4-3
翌日も、ジェードは巡礼の道を進んでいった。一本道で迷うことはない。
村に戻りたいという気持ちとは裏腹に、巡礼の道には馬車が通った轍が今も残り、ジェードが進む道を示してくれる。
ジェードは寂しさを紛らわすために、ずいぶん馬に向かって話しかけた。
「ウーノ、ねぇ、あれ見て! 宿泊所じゃない?」
朝に小屋を出発し、まだ日の高いうちに次の宿泊所にたどり着けた。徒歩だと大人の足でちょうど一日かかりそうな距離だ。
小屋の横にはやはり井戸があった。腐りかけの木の蓋をずらし、中を覗きこむと、暗い水面に少女の顔がゆらゆらと映る。
「よかった、ここも使えそう」
そう言って、馬に水をくんでやった。そうして馬を休ませている間に、ジェードは小屋の扉を開けた。
「すみません……、誰かいませんか?」
そっと戸を開け、恐る恐る中に向かって声をかけるが、当然誰もいない。
扉を大きく開くと、外の光が壁と床を淡く照らす。そこに鮮やかな塗料で金の髪の天使が描かれていた。
ここでも、祭壇には髪の毛が納められた箱が置き去りにされていた。「もしかして、喜捨なのかしら」と、ジェードも自分の髪を一束手に取った。腰にぶら下げていた短剣で切り取り落とすと箱へ納めた。
裏からウーノの声が聞こえた。ジェードは外に出て馬のもとに行くと、馬が畑の跡で穴を掘っていた。馬の足元には芋がたくさん顔を出している。
「ウーノ! あなたいい子ね!」
そう言ってまわりを見ると、木に絡みついている蔦ブドウまで見つけた。
井戸水で芋の土を落とし、馬に食べさせた。積んだままの荷物をほどいて、馬の体をなでてマッサージをしてやった。首や腹の、馬が喜ぶところをなでた。
「日暮れまでまだ時間があるけど、今日はここに泊まるわ」
あまり先へと進みすぎると、もう村には戻れないような気がしてくる。
(帰りたい……)
そう願う気持ちが日に日に強まってくるのを感じた。
夜になると、外では風が出てきて木々の隙間をひゅーひゅーと音を立てて抜けていく。
ジェードは昨日と同じように、馬も小屋の中に引き入れた。馬が体を横たえた後に、ジェードは馬の頭の方に寄って身を丸めた。
寂しさにこっそり涙をこぼすと、馬が気付いて頬と髪を食むようになめられた。
「……ありがと、ウーノ」
ジェードはなめてくる馬の額をなで返す。
「そうね。あなたがいたわね」
羊飼いのジェードは、動物には人間の気持ちが伝わることを知っている。
一人ぼっちで寂しく思う気持ちが、心を読まれるように、馬に伝わったようだった。
ジェードと馬の旅は続いた。
日ごとに冬の寒さが緩み、途中から気温がぐっと上がった。森の木の様相もいつの間にかすっかり変わっている。木陰を進んでいても汗ばむほどになってきた。
ジェードを乗せた馬も宿泊所につくころには、身体に白い泡の汗がにじむほどになった。
「ウーノ! こっちに来て!」
宿泊所を見つけた後、裏手の森に入ったジェードの呼ぶ声を聞き、栗毛の馬も木々の間に踏み入った。
「こっちで水が飲めるわよ」
ジェードの呼ぶところに小さな沢が流れていた。今日の宿泊所には井戸がなく、困っていたところ、耳を澄ますと鳥の鳴き声や風の音に混じって、水音が聞こえてきたのだ。
ジェードは澄んだ水を両手で作った勺で飲んだ。持ってきた水筒にも水を足す。
足をまげて水を飲むウーノを見て、汗ばんで泡立っている身体をジェードは布をぬらして拭いてやった。
「気持ちいい?」
水を飲み続ける馬に聞くと、鼻でブルブルと音を出して答えてくれる。いつの間にか、馬とすっかり心が通じるようになっていた。
最初は、村に帰りたくて落ち込んでいたジェードだったが、日毎に馬との旅が楽しく感じられるようになった。今では初めて見る木や植物を楽しむ余裕も出来てきた。
なにより、馬に対しては、うれしいことも悲しいことも、何でも素直に話せる。
「ウーノが一緒じゃなかったらきっと途中であきらめてたわ。一緒に来てくれてありがとう」
流れる水に触れていると、不思議と考えが明るくなる。
「父さんは『聖地巡礼』に行けって言ったのよ。『巡礼』ってことは、行って、帰って来いって意味よね」
わかっているか、いないのか、また馬は鼻息で答える。
「わたしと一緒に聖地まで行ってね、ウーノ。それで、帰りましょう」
村に戻るために、聖地を目指そうという気持ちがわいてきた。
その後、宿泊所の近くに泉や池を見つけるようになった。
水辺では、のどの渇きを癒すのはもちろん、熱くなった馬の体に水をかけて冷やし、自分も手足を冷やした。
今までにない大きな池を見つけた時、ジェードは汚れた服を洗おうと服のまま池に飛びこんだ。
すると、ジェードを追うように、馬まで大きな体で池に飛びこむ。馬が飛びこむと、水は激しくしぶきを上げ、静かだった池に大きな波を起こした。
栗毛の巨体がジェードに向かってふわふわと近づいてくる。あまり泳ぎは得意ではなさそうだ。
ジェードは波に揺られながら水面に顔を出して、ぬれた前髪をかきあげた。
「ウーノ! あなた泳げたの?!」
ジェードは嬉しくなって、泳いで馬の首に抱きつき、楽しそうに笑った。
「すごいわ! 馬も泳げるのね、知らなかった」
道中笑ったのは初めてだった。
今まで何度も馬に慰められてきたが、張り詰めていたものがほぐれ、温かい涙が頬をぬらした。
「もしかして、心配してくれたの? 安心して。服を洗おうと思っただけよ」
涙を見られないように馬の鬣に顔を押し付けた。
ジェードは岸に戻り、ずぶ濡れの服を脱いだ。ずっと外していなかった服のボタンをはずし全裸になった。
まわりには誰もいない。いや、ウーノが池の中から自分をじっと見つめているのに気づき、ジェードは少し恥ずかしくなって胸元だけ手で隠した。
脱いだ服を近くの木にかけ、ジェードは冷たい水に再び飛びこんだ。
水浴びをしている自分の体は、痩せてしまったせいもあるが、女としてはまだまだ未熟で貧相だった。髪もすっかり残バラで短くなり女らしさはどこにもない。
昔は姉と同じようにしっかり勉強をして、教会や学校で働きたいと思っていた。姉のようになりたいと思っていたのに、姉とは違う自分の姿にため息がでる。
池から上がり、ジェードは毛布で身を包んだ。