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天国の扉  作者: 藤井 紫
第四章 天使の子 悪魔の子
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35-2

 一人取り残されたハリーファは、しばらくその場に立ち尽くした。

 走り去るジェードの心に恐怖が垣間見えた。ジェードはアルフェラツの存在に怯えている。

 畏怖ではなく、アルフェラツの黒い肌に怯えているのだ。

 ハリーファ自身は信仰心がないわけではないが、心の支えとしてきたのは【天使】(アルフェラツ)ではない。【エブラの民】だ。黒い肌を怖がるジェードの気持ちは理解できない。

 ハリーファは日差しから目をそむけるようにして、ジェードの向かった方に歩いた。

 城壁沿いに進むと、以前二人で来た海側にまで辿り着いていた。どこへ行ってしまったのか、ジェードの姿は見えない。

 耳を澄ますと、岸壁に打ち付ける荒波の音が、城壁の向こう側から聞こえてくる。珍しく、海鳥も上空を旋回しながら鳴いている。

 うるさい鳥の声を聞きながら、以前ジェードを連れて来た時のことを思い出す。城壁の上で涙するジェードの姿を見て、あの時もサライのことが胸をかすめた。

 家族や友人を想うジェードと同じように、サライも城壁の上でユースフのことを想っていたのだろうか? 壁の中から外に出たいと思っていたのだろうか?

 自分は、昔から、他人(ひと)の心に触れるのが怖い。それ以上に、自分自身の心をさらけ出すことにも怯えている。

 城壁に登れる階段横に差し掛かった時、頭上から砂がパラパラと落ちてきた。ジェードがうえにいるのだろうか? 肩に降ってきた砂を手ではらい、城壁を仰いだ。

 階段を降りようとする人がいる。

 逆光で、はっきり見えるまで少し時間がかかったが、それは黒い服を着た黒人だ。

 その姿を見て、ハリーファは驚きで口が震えた。とっさに言葉が出ない。

 ――アルフェラツ!?

 顔の造作はアルフェラツに似ている気がする。オス・ローで見た姿より年若く見えた。

 黒人は頭に白い布を覆うように巻き、それがまるで白く長い髪のようだ。頭布の下に見える瞳は黒かったが、サライと見間違うには十分だった。

「――サライ……」

 思わず言葉がハリーファの口をつく。

 【天使】似の黒人は、ハリーファに見つかり、面食らったように目を見開いた。

 次の瞬間、黒衣の人物は狭い階段から足を踏み外した。

「わっ……」

 小さい悲鳴をあげ、壁を転がるように滑り落ちた。ハリーファの眼前に砂埃が巻き上がる。

 安否を問いかける言葉が、ハリーファの喉で詰まって出てこない。

『おい! 大丈夫か?』

 頭の中で、サライにかけたユースフの声が響く。

「うぅ……。いってぇ……」

 小さくうめく声が聞こえた。

 黒人はうめきながらはい起きると、地べたに座りこむ。着ていた衣服は砂だらけになり、ずれたターバンが(おお)いかぶさって顔は見えない。

 ハリーファが呆然としていると、黒い手がターバンをつかみ、忌々しげに取りはらわれた。地面に投げ捨てられた布の下から現れたのは、短く切りそろえられた黒い髪だった。

 ――男?

 ファールーク皇国では長い髪は女の象徴であり、成人を迎えた男子は皆髪を短くする。男にとって、切り整えられた髪は富の象徴でもあった。

 黒い少年は、痛みに顔を歪めながら、右手で左肩を押さえた。

 目の前の黒人が男だとしても、ハリーファを見あげる表情はあまりにもサライに似ている。

 ハリーファは無言のまま、地べたに座り込む黒人の少年を見おろした。

「……くっそ、なんなんだよ。見世物じゃねぇぞ。皇宮(ここ)じゃそんなに黒人(ザンジュ)が珍しいのかよ」

 ハリーファの視線を浴びて、少年は忌々しげに舌打ちした。

 黒人の少年は、膝と壁に手をつき、よろよろと立ち上がった。体の痛みに時々うめきながら、砂にまみれた服を両手ではたく。

 立ち上がった少年は、ハリーファよりも少し背が高かった。小柄だったサライとは異なる。少女のような顔立ちだが、服装も体格も声もまぎれもなく男だ。

「……ここには、黒人(ザンジュ)は一人も居ない。お前、何者だ?」

 ハリーファがようやく口を開くと、黒人の少年が向き直り眉を寄せた。

「見りゃあわかるだろ? ただの使いっ(ぱし)りだよ。ここんとこ、宮廷に入るのにも随分ものものしいじゃないか。行商隊が来たときに何かあったのか? 黒人(ザンジュ)だからって、俺ばっかりがいちいち調べられて、いい加減頭にきてんだ」

 ハリーファが皇子だとは気づいてないようだ。金髪の白人の少年は、宮廷の白人奴隷(マムルーク)だと思われているのだろう。余計な文句をつけ足して答え、不機嫌そうに衣服の砂をはらい続ける。

「お前は行商人じゃないのか。お前の主人は何処の誰だ?」

 黒い肌の少年は、砂をはらう手を止めた。

「メンフィスのラシードだ」

 メンフィスはサンドラから二ファルサク(約十キロメートル)北にある、交易の盛んな街だ。ラシードと言うと、以前イヤスから聞いた名士(サドル)の家系だ。最近出入りしているラシードの奴隷と言うのは、この少年のことなのだろう。

「ラシード? ではお前は、ラシード・アル・ハリードの奴隷(ラキーク)か」

 ハリーファの質問に、黒人奴隷は顔も上げず「そうだけど」と答えると、地面に投げつけたターバンを拾う。

 ラシードという人物は、ジャファルの従兄弟にあたる男だ。ラシードの父ハリードは、かつての皇国の第二皇子だ。以前調べていた系譜で名前を見たところだった。そして、ハリーファより一ヶ月先に生まれた腹違いの姉(ウフト)、アーランが嫁いだ相手だ。


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