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天国の扉  作者: 藤井 紫
第三章 凋落騎士の策謀
78/193

28-4

 その日の夕刻。

 街中を歩くヴィンセントとホープの姿があった。石畳の上に長く伸びた自分達の影を追うように、坂道を並んで歩いていた。

 クート家までの帰途、ヴィンセントはホープに尋ねてきた。

「ギリアンは返事をしてきたか?」

 あれから、ギリアンとヴィンセントの二人は顔を合わせていないようだった。ギリアンからの返事は、ホープにするように伝えられていた。

「今日はそんな話はしていません」

「君たちは毎日何時間も、一体何について話しているんだ?」

 自分も黒髪でありながら、自分の中の【黒】を蔑む心に苦悩するギリアンの姿を、ホープは思い出した。

 きっと王太子の苦悩は、いくらヴィンセントとはいえ、金色の髪を持つ人間には理解できないだろう。だからこそ、ギリアンは黒髪である自分には打ち明けたのかも知れない。そう思うと、その話をヴィンセントに話すわけにはいかなかった。

「ヴィンセントについてです」

「私の事か」

 ホープは少し嫌味っぽく言ってみたが、ヴィンセントは全く気にした風ではない。もう少し驚いてくれても良いのに、相変わらずヴィンセントは平常を保っている。それどころか、話題に上がっても当然というような、余裕すら感じられた。

「嘘です。本当は、戦争の歴史や魔女狩りについて色々教わっていました」

「なるほど」

 ギリアンに言われ、あの後ホープは一人で、ルースとヴィンセントの関係について色々考えていた。

 二人が出会った頃、ヴィンセントは十六歳、ルースは十五歳だったはずだ。男と女の事なのでどうしても野暮なことしか思い浮かばない。初めてヴィンセントを訪れた日のことと、ギリアンの話しぶりを思い出すと、ますます二人の関係が疑わしく思える。

 しかし、ルースは貴族の目に止まるほどの美人でもなかったし、冷静に考えれば、二人の身分は違いすぎる。

 ヴィンセントは領主なのだ。領民は領主の所有物とされ、婚姻の際は領主に許可を得なければならないという慣わしが、まだヘーンブルグにはある。

 そんなはずないだろう――と、ホープは自分が導いた答えを否定する気持ちの方が強かった。

「ヴィンセントがジェードの為にここまでしてくれるのは、えぇと、ルースの事で、ぼくの家族に対する罪滅ぼしなんですか?」

 ホープはわざとルースの名前を出すと、そっとヴィンセントの顔をうかがい見た。ヴィンセントの顔は逆光で影がかかり、表情はよくわからない。

「私はそこまで善人ではない。これは私自身の罪滅ぼしだよ」

 ヴィンセントの声色からは、動揺も悲哀も感じられない。

 ホープはギリアンに言われたことを思い出した。

 ――ヴィンセントに直接聞いてごらん。彼は何も隠したりしないと思うよ――

 末っ子のホープは、兄たちに色恋沙汰について訊ねたことがあった。そんな時、きまってはぐらかされたり怒られたりしたものだ。年上のヴィンセントに尋ねるのは少々気が引ける。

 しかし、ホープは一人で悶々と考えていることに耐え切れず、ギリアンの言葉通りヴィンセントに問いかけた。

「あの……、ぼくは何も知らないんですが。姉さん……、ルースとヴィンセントはどういう関係だったんですか?」

 ヴィンセントは立ち止まると、青い瞳でホープを見つめた。

「私達は恋人同士だった」

 ヴィンセントは、夕日を浴びながら、全くためらいなく答えた。

 まさか、二人が恋人であるはずがない――。そう思っていたホープの裏返しの期待を、ヴィンセントはみごとに裏切ってくれた。

 ヴィンセントの真っ直ぐな言葉に、ホープの心の中のもやが一気に消え去った。ホープの方が恥ずかしくなり、頬が赤く染まる。姉ではなく、まるで自分がヴィンセントの恋人として選ばれたかように、不思議と胸の奥が苦しくなった。

「そう思っていたのは、私だけかもしれないがな」

 ホープの胸のときめきなど知らず、ヴィンセントは少し空しそうに言った。

 ルースの死んだ今となっては、ルースのヴィンセントに対する気持ちはホープには知りようがない。

 だがホープには、ヴィンセントは言葉通り本気でルースを愛していたのだろうと思えた。

「そうだったんですか。その事は、ぼくの家族は皆、きっと知りません……」

「助けることが出来なくて申し訳なかったな」

 ルースの処刑執行から五年が過ぎている所為なのか、ヴィンセントは感傷的になることもなく、淡々とホープに話した。

「ヴィンセントの所為じゃありません」

 ホープはそう言ったが、ヴィンセントの方はそうは思っていなかったらしく、厳しい口調で切り替えしてきた。

「本当にそう思っているのか? 今の話で君も気付いただろう? 何故ヘーンブルグの、それもダーク家の姉妹が揃って魔女に仕立て上げられたのか。間違いなく原因はこの私だ。私を王都に呼び戻すための、政治的意図だ。おそらくは反王太子派のな」

 そう言うと、ヴィンセントはホープは置いて先に歩き出してしまった。

 ホープは敢えて追いつかないように、ヴィンセントの後ろをとぼとぼと歩いた。ヴィンセントが本気で姉を愛していた所為で、姉が犠牲になったのだと思うと複雑な気持ちだった。

 しばらくしてヴィンセントが立ち止まり、後ろに居たホープを振り返った。ホープは自分も歩みを止め、二人の間に距離を置いた。

「ホープ! 今回私がローゼンまで来たのは、君の姉君、ジェードの話を信じたからだ」

 黄昏の街中で、ヴィンセントは離れたホープに聞こえるくらいの大きな声で叫んだ。




*   *   *   *   *




 そして、約束の期日の十日目。

 王太子は私室にヴィンセントとホープ、そして側近、数名の騎士達を呼び出して宣言した。

 決して広くはない部屋の中に、合計十人ほどが肩を並べていた。

「僕は、ヴァロニアの王として戴冠を受けようと思う」

 騎士達は声をそろえて歓声をあげ、ホープの顔には笑顔が浮かんだ。

 そんなホープを見て、王太子はそっと付け足した。

「君の為にね、ホープ君」

「……あ、ありがとうございます!」

 君の為に……、と言う王太子の言葉の身に余る光栄さに、ホープは萎縮してしまった。王太子の言葉には、ホープ個人の事情だけでなく、きっと【黒】に対する想いも込められているに違いないのだ。それが分かっていても、ヴィンセントに言われた通り、まるで神の言葉を授かったかのように感じた。

「誰かの為に、何か出来るというのは、僕にとっては有り難い事だよ……」

 昨日まであんなに話をしていた相手なのに、改めてギリアンは王太子だったのだと、いずれ王になるべき人物なのだと、ホープは頭と身体が緊張に支配されてしまった。

 宣言とは裏腹に、ギリアンの表情は暗い。ギリアンが大手を振って王位戴冠にのぞむわけではない事は、彼を知る者誰もが感じていた。

 そんな様子のギリアンに、敢えて問いただす事をするのは、やはりヴィンセントだった。

「ギリアン? 君は何を躊躇っているんだ」

 他の者達が居る席で敢えて聞くヴィンセントに対し、ここで口をつぐんではいけないと察したのか、ギリアンは苦しそうに口を開いた。

「実は……母が、悪魔を信仰しているようなんだ」

「悪魔……信仰?」

 初めて耳にする言葉に、ホープは思わず口にして繰り返した。

 悪魔信仰――。

 ホープ以外は悪魔信仰を知っていたが、『王妃が――』という所に驚きを隠せなかった。

 聞いていた騎士達が、噂話を口にした。

「ランスでは、悪魔信仰が広まりつつあると聞いたことがあるな」

「悪魔を信仰するのに、魔女を処刑するというのか。なんと辻褄が合わないことを……」

 ギリアンは、口々に話す騎士たちの話の間に割り込んだ。

「いや、悪魔信仰の噂がもし本当だとしたら、魔女狩りは有り得ない。そもそも、あの魔女狩りの文書は誰が出しているのだろう? ランスの……、ヴァロア家の印章は僕か母しか使えないはずなのに」

 他にランスの印章を使えたのは、ギリアンの父と姉だった。しかし、前ヴァロニア国王のカルロスは五年前に急逝、二つ上の姉リナリーは、前シーランド国王ローランと結婚してシーランド王国に居る。

「父が亡くなるまでは、魔女ウィッチとして処刑されたのは所謂政治犯だった。主に下級貴族の男が多かったんだ。だが、父が死んでからというもの、政治と無関係の【黒】の女性ばかりが魔女として処刑されている。これらの魔女狩りは一体何を扇動しているんだろうか……」

 静かに語る王太子の言葉に、その時部屋に居た者は黙って耳を傾けていた。



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