34-3
ジェードはしゅんと落ち込んだ。ハリーファの父親を理解しようとしても、理解できない。
「……【天使】様はどうしてわたしにハリを殺すように命じたの? ハリが殺されなきゃいけない理由はなんなの?」
ジェードがハリーファを見ると、なぜかふいと目をそらされた。
「わたし、ずっと天使様は金色の髪だって思っていたの。多分、ヴァロニア人はみんなそう思ってるわ。ハリはアルフェラツ様のあの御姿を見て、すぐに天使様だって信じられた?」
自分が天使だと信じてきた声の主は、本当は悪魔なのではないだろうか。そう思い、ハリーファに問いかけたが、
「アルフェラツは、俺の知っている天使の姿そのものだ」
ハリーファは、あっさりと否定した。
「……黒は魔の象徴よ。だから、肌が黒いなんて、悪魔のようにしか思えなくて……」
ジェードはうつむいたままつぶやいた。
「ファールークでは、金の髪が魔性の色と言われているんだぞ。俺から言えば、金の髪ばかりの東大陸人の方が魔性だ」
「金の髪が魔性? まるで逆だわ……」
「黒が魔の象徴なんて、そんな話は聞いたことないけどな。黒髪のヴォードが何か関係しているのか?」
「ヴォードって……?」
ジェードは首をかしげた。
「ヴォード・フォン・ヴァロアは、お前と同じ白人で、漆黒の髪に漆黒の瞳だった」
「ヴォード・フォン・ヴァロア……」
ヴァロア家はヴァロニア王家の名だが、ジェードが知っている名ではなかった。だが、聞き覚えはある。ジェードは、学校で習った歴史を必死で思い出した。
ヴォード・フォン・ヴァロアは、聖地を巡って戦い、最期は呪われて死んだという英雄王の名前だ。
「お前の国の、昔の王太子だ。その王太子から、ヴァロニアの話を色々聞いたことがある。印刷機械の発明や、教育制度のこと、それに、臣民のほとんどが、金の髪に青い瞳だとも王太子から聞いた。その中で、黒曜石の瞳と髪こそ、正統なヴァロア王家の証だと言っていたぞ」
ハリーファの言葉に、ジェードの表情が凍りつく。
「ヘーンブルグ以外に黒髪はいないのよ。だから、王都の王族が黒髪なわけないわ。呪われて黒くなったのよ」
ジェードの言葉に驚いたのは、ハリーファの方だった。
「そんなはずはない。呪われたとかそんな事は知らないが、俺が覚えているヴァロニアの王太子は、間違いなく漆黒の髪と瞳だった」
「王太子様が黒髪?!」
ジェードの声が部屋に響いた。
「ヴォードの結婚祝いで黒曜石のネックレスを贈ったくらいだ」
「そんな……」
言葉尻が小さくなる。だが、ハリーファが嘘を言わないことをジェードは知っている。今まで教えられていたことが、間違いなのだろうか? そう考えた時。
「だが随分昔の話だ。いくら黒髪でも、金の髪と交われば、血も薄れていくだろうしな」
ジェードはハリーファの言葉にルースの言葉を思い出した。
――もしも、生まれてきた赤ちゃんの髪が金色でも驚かないでね
姉の結婚相手は、金の髪の男だったのだろうか……。
アレー村で暮らしているだけでは、姉から何も教わっていなければ、一生王族の髪の色など気にすることなどなかったかもしれない。
「今もヴァロニアの政は、ヴァロア家が担っているのに、ヴォードは国に戻ってから没落したのか?」
「そんなことないわ。彼は英雄として伝えられているけど……でも、呪われて死んだの」
『英雄』と言う言葉に、ハリーファが眉をしかめた。
「歴史は都合よく変えられる。呪われたって言うぐらいなら、ヴォードが何かやらかしたんだな」
「でも……学校でそう習ったわ」
「教育が全て正しいとは限らない。さっきの王太子の黒髪の事もだが、歴史として伝えられることが全て真実じゃない」
「教育が間違ってるなんて、それじゃ、教会が間違ってるの? そんなこと、ヴァロニアで言ったら、大変なことになるわ……」
口ではそう言ったが、自分の信仰心に疑問を感じていたジェードには、ハリーファの言葉が心強く思えた。
「歴史は、真実は伝えない。都合良く伝わるものだと、この前つくづくと実感したところだ。歴史は人の心も伝えないからな……」
ハリーファは言葉に不満を表しながら腕を組んだ。
「わたし、何を信じていいのか、ますますわからないわ」
【天使】のことも、教会の教えも、信じられなくなってしまった。今ジェードが一番信じられるのはハリーファだ。
「ハリみたいに人の心がわかればいいのに」
そう言われてハリーファは、ジェードをにらむ。
「人の心なんて、わかりたくもない。わかったところで、どうにも出来ないんだからな」
人には無い能力のことを言われ、ハリーファはそっぽを向いた。
「……心がわかればと思ったこともあったけどな。だが、死んでしまった人間のことはわからない」
ハリーファは背中越しに語った。
(死んだ人間……?)
ハリーファの母親ファティマのことだろうか。ハリーファはまだ自分自身が赦せないのだろうか。ジェードがそう考えていると、ハリーファは振り返った。そして小さな声で答えた。
「父親の事だ」
「でも、ハリのパパはまだ生きてるじゃない」
ジェードはついさっきのジャファルの姿を思い浮かべた。胸がトクンと痛くなる。
「わたし、ハリと宰相は似てないって思っていたけど、やっぱり似ているわ。見た目や、瞳の色はぜんぜん違うんだけど。二人とも同じように、すごく寂しい目をしているの。……そっくりよ」
ジャファルの憂いた瞳を見ると、何故か胸が苦しくなる。ハリーファにも、ジェードのその気持ちは伝わっているだろう。
ジェードはこの苦しい想いの正体が何なのかわからず、ハリーファがわかるのなら教えてほしいと願いながら、じっとハリーファの瞳を見つめた。
ハリーファは、ジェードのジャファルに対する慕情のような特別な思いに気がついたが教えてやらなかった。
「とにかく、髪を拭け。髪が乾くまでここから出るのは禁止だ」
ハリーファの視線は、まだ乾ききらないジェードの黒髪を見つめていた。
それから数日が過ぎたが、ジェードが昼間に広場に行っても、もうあの宰相の馬に似た黒馬の姿を見ることはなかった。