2話 遭遇
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誠と綾音がやってきたのは都内某所にある廃ビルだった。
「あ、ここって半グレとかヤクザとかがヤクの取り引きとかで使ってるって有名な場所ですよね。以前、マル暴の先輩が言ってました」
「……」
「確か、ここに怪物が出るって通報があったんですよね」
「…………」
「うーん、てことはヤク中の妄言の可能性が高いですよねー」
「………………はぁ」
ここまで一方的に誠が喋って、徹底的に無視を決め込んでいた綾音であったが、ついに根負けしたのか大きなため息が飛び出した。
「随分お喋りですね。危機感が足りないんじゃないですか? 妖魔が出るかもしれないんです。もっと緊張感を持ってください」
キリッとした目つきで言われる。中々迫力がある眼力だったが、誠は一切たじろぐことなく反論する。
「でも、俺まだ正直言って妖魔の存在が半信半疑なんですよねー。見たことないですし。あ、てか俺、霊感とか一切ないんですけど大丈夫ですかね?」
「霊感、というのが何を指すのか分かりませんが、妖魔を見るだけなら特別な才能や力は必要ありません。妖魔は高度な騙し絵のようなもの。貴方は今まで妖魔が見えていなかったのではなく、見ようとしていなかったんです」
「???」
よく意味が分からなかった。そんな誠の態度が気に食わなかったのか、先輩女子は苦虫を噛み潰したような顔になった。
「これだから何も知らない一般人と組みたくなかったんです。こんな素人を連れてきて橋渡さんは何を考えているやら」
ブツブツと文句を言い出してしまう始末。ハッキリ言ってチームワークは最悪だった。
「……まぁ、いいです。とりあえず中に入りましょう」
「ほーい。――って、お!」
ステン、と誠が小石に躓いて顔面から転んだ。
「いてて。いや〜、油断油断」
「チッ、……大丈夫ですか?」
とても心配そうにしているとは思えない顰めっ面で綾音が声を掛ける。ちなみに、声を掛けるだけで手は貸さない。
「はい、サーセンした! 気を取り直していきましょう!」
そんなイジワルとも取れる綾音の態度にも、特に気にした様子もなく、誠は何事もなかったように立ち上がって歩き出す。
「……なんなの」
新しい後輩の考えが読めず、綾音は困惑しながらも後に続いた。
※
「で、どうですか? 妖魔いそうですか?」
ビルに入るや否や誠が訊いた。
「そんなのすぐに分かる訳ないでしょう。妖魔の中には妖力を隠すのに長けているのもいるんですから」
「へー、そうなんですね。じゃあ、どうします?」
「しらみつぶしに探すしかありませんね」
うげ、と誠は声を出す。この廃ビルは五階階建てで横に広い構造になっている。なので、自ずと部屋数も多く、全て調べるとなるとかなりの時間を要する。
「手分けしましょうよ。俺が上から、綾音さんが下から見て回りましょう」
「……何言ってるんですか? もし妖魔が出たら貴方一人でどうするつもりなんです」
「ん〜、まぁ、なんとかなりますよ」
どこまでも能天気に誠が言うと、綾音は不愉快そうに眉を顰め、しばらく逡巡しているようだったが、しばらくすると大きくため息を吐いた。
「もういいです。好きにしてください。ただし、もし妖魔を見つけたら応戦しようとせず、すぐに私を呼んでください。いいですね」
「了解です!」
誠がピシッと美しいながらも迫力のない敬礼をする。
もう一度だけ大きなため息が聞こえた。
※
「フフンフフーン」
一人になった誠は鼻歌混じりで四階通路を見て回っていた。
「この部屋も異常なしっと」
ギイギイ鳴るドアを閉め、次の部屋のドアを開ける。その軽快な足取りとは裏腹に、仕事はちゃんとしていて、パッと見で済ますのではなく念入りに隅々まで見渡していた。
そんな感じで、四つ目の部屋に入った時だった。
「ひっ」
小さな悲鳴が耳に飛び込んできた。
見ると、部屋の隅でカップルと思わしき十代の男女が、まるで雪山で遭難したみたいに肩を寄せ合って震えていた。
「あ、アンタ誰?」
誠を見るなり、女の方が訊いてくる。
「一応警察だけど、君達が通報入れた子達でいいのかな?」
諭すような口調で確認すると、
「ホントに!? やったよマー君、警察だってさ!」
「あ、ああ……!」
二人は、目元に涙を浮かべて誠の元に駆け寄ってきた。
「お、お願いお巡りさん! 助けて!!」
カップルは誠の足に泣き喚きながら縋り付く。二人の目はガンギマリ状態だ。まず間違いなくヤクをやっている。
これはやっぱり幻覚説が濃厚かな、と誠は自身の推察が正しかったと静かに思う。
「えーと、とりあえず落ち着いて。何があったか話してくんない?」
「バケモノが、バケモノが出たの!?」
「具体的には? どこに? 案内できる?」
「は、はあ!? 命からがら逃げて隠れてたのに、なんだってこっちから出向かなきゃいけねぇんだよ!」
馬鹿かよ、とマー君とやらに罵倒される。
「そうよ! 早くここから逃してよ! じゃないとアイツが来ちゃう!」
「ん〜、そう言われてもなぁ」
とりあえず一旦、綾音と合流するべきだろう。誠がそう判断した時だった。
「あっ、……ああ!?」
突然、マー君がへたり込んで、部屋の奥を指差した。続くように彼女の方も青ざめた顔で尻もちをつく。
「で、出た……」
つられて誠も部屋の奥を見るも、
「何が? 何もいないじゃん」
そこには先ほどまでと変わらぬ廃ビルの風景があるだけだった。
(やっぱりラリって幻覚見てるのか? ――いや、それにしては二人とも同じものを見てるみたいだし)
確か、綾音は見えないのではなく見ようとしていない言っていた。高度な騙し絵だとも。であれば、そこには何もないという誠の認識が間違っている可能性がある。
(よく見ろ。常識を捨てて、頭を切り替えて、視野を広く持て)
目を凝らしつつ、一点ではなく全体を見る。何もないという潜在意識を脱ぎ去って、頭をクリアにする。
すると、誠の視界に変化があった。
まるでカメラのピントが合うように、最初はボンヤリと、次第にくっきりと『それ』の姿を捉えることができた。
「おお!」
誠が感嘆の声を洩らす。
今まで見えていなかったのが不思議なぐらい『それ』がハッキリ見えていた。
『それ』は一言で表すなら二足歩行の巨大なイタチだった。しかし、当然ながらイタチではない。その瞳はイタチ特有のつぶらなものではなく、サメのように鋭く尖っていて、何よりその両手には爪の代わりに大きな鉄製の鎌が生えていた。おおよそ、自然界の生物でない。
「へぇ〜、これが妖魔かぁ。ホントにいたんだなぁ」
目を輝かせながら言う誠。
「言ってる場合!? 早くなんとかしてよ!」
「そうだ! アンタ警察だろ! 守ってくれよ! オレたちの仲間はアイツにやられちまったんだ!」
そんな彼に、カップルから怒声が飛んできた。
「って言われてもなぁ……、妖魔の対応なんて知らないし。――てか、君たち以外にも人いるの? 先に言ってよ。聞いてる感じだと救急車とか呼ばなきゃいけないじゃん」
「「言ってる場合か!?」」
流石はカップルだ。息の合い方が素晴らしい。
しょうがない、と誠はイタチ?の妖魔と向き合った。
「すいませーん! この子達が貴方に襲われたって言ってるんですけど本当ですか!」
「はぁ!? イカれてんのアンタ!? 言葉なんか通じるわけないじゃん!」
「いやー、訊いてみなきゃ分かんないでしょ。警察官として決めつけで確保とかしちゃいけないと思うし。もしかしたらまだオバケの仮装をした人って線も捨てきれないですし」
カップルは愕然としていた。無論、誠は誠で本気で返答があるとは思っていなかった。あくまで事務的に声をかけたに過ぎなかったのだが、
「キャキャキャ、おかしなニンゲンもいたものだな」
まさかの応答があった。
「あ、話せる感じですか? じゃあ、とりあえず事情聴取したいんで、その物騒な鎌を下げてもらって――」
ザン! と、音がしたと思ったら、誠の頭上スレスレを斬撃が通り過ぎた。パラパラと瓦礫の破片が地面に落ちる。紛れもなく、眼前の妖魔の鎌から放たれたものだった。
「この鎌鼬サマに指図とは、オロかにも程があるぞニンゲン」
ニタリ、と鎌鼬様と名乗る妖魔が笑った。
「わー、すげえっすねその鎌」
誠は特に驚く素振りもなく、目の前の超常現象に普通に感動してみせる。
「何、目輝かせてんの!? 早くなんとかしてよ!」
「そうだ! 警察だったら拳銃持ってるだろ! それでアイツぶっ殺してくれよ!」
「いやいや、拳銃って一発撃つだけでも色々手続きが必要でめんどくさくて大変なんだよ」
「知らないわよそんなの! いいから早くやって!」
むぅ、と誠が唸る。気は進まないが、どうやらやるしかないようだった。誠はスーツの内ポケットから警察のリーサルウェポンである拳銃を取り出し、流れるような動作で構えた。そして、一応、致命傷にはならないように、人間で言うところの太ももあたりを目掛けて発砲した。
幸い、警察学校時代から拳銃の成績は良かったので、弾丸は狙った通りの場所に当たった。
しかし、
カン、と装填されていたのは鉄の弾丸ではなく豆鉄砲だったのではないかと錯覚するぐらい軽く弾かれた。
「ナニかしたか?」
怪物の勝ち誇った笑みが誠たちを射抜く。
「ではコチラの番だ」
ブン、と鎌が横薙ぎに再び振るわれる。鎌鼬からかまいたちが飛んでくる。冗談のような状況だが、冗談ではなかった。
(――あ、死んだなコレ)
自分一人なら躱せなくもないが、それだと背後のカップルが死ぬ。警察官として護るべき市民を見殺しにするなんてことはあってはいけないので、ここは自分が肉盾になるしかないだろう。
そう判断して、実際に風の刃が誠の胴体を両断しそうになった瞬間だった。
横一閃の斬撃を、突如として割り込んできた縦一閃の斬撃が掻き消した。
「ナニッ!?」
驚きの声を上げたのは、鎌鼬だった。目を剥いて、乱入者を見る。
長く美しい黒髪をたなびかせて割って入ってきた斬撃の主は、――水蓮寺綾音だった。
彼女の手には、刀が握られていた。それも普通の刀ではない。柄までは時代劇とかでよく見る日本刀のものだったが、その刀身は形こそ刀であるが、材質は鉄製ではなく、金色に輝くエネルギーの塊だった。要するに、ビームブレードである。
「全く、何をしているんですか貴方は!」
綾音から、早々に怒りのお言葉を浴びせられる。
「妖魔が出たらすぐに呼べと言ったでしょう!」
「いや〜、なんとかなると思ったんですけどねー。まさか、拳銃が通用しないとは」
たはは、と誠は困った様子で頭をさする。
そんな後輩の様子に怒気を抜かれたのか、綾音は本日何度目か分からないため息を吐いた。
「妖魔には通常兵器は通用しません。せめて霊力を帯びさせないと」
「えーと……、霊力ってその刀みたいなのですか?」
頬をぽりぽりと掻いて訊く誠。
「説明している暇はありません。下がっていてください」
そう言って、綾音は一人前に出て鎌鼬と向き合った。