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王太子と謁見した翌日から、ホープとヴィンセントの二人は、ローゼン領のクート家に身を寄せていた。
王太子からの返事はまだなく、逗留期間の半分、五日が過ぎた。
ヴィンセントは毎日ローゼン候の城に通い、騎士たちと何か計画を企てているようだった。
ホープはと言うと、ローゼン領では黒髪は注目の的だった。それも興味だけでなく悪意の入り混じった視線を向けられる。居候先に一人でとどまることもいたたまれず、毎日ヴィンセントに同行して、ローゼン候の城に通って過ごしていた。
そして、ホープは毎日、王太子ギリアンと顔を合わせていた。王太子の話に耳を傾けたり、ヘーンブルグ領の話を要求されたり。ヴィンセントにほったらかされている間、ほとんどの時間をギリアンの傍で過ごした。
ホープは何故王太子が自分に対してこんなに積極的に接してくれるのかが不思議で仕方なかった。
五日目も、ホープとギリアンは談話室で話していた。
テーブルを挟んで並べられたソファーに、二人は向かい合って座る。二人の他に誰も居らず、暖炉の薪がはぜる音が時々部屋に響いた。
ギリアンは、ヘーンブルグには伝わらない、ヴァロニアの歴史と現状をホープに教えてくれた。
「およそ二百五十年前に、ヴァロニア王国とシーランド王国は、聖地オス・ローをめぐってファールーク皇国と争ったんだ。その戦争はおよそ三十年に渡った。だけど、ヴァロニアは途中で王が病になって戦線を離脱した。その結果、東西の戦争はシーランド王国軍の敗退で幕を下ろしたんだ。
この時にね、ファールーク皇国、ヴァロニア王国、シーランド王国の三国間で、東大陸人のオス・ローへの越境を禁じる調停が交わされたんだよ。
ヴァロニアの撤退の所為でファールークに負けたと、その時にシーランド王国との血盟も解かれてしまった。
そして、今シーランドの矛先はヴァロニアに向いている。知らないかもしれないけど、実は今も戦争は続いているんだよ。おかしな話だけど、冬はシーランドの港が凍るから、戦うのは夏の間だけなんだ」
シーランドとヴァロニアの長引く戦争は、百年経った現在も続いている。
この百年の間に、戦地近くの領地は荒れて疲弊し、ヴァロニアとシーランドの王族・貴族間の因縁はさらにこじれていた。
ヴァロニアではシーランド側に寝返る領も現れた。シーランドに最も近いガイアール領は一番早くにヴァロニアに反旗をひるがえし、シーランド王国側についている。
「それで僕の父は、シーランド国王と条約を結んで、戦いに終止符を打とうとしたんだ。僕の姉がシーランド国王に嫁ぐことになったんだ。父の死後は、姉の夫であるシーランド国王に、ヴァロニアの王位を移譲するというものだったんだ」
この、ヴァロニアのガイアール領と、王都の境の街ヴァンデで調印された条約は『ヴァンデ条約』と呼ばれた。ヴァンデ条約の締結の翌年、シーランド国王ローランはヴァロニア王女リナリーと婚姻を結んだ。
ヘーンブルグには伝わってこない事実に、ホープは真剣に聞き入った。
「それで戦争は終わるはずだったんだけど、父よりも先にシーランドの国王が死んでしまってね」
「……じゃあ、条約は無効になったんですか?」
「そうなんだ。でも、そもそも、それ以前から、父のやり方に反対する貴族も多くて……」
ヴァンデ条約により、ヴァロニア王カルロスの死後は、王女リナリーの夫となったシーランド国王ローランがヴァロニア国王に就き、二重王国制となるはずだった。
しかし、多くの貴族や幕僚達が、シーランド国王にヴァロニア王位を譲ることに反対をした。正統なヴァロニア王家の血族、ギリアン王太子によるヴァロニア王位継承を提唱した。これが、ギリアンの王位正当性を推す『王太子派』で、今この城内にいる貴族や騎士たちだ。
ヴァンデ条約締結後、ヴァロニア内では、さらに各領が『王威派』と『王太子派』に分かれ、国内でも内戦が起こっていた。
「魔女狩りは、僕らが生まれるよりずっと以前から続いている。だけど、昔【魔女の報復】にあって以来、魔女狩りの数は随分減って、魔女狩りの目的も変わってきたんだ」
「【魔女の報復】?」
「【魔女の報復】というのは、二百年位前のことかな。そう、ちょうどファールークとの戦いから、ヴァロニアが戦線離脱した頃だ。魔女狩りで魔女を怒らせて、王都の領民の半分以上が、呪い殺されたと伝えられているんだ」
「呪い?」
「でも魔女の呪いなんかじゃない。本当は流行り病さ。死病が蔓延したんだ。……皮膚が黒くなり死に至る病が。実はヴォード王も、戦地でこの病にかかったと記録が残っているんだ」
皮膚が黒くなって死ぬ――。
ホープの頭に五日前に初めて聞いた『黒人』の姿が思い浮かんだ。
「戦地から帰還したヴォード王も、この病のために、ヘーンブルグで亡くなったと伝わっているよ」
ホープは、ルースから聞いたヘーンブルグは墓であるという話を思い出した。そう言えば、村はずれには昔の戦死者の墓地もある。
「ファールークからの戦線撤退後から、【黒】への迫害は酷くなった。その時に、黒髪の人々は皆ヘーンブルグに逃げたんだと思う。本当に病身で、聖地を目指していて、ヘーンブルグで足止めされた人も居たんじゃないかな。ヘーンブルグは一番南西の領地だから情報が入らないと言うのもあるけど、聖地巡礼が禁止されてからは流刑地でもあったんだ」
ヘーンブルグの現実と、王太子の話がどんどん繋がっていくことに、ホープはぞっとした。
「その後、いったん減った魔女狩りはまた復活した。しかも、ここ四、五程年前から魔女狩りが急激に増えている。五年前、僕はまだランスに居たから、何度もその火炙りを目にしたよ」
ギリアンの口から『火炙り』と聞いて、向かいに座るホープはその光景を想像した。
「魔女は火炙りにあっても死なないというからね。魔女の疑惑は命を落として初めて晴らされる。酷い話だろう」
王太子の言葉に、ホープは姉ルースの事を思い出しうつむいた。