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天国の扉  作者: 藤井 紫
第四章 天使の子 悪魔の子
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34-2

 リューシャの気持ちが少しわかる気がする。ジャファルには、他人にこの寂し気な人に笑って欲しいと思わせる、不思議な雰囲気がある。憂いた黒い瞳を見ると、不思議と目が離せない。

 しかし、本人にとって、そんなことは関係ないようだ。

「ここで大人しくしているのかと思えば、度々歴史家を呼び出しているそうではないか」

 厳しい口調でジェードに言い放つ。

「度々って……、二回だけよ。それに」

 あの後、歴史家が【王の間】を訪れたのは一度きりだった。ジェードは、ハリーファが歴史家から何か教わっているのだと思っていた。

「ハリは、勉強しているのよ」

 ジェードの答えに、ジャファルの眉間の(しわ)が深くなった。

「余計な事は一切するな。ハリーファには何も教えてはならん。【王の間】(ここ)に大人しく(こも)っていれば良いのだ」

 ジェードには、ジャファルの言葉がひどく冷たく感じた。

「どうして? ハリにはシナーンと同じようにしてあげないの? 剣術も馬術も、歴史だって。どうしてハリには何も教えないの?」

 感情的になるジェードに対し、ジャファルは冷静なままだった。抑揚のない低い声で答える。

「私は、ハリーファに武器を持たせるつもりはないのだよ」

「ハリは、武器なんて、何も持っていないわ」

 望んでも武器など手に入らないのは、ジェード自身がこの一年間で強く実感している。そんな自分の悔しい想いも、その言葉に混ざる。

「娘よ、そなたは文字も読めないのだろう。そのような者に、わかるのか? 知識がこの世で最も強い武器だと言う事が」

 ジャファルの言葉に、ジェードは息が止まった。

 ――ジャファルはハリーファと同じ事を言っている。以前、ハリーファは『知識は時に剣より強い武器になるぞ』と言っていた。これは、ハリーファがジャファルから教えられた言葉だったのだろうか。

 何も教えていなくとも、父の意思は息子に伝わっているということなのだろうか。時に、ハリーファは、ジャファルを理解できるような言い方をすることさえもあった。

「……あなたはハリの父親なんでしょう? どうしてこんな処に一人で住まわせるの? ハリを……愛してないの?」

「一人? ハリーファには、そなたが居るではないか。奴隷は『家族』だ。ハリーファが愛を求めているなら、そなたがハリーファを愛してやれば良い」

 背の高いジャファルを見あげ、ジェードはおし黙った。

 ジャファルはジェードを見おろす。

「これでも私は、随分寛大なつもりだ。ファールークの一族は『神殺し』の血脈。だがハリーファは【王】に生まれた故、『神殺し』の血を引く男子でありながら、この皇宮に留めておいてやっているのだ。枷も付けず、鍵もかけずな。そなたは、それ以上の何を、ハリーファの為に望むのだ」

 ジェードにはジャファルの言っている意味が分からなかった。だが、きっと、それが以前ハリーファが言っていた、ハリーファを宮廷に留める『専横ではない理由』なのだろう。

「それが、ハリを宮廷に留めている『理由』なの? リューシャさんを愛しているからじゃなくて、ハリが【王】だから?」

「そうだ」

 答える黒衣の宰相は、自分の父よりは若い男だ。きっとこの人もハリーファと同じで、誰のことも愛せないのだ。望まぬまま、宰相の地位についたのかもしれない。

 漆黒の髪のジャファルの姿を見て、ジェードの胸には急に寂しさがこみ上げてくる。はっきりと思い出せないが、誰かに似ている。

「あなたは、お姉さんのことを愛していたんでしょう? ハリはそのお姉さんの血を引いているのに、どうして、」

 ジェードは自分でも何が言いたいのかまとまらないまま言葉を続けた。

 しかし、すべてを言い終わらぬうちに、ジャファルはジェードのそばに寄って来た。かと思うと、そばにあったピッチャーで水瓶から水をすくう。

「ヴァロニアの女奴隷よ、そなたは少し頭を冷やすといい」

 宰相は表情を変えず、ジェードに頭から水を浴びせた。



 ハリーファが【王の間】に戻った時、ジェードははいつくばって、ぬれた床を拭いていた。

「ジェード?」

 突然背後から声をかけられ、飛び出しそうになった悲鳴を、ジェードはなんとか飲みこんだ。

 入り口の方をふり返ると、黒尽くめの人物とはまるで対照的な、金色の髪の白人少年がジェードを見つめている。

「お、おかえりなさい……」

 ハリーファの眉根が寄った。水浸しの床とジェードの姿を見るなり、怪訝(けげん)そうに声をかける。

「何をしているんだ?」

 ジェードの髪は、びしょびしょに濡れている。水に濡らされたジェードの髪は、波が緩やかになり、その先からしずくがポタポタと(したた)り落ちている。衣服も身体にぴったりとはりつき、背中の骨が服越しに透けて見えた。

 ハリーファは、ジェードの心から宰相の来訪を知って、(あき)れてため息をもらした。

「父上が来たのか。床なんかいいから、先に自分の顔を拭け」

 ジェードは、床を拭く手を止めて立ち上がった。濡れた黒い髪の先から水が滴り落ちる。滴った水は、頬にもつたった。

「また泣いてたのか?」

「泣いてなんかないわ!」

 しかし、そう言うジェードの目に、本当にかすかに涙がうかぶ。

 ハリーファは、奥の自室から大きめの布を一枚持って戻ってきた。布を広げてジェードの肩にかけた。

「ほら。これで拭け。みっともない」

 ジェードの波打った黒髪は、濡れてしまって緩やかに伸びていた。

「ハリのパパがここに来る前に、【天使】様の姿を見たの……」

「アルフェラツを?」

 ジェードはこくりとうなづいた。

「……わたしが天命に従わないから、だから、【天使】様が……来たんじゃないかしら」

 ハリーファはジェードの心を読んで、ジェードが何に怯えているか気がついた。ジェードの心の中は、【天使】に対する畏怖で覆われている。

「【天使】様は、聖地で、わたしにハリを殺すように命じたわ。でも、ハリのパパは、ハリを皇宮に閉じ込めて、ここで大人しくしていろって言ってたの。それって……」

 都合よく考えると、ジャファルがハリーファを【天使】から守っているようにも思える。

「今までここに閉じ込められた【王】は、皆ろくな死に方……いや、生き方をしていない。父上にとっては、俺も同じだ。まだ、こうして自由に動けるだけましだ」

「一体なんのためにここに閉じ込めてるの?」

「それを今調べている」


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