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天国の扉  作者: 藤井 紫
第三章 凋落騎士の策謀
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30.鎮守府シュケム

 余寒の王都ランスから戻ったホープには、ローゼン領は随分と暖かく感じられた。

 早朝にシュノンの街を白く変えていた霜は、すっかり溶けて朝露となり、今は朝日を浴びて屋根をキラキラと輝かせている。

 ローゼン候の城のギリアンの私室に、ランスから帰還したヴィンセントとホープ、そしてギリアンの三人が集まっていた。

 石造りの城内はまだ肌寒く、ギリアンは分厚い長衣を羽織っている。

 ホープが長椅子に腰を掛けると、布張りの椅子からも、ひんやりと湿った冷たさが身体にしみこんできた。隣に座ったヴィンセントをちらりと見やると、寒さなどまるで感じていないようだった。いつもと同じように平常を保ったまま、ゆったりと腰掛けて長い足を組んでいる。ホープはしばれる手に息を吹きかけると、そっとこすり合せた。

 ランスでは、ホープは同行しただけで、ヴァロニア王妃とは顔を合わす事はなかった。

 あの時、ヴィンセントと王妃の間でどんな話がされたのか、ホープもまだ聞かされていない。どうしてここに、自分まで呼ばれ同席させられているのかも分からない様子で、向かいに腰掛けたギリアンと、隣に座るヴィンセントの会話に黙って耳を傾けていた。

 ヴィンセントは、王妃イザベラと話した内容をギリアンに話した。しかし、ギリアンと自分の身柄を要求されている事についてだけは言及しなかった。

「魔女狩りは、リナリーの働きだ」

 ヴィンセントの言葉を予測していたのか、ギリアンはさして驚かず、小さい声でつぶやいた。

「そうか……。しかし、何故、姉上が魔女狩りなど……」

「リナリーが指示している魔女狩りは、政治犯の駆逐ではなく、【黒】の迫害だ」

 【黒】と聞いて、ギリアンは目を伏せた。

 ギリアンは黒髪の所為で、父親に疎まれて育ってきた。そんな彼をじっと見据えながら、ヴィンセントは言葉を続けた。

「カルロス王陛下が亡くなられてから、王威派は以前ほどの勢いを失っている。ヴァンデの条約も無効になり、このまま何事もなければ、君が王位を戴冠することになるはずだった。だが、リナリーは先手を打った。【黒】の風評を立たせておけば、君が王位に就き難くなることを、リナリーは知っている」

 実の姉であるリナリーのことを思い出したのか、ギリアンは目を伏せて頭を小さく横に振った。

「ヴァンデ条約は無効になったが、リナリーは息子のアンリを王にしたいのだろうな」

「……そうだね。甥のアンリがヴァロニアの王位に就いて、二重王国制が確立すれば、シーランドとの争いが終わるだろうから。それが父の願いだったなら僕は……」

 王位などいらない――と言おうとしたのだろう。言い終わる前に、ヴィンセントが口を挟んだ。

「君はリナリーの思惑通りに、王位継承権を放棄するのか? 十一年後、アンリが成人して王位に就いたならば、二重王国制という名目でヴァロニアはシーランドの支配下に統一される。そうなれば当然シーランドとの戦いは終わるだろう。だが、それでは【黒】への迫害はなくならないだろう」

 ギリアンの顔が曇った。

「……ヴィンセント、僕が王になれば、本当に【黒】の迫害がなくなるのかい? シーランドとの争いも終わるのかい?」

 ギリアンの問いに、ヴィンセントは答えなかった。

 歴史を遡れば、【黒】の迫害も、シーランド王国との争いも百年程前からだ。

「印刷技術が出来て聖典が普及したのも、黒皮病が流行したのも二百年前。【黒】が虐げられている原因はわかっているじゃないか……」

「ギリアン、大司教を救出することや、シーランドとの戦いに勝つことよりも、人の心の中に出来た【壁】を壊すのは容易なことじゃない」

 ヴィンセントの言葉に、ギリアンは頭を抱え込んだ。

「良く聞け。もしヴァロニアとシーランドが統一され二重王国となれば、いずれ伝承者クライスの聖地を手に入れようと、再びファールーク皇国と争うことになるだろう。今まではフロリスの二国間での争いが、次は二大陸間に変わる。聖地やモリスには、沢山の黒人がいる。きっと彼らをも巻き込んで、【黒】はますます迫害を受けることになる。これが、本当に神の望むことなのか? 私は、それは決して善い事とは思えない」

「そんなことは、僕でもわかっている、でも」

 二人の話はヴァロニア王位の事から、いつの間にか二つの大陸の話にまで飛躍していた。

 自分にかかる重責に思い悩んで口数の減るギリアンに対し、ヴィンセントは逆に饒舌になっていた。

「何故この世から侮蔑がなくならない? 私達の信仰心は間違っているのか? かつて聖地は全ての信仰を受け入れていた。――全ての信仰、全ての人種、全ての身分を」

「聖地は全てを受け入れる……」

「そうだ。だからこそ、聖地は、モリスのものでもフロリスのものでも、いや、人によって所有されるものであってはならない。聖地は、聖地として存在することに意味がある。聖地とは、只の『象徴』なのだ。救済を求める人々の心の拠所だ」

 ギリアンとヴィンセントの二人が話すうちに、滅多に表に出さないヴィンセントの思想が語られる。

「聖地が争いの原因となるならば、それはもう聖地ではない」

「ヴィンセント! 頼むから、それを聖教者達の前では絶対に言わないでくれ!」

 ギリアンは、そう言って手で顔をおおった。

「異端として、君が殺されてしまう……」

「身分も信仰も、神ではなく人が定めたものだ。なのに、何故それを乗り越えられない? 切り崩せない? 私は、そういう、人と人を遮るもののない世界が見たいんだ。私にそういう世界を見せてくれ、ギリアン」

 親友の懇願も、ヴィンセントの口を閉ざすことは出来なかった。

 ギリアンは顔を上げ、伏し目がちにつぶやいた。

「……その世界は、君の魂を救うのかい? ヴィンセント」

「私は地獄に落ちようと構わない。だが、ルースの魂は救われるだろう」

 ヴィンセントの口から突然ルースの名前が出て、ホープは驚いてヴィンセントを凝視した。


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