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天国の扉  作者: 藤井 紫
第一章 奴隷皇子と亡命の魔女
9/193

4-3

 翌日も、ジェードは巡礼の道を進んでいった。一本道で迷うことはない。

 村に戻りたいという気持ちとは裏腹に、巡礼の道には馬車が通った(わだち)が今も残り、ジェードが進む道を示してくれる。

 ジェードは寂しさを紛らわすために、ずいぶん馬に向かって話しかけた。

「ウーノ、ねぇ、あれ見て! 宿泊所じゃない?」

 朝に小屋を出発し、まだ日の高いうちに次の宿泊所にたどり着けた。徒歩だと大人の足でちょうど一日かかりそうな距離だ。

 小屋の横にはやはり井戸があった。腐りかけの木の蓋をずらし、中を覗きこむと、暗い水面に少女の顔がゆらゆらと映る。

「よかった、ここも使えそう」

 そう言って、馬に水をくんでやった。そうして馬を休ませている間に、ジェードは小屋の扉を開けた。

「すみません……、誰かいませんか?」

 そっと戸を開け、恐る恐る中に向かって声をかけるが、当然誰もいない。

 扉を大きく開くと、外の光が壁と床を淡く照らす。そこに鮮やかな塗料で金の髪の天使が描かれていた。

 ここでも、祭壇には髪の毛が納められた箱が置き去りにされていた。「もしかして、喜捨なのかしら」と、ジェードも自分の髪を一束手に取った。腰にぶら下げていた短剣で切り取り落とすと箱へ納めた。

 裏からウーノの声が聞こえた。ジェードは外に出て馬のもとに行くと、馬が畑の跡で穴を掘っていた。馬の足元には芋がたくさん顔を出している。

「ウーノ! あなたいい子ね!」

 そう言ってまわりを見ると、木に絡みついている(つた)ブドウまで見つけた。

 井戸水で芋の土を落とし、馬に食べさせた。積んだままの荷物をほどいて、馬の体をなでてマッサージをしてやった。首や腹の、馬が喜ぶところをなでた。

「日暮れまでまだ時間があるけど、今日はここに泊まるわ」

 あまり先へと進みすぎると、もう村には戻れないような気がしてくる。

(帰りたい……)

 そう願う気持ちが日に日に強まってくるのを感じた。

 夜になると、外では風が出てきて木々の隙間をひゅーひゅーと音を立てて抜けていく。

 ジェードは昨日と同じように、馬も小屋の中に引き入れた。馬が体を横たえた後に、ジェードは馬の頭の方に寄って身を丸めた。

 寂しさにこっそり涙をこぼすと、馬が気付いて頬と髪を食むようになめられた。

「……ありがと、ウーノ」

 ジェードはなめてくる馬の額をなで返す。

「そうね。あなたがいたわね」

 羊飼いのジェードは、動物には人間の気持ちが伝わることを知っている。

 一人ぼっちで寂しく思う気持ちが、心を読まれるように、馬に伝わったようだった。



 ジェードと馬の旅は続いた。

 日ごとに冬の寒さが緩み、途中から気温がぐっと上がった。森の木の様相もいつの間にかすっかり変わっている。木陰を進んでいても汗ばむほどになってきた。

 ジェードを乗せた馬も宿泊所につくころには、身体に白い泡の汗がにじむほどになった。

「ウーノ! こっちに来て!」

 宿泊所を見つけた後、裏手の森に入ったジェードの呼ぶ声を聞き、栗毛の馬も木々の間に踏み入った。

「こっちで水が飲めるわよ」

 ジェードの呼ぶところに小さな沢が流れていた。今日の宿泊所には井戸がなく、困っていたところ、耳を澄ますと鳥の鳴き声や風の音に混じって、水音が聞こえてきたのだ。

 ジェードは澄んだ水を両手で作った(しゃく)で飲んだ。持ってきた水筒にも水を足す。

 足をまげて水を飲むウーノを見て、汗ばんで泡立っている身体をジェードは布をぬらして拭いてやった。

「気持ちいい?」

 水を飲み続ける馬に聞くと、鼻でブルブルと音を出して答えてくれる。いつの間にか、馬とすっかり心が通じるようになっていた。

 最初は、村に帰りたくて落ち込んでいたジェードだったが、日毎に馬との旅が楽しく感じられるようになった。今では初めて見る木や植物を楽しむ余裕も出来てきた。

 なにより、馬に対しては、うれしいことも悲しいことも、何でも素直に話せる。

「ウーノが一緒じゃなかったらきっと途中であきらめてたわ。一緒に来てくれてありがとう」

 流れる水に触れていると、不思議と考えが明るくなる。

「父さんは『聖地巡礼』に行けって言ったのよ。『巡礼』ってことは、行って、帰って来いって意味よね」

 わかっているか、いないのか、また馬は鼻息で答える。

「わたしと一緒に聖地まで行ってね、ウーノ。それで、帰りましょう」

 村に戻るために、聖地を目指そうという気持ちがわいてきた。


 その後、宿泊所の近くに泉や池を見つけるようになった。

 水辺では、のどの渇きを癒すのはもちろん、熱くなった馬の体に水をかけて冷やし、自分も手足を冷やした。

 今までにない大きな池を見つけた時、ジェードは汚れた服を洗おうと服のまま池に飛びこんだ。

 すると、ジェードを追うように、馬まで大きな体で池に飛びこむ。馬が飛びこむと、水は激しくしぶきを上げ、静かだった池に大きな波を起こした。

 栗毛の巨体がジェードに向かってふわふわと近づいてくる。あまり泳ぎは得意ではなさそうだ。

 ジェードは波に揺られながら水面に顔を出して、ぬれた前髪をかきあげた。

「ウーノ! あなた泳げたの?!」

 ジェードは嬉しくなって、泳いで馬の首に抱きつき、楽しそうに笑った。

「すごいわ! 馬も泳げるのね、知らなかった」

 道中笑ったのは初めてだった。

 今まで何度も馬に慰められてきたが、張り詰めていたものがほぐれ、温かい涙が頬をぬらした。

「もしかして、心配してくれたの? 安心して。服を洗おうと思っただけよ」

 涙を見られないように馬の(たてがみ)に顔を押し付けた。

 ジェードは岸に戻り、ずぶ濡れの服を脱いだ。ずっと外していなかった服のボタンをはずし全裸になった。

 まわりには誰もいない。いや、ウーノが池の中から自分をじっと見つめているのに気づき、ジェードは少し恥ずかしくなって胸元だけ手で隠した。

 脱いだ服を近くの木にかけ、ジェードは冷たい水に再び飛びこんだ。

 水浴びをしている自分の体は、痩せてしまったせいもあるが、女としてはまだまだ未熟で貧相だった。髪もすっかり残バラで短くなり女らしさはどこにもない。

 昔は姉と同じようにしっかり勉強をして、教会や学校で働きたいと思っていた。姉のようになりたいと思っていたのに、姉とは違う自分の姿にため息がでる。

 池から上がり、ジェードは毛布で身を包んだ。



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