28-4
その日の夕刻。
街中を歩くヴィンセントとホープの姿があった。石畳の上に長く伸びた自分達の影を追うように、坂道を並んで歩いていた。
クート家までの帰途、ヴィンセントはホープに尋ねてきた。
「ギリアンは返事をしてきたか?」
あれから、ギリアンとヴィンセントの二人は顔を合わせていないようだった。ギリアンからの返事は、ホープにするように伝えられていた。
「今日はそんな話はしていません」
「君たちは毎日何時間も、一体何について話しているんだ?」
自分も黒髪でありながら、自分の中の【黒】を蔑む心に苦悩するギリアンの姿を、ホープは思い出した。
きっと王太子の苦悩は、いくらヴィンセントとはいえ、金色の髪を持つ人間には理解できないだろう。だからこそ、ギリアンは黒髪である自分には打ち明けたのかも知れない。そう思うと、その話をヴィンセントに話すわけにはいかなかった。
「ヴィンセントについてです」
「私の事か」
ホープは少し嫌味っぽく言ってみたが、ヴィンセントは全く気にした風ではない。もう少し驚いてくれても良いのに、相変わらずヴィンセントは平常を保っている。それどころか、話題に上がっても当然というような、余裕すら感じられた。
「嘘です。本当は、戦争の歴史や魔女狩りについて色々教わっていました」
「なるほど」
ギリアンに言われ、あの後ホープは一人で、ルースとヴィンセントの関係について色々考えていた。
二人が出会った頃、ヴィンセントは十六歳、ルースは十五歳だったはずだ。男と女の事なのでどうしても野暮なことしか思い浮かばない。初めてヴィンセントを訪れた日のことと、ギリアンの話しぶりを思い出すと、ますます二人の関係が疑わしく思える。
しかし、ルースは貴族の目に止まるほどの美人でもなかったし、冷静に考えれば、二人の身分は違いすぎる。
ヴィンセントは領主なのだ。領民は領主の所有物とされ、婚姻の際は領主に許可を得なければならないという慣わしが、まだヘーンブルグにはある。
そんなはずないだろう――と、ホープは自分が導いた答えを否定する気持ちの方が強かった。
「ヴィンセントがジェードの為にここまでしてくれるのは、えぇと、ルースの事で、ぼくの家族に対する罪滅ぼしなんですか?」
ホープはわざとルースの名前を出すと、そっとヴィンセントの顔をうかがい見た。ヴィンセントの顔は逆光で影がかかり、表情はよくわからない。
「私はそこまで善人ではない。これは私自身の罪滅ぼしだよ」
ヴィンセントの声色からは、動揺も悲哀も感じられない。
ホープはギリアンに言われたことを思い出した。
――ヴィンセントに直接聞いてごらん。彼は何も隠したりしないと思うよ――
末っ子のホープは、兄たちに色恋沙汰について訊ねたことがあった。そんな時、きまってはぐらかされたり怒られたりしたものだ。年上のヴィンセントに尋ねるのは少々気が引ける。
しかし、ホープは一人で悶々と考えていることに耐え切れず、ギリアンの言葉通りヴィンセントに問いかけた。
「あの……、ぼくは何も知らないんですが。姉さん……、ルースとヴィンセントはどういう関係だったんですか?」
ヴィンセントは立ち止まると、青い瞳でホープを見つめた。
「私達は恋人同士だった」
ヴィンセントは、夕日を浴びながら、全くためらいなく答えた。
まさか、二人が恋人であるはずがない――。そう思っていたホープの裏返しの期待を、ヴィンセントはみごとに裏切ってくれた。
ヴィンセントの真っ直ぐな言葉に、ホープの心の中の靄が一気に消え去った。ホープの方が恥ずかしくなり、頬が赤く染まる。姉ではなく、まるで自分がヴィンセントの恋人として選ばれたかように、不思議と胸の奥が苦しくなった。
「そう思っていたのは、私だけかもしれないがな」
ホープの胸のときめきなど知らず、ヴィンセントは少し空しそうに言った。
ルースの死んだ今となっては、ルースのヴィンセントに対する気持ちはホープには知りようがない。
だがホープには、ヴィンセントは言葉通り本気でルースを愛していたのだろうと思えた。
「そうだったんですか。その事は、ぼくの家族は皆、きっと知りません……」
「助けることが出来なくて申し訳なかったな」
ルースの処刑執行から五年が過ぎている所為なのか、ヴィンセントは感傷的になることもなく、淡々とホープに話した。
「ヴィンセントの所為じゃありません」
ホープはそう言ったが、ヴィンセントの方はそうは思っていなかったらしく、厳しい口調で切り替えしてきた。
「本当にそう思っているのか? 今の話で君も気付いただろう? 何故ヘーンブルグの、それもダーク家の姉妹が揃って魔女に仕立て上げられたのか。間違いなく原因はこの私だ。私を王都に呼び戻すための、政治的意図だ。おそらくは反王太子派のな」
そう言うと、ヴィンセントはホープは置いて先に歩き出してしまった。
ホープは敢えて追いつかないように、ヴィンセントの後ろをとぼとぼと歩いた。ヴィンセントが本気で姉を愛していた所為で、姉が犠牲になったのだと思うと複雑な気持ちだった。
しばらくしてヴィンセントが立ち止まり、後ろに居たホープを振り返った。ホープは自分も歩みを止め、二人の間に距離を置いた。
「ホープ! 今回私がローゼンまで来たのは、君の姉君、ジェードの話を信じたからだ」
黄昏の街中で、ヴィンセントは離れたホープに聞こえるくらいの大きな声で叫んだ。
* * * * *
そして、約束の期日の十日目。
王太子は私室にヴィンセントとホープ、そして側近、数名の騎士達を呼び出して宣言した。
決して広くはない部屋の中に、合計十人ほどが肩を並べていた。
「僕は、ヴァロニアの王として戴冠を受けようと思う」
騎士達は声をそろえて歓声をあげ、ホープの顔には笑顔が浮かんだ。
そんなホープを見て、王太子はそっと付け足した。
「君の為にね、ホープ君」
「……あ、ありがとうございます!」
君の為に……、と言う王太子の言葉の身に余る光栄さに、ホープは萎縮してしまった。王太子の言葉には、ホープ個人の事情だけでなく、きっと【黒】に対する想いも込められているに違いないのだ。それが分かっていても、ヴィンセントに言われた通り、まるで神の言葉を授かったかのように感じた。
「誰かの為に、何か出来るというのは、僕にとっては有り難い事だよ……」
昨日まであんなに話をしていた相手なのに、改めてギリアンは王太子だったのだと、いずれ王になるべき人物なのだと、ホープは頭と身体が緊張に支配されてしまった。
宣言とは裏腹に、ギリアンの表情は暗い。ギリアンが大手を振って王位戴冠にのぞむわけではない事は、彼を知る者誰もが感じていた。
そんな様子のギリアンに、敢えて問いただす事をするのは、やはりヴィンセントだった。
「ギリアン? 君は何を躊躇っているんだ」
他の者達が居る席で敢えて聞くヴィンセントに対し、ここで口をつぐんではいけないと察したのか、ギリアンは苦しそうに口を開いた。
「実は……母が、悪魔を信仰しているようなんだ」
「悪魔……信仰?」
初めて耳にする言葉に、ホープは思わず口にして繰り返した。
悪魔信仰――。
ホープ以外は悪魔信仰を知っていたが、『王妃が――』という所に驚きを隠せなかった。
聞いていた騎士達が、噂話を口にした。
「ランスでは、悪魔信仰が広まりつつあると聞いたことがあるな」
「悪魔を信仰するのに、魔女を処刑するというのか。なんと辻褄が合わないことを……」
ギリアンは、口々に話す騎士たちの話の間に割り込んだ。
「いや、悪魔信仰の噂がもし本当だとしたら、魔女狩りは有り得ない。そもそも、あの魔女狩りの文書は誰が出しているのだろう? ランスの……、ヴァロア家の印章は僕か母しか使えないはずなのに」
他にランスの印章を使えたのは、ギリアンの父と姉だった。しかし、前ヴァロニア国王のカルロスは五年前に急逝、二つ上の姉リナリーは、前シーランド国王ローランと結婚してシーランド王国に居る。
「父が亡くなるまでは、魔女として処刑されたのは所謂政治犯だった。主に下級貴族の男が多かったんだ。だが、父が死んでからというもの、政治と無関係の【黒】の女性ばかりが魔女として処刑されている。これらの魔女狩りは一体何を扇動しているんだろうか……」
静かに語る王太子の言葉に、その時部屋に居た者は黙って耳を傾けていた。