む!」


 それは、あの悲劇からの十年間、強がって、意地張って、誰にも打ち明けず、ひた隠しにしてきた綾音の心の底からの本音だった。

 その熱のこもった言葉に、楓は愁眉を寄せた。


「……でも、行かなくちゃ。このままだと綾音の肉体が死んじゃうよ。そうなったら、結局この世界も消えてなくなっちゃう」


 そうなった時、どの道待ち受けるのは死だ。


「いいよ。それでも」


 綾音が即答する。


「どうして?」

「だって、現実《向こう》にはお姉ちゃんが、家族がいない」


 だったら、大好きな姉と一緒に果てた方がマシだと、綾音は吐き捨てるように言う。

 明らかに自暴自棄になっている妹に、それでも楓は優しく声を掛けた。


「そっか……。そうだね。確かに、向こうには私たちはいない。――でも、私たち以外ならいるでしょ?」

「お姉ちゃんたち以外……」

「そ。アキちゃんに、キラちゃんに、橋渡さんに、最近だとちょっと天然なあの後輩くん。この十年で、私たち以外にも沢山大切な人ができたはずだよ」


 まるで、見てきたかのように楓は口にする。


「……お姉ちゃんの代わりなんていない」

「誰の代わりもいないよ。だから、人は人との繋がりを大事にするの。――ねぇ、綾音も感じてるでしょ? このままじゃ後輩くん死んじゃうよ。それでもいいの?」


 楓が問う。

 この世界はぬらりひょんによって作り出された場所だ。故に、今の二人には、外の様子がなんとなく把握できていた。


「良いわけ……ない」


 綾音は慎重に答えた。


「思考回路も行動も何もかも理解不能で、そのくせ、ごく稀に確信めいたことを言ってくるしで、本当デタラメ過ぎて仲良くなれる気がしない。……でも、……うん、それでも、死んでほしくない。生きてて欲しい。――大切な『仲間』だから」


 何も誠に限った話ではない。アキラにも、キララにも、橋渡にも、他の今日まで出会ってきた人たち全員に、綾音は生きて欲しいと思っている。そして、自分もまたあの人たちと一緒にいたいと望んでいる。


(――ああ、そうか)


 ようやっと、綾音は確信する。


(私、あの人たちを失いたくないんだ。まだ、一緒にいたいんだ)


 こんな自分を受け入れてくれた新たな居場所。あそこに戻りたがっている自分がいることに綾音は気がついた。


「良かった。答えが出たみたいで」


 ホッとしたように楓が微笑む。


「お姉ちゃん……、ごめんなさい」

「どうして謝るの?」

「だって、私、お姉ちゃんを置いて……!」

「そんなの気にする必要ないよ。私はもう死んだ人間。今の私はただの一夜の夢幻。起きたら忘れてしまう存在だよ」


 だから気にしないで、とどこか物憂げな表情で楓は言う。


「……忘れたくないな」


 ポツリと綾音が零す。楓の言う通り、これは夢に過ぎなくて、彼女が己が作り出した幻だとしても、こうして再び逢えた記憶を失うのは耐え難かった。


「そうね……。じゃあ、一つだけ覚えてて」


 楓は気落ちする妹に向き合って、力強く抱きしめた。

 そして、目を見開いて驚く妹に、


「これから先、綾音がどうなっても、喩え世界を滅ぼす大悪党になっちゃったとしても、私だけはずーっと綾音の味方だから」


 そっと囁く。


「――愛してるよ。これまでもこれからも永遠に」


 不変なる愛の言葉を。


「お姉…ちゃん……」


 綾音の瞳から、さっきまでとは違う涙が流れた。


「頑張って、綾音ならできる。だって、私の妹だもん」

「うん、ありがとう」


 綾音も抱きしめ返す。そして、姉のかつてと変わらない温もりを感じて、――これが夢であって、夢でないことを実感する。


「私も愛してる」


 伝えて、さらに強く抱きしめる。この感触を現実に連れ帰れるために。


「行ってらっしゃい」

「行ってきます」


 最後までさよならはなく、またいつの日か再開できるのを信じて、姉妹は別れた。

 こうして、少女のひと時の夢の終わり、――現実へと帰還した。

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