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天国の扉  作者: 藤井 紫
第三章 凋落騎士の策謀
72/193

26-2

 翌朝。窓から朝日が差し込み、ホープは目を覚ました。

 ヘーンブルグより北東にあるローゼン領は、ヘーンブルグよりも寒さが厳しい。

 昨夜、月明かりで見た城の外観は石造りだったが、防寒の為、部屋の床には全面、壁にも枠組むように木が張られていた。

 それでも、明け方の冷え込みにホープは身を震わせた。急いで昨日着ていた衣服に袖を通す。

「ホープ、起きているか?」

 扉を叩く音とともにヴィンセントの声が聞こえたので、ホープは急いで扉を開けた。

 ヴィンセントは昨日とは違う衣服を着て、金色の髪も綺麗に整っている。

「おはようございます、ヴィンセント」

「来給え。食事だ」

 ホープがヴィンセントに連れてこられた部屋は、五十人は座れるほど長いテーブルがある部屋だった。さながら食堂のごとく、既に席に付いて朝食をむさぼる人たちでごった返している。人の話す声と金属の食器のぶつかる音で、部屋中騒然としていた。

 奥の厨房へと繋がる背の低いくぐり戸を、使用人達が出入りしていた。せわしなく料理を運んだり空いた皿を片したりしていた。

 食事をする人々はヴィンセントに気がつくと、一瞬その喧騒を止めた。

 長いテーブルの端に座っていた数人が、場所を開けるようにそそくさと去っていく。朝支度途中の騎士らしき人物の中には、席から立ち上がり横を通るヴィンセントに「これは! ヴィンセント卿!」と声をかけてくる者もいた。

 座ったまま食事を続ける人々も、何か珍しいものを見るように、ヴィンセントとホープを無遠慮に眺める。ホープはヴィンセントの影に隠れるようにして、その後ろを小姓の様についていった。

 二人がテーブルの角に座ると、使用人達は慌てて卓上に残された皿を片付け、肉の煮物や卵料理が雑然と盛られた皿を二人の前に置き、パンを盛った籠と水を容れた銀のピッチャーを二人の間を割って置くと去っていった。

「今日の午前中に、王太子と会えるように話をつけてある」

「ほ、本当ですか!? 王太子様が、ぼくなんかと会ってくれるなんて……」

 ホープにとっては、貴族のヴィンセントを名で呼ぶことでさえ身のほど知らずだというのに、この後ヴァロニアの王太子にまみえるというのだ。

 ほんの数日前に、領主ヴィンセントを尋ねてから大変なことになった。ホープは今更ながら痛感した。

 ホープは、期待と不安で胸が一杯で、目の前に置かれた料理もあまり喉を通らない。

 周囲の者達は、興味深げに二人の様子を眺めていた。

 それにしても、先ほどから、いやに周囲からの視線が二人に向けられている。ホープは自分達が見られていることに気がつくと、恐る恐るヴィンセントを見た。ヴィンセントもその視線におそらく気付いているのだろう。だが、敢えて知らぬ顔をして食事をしているようだ。

 人いきれで湿度の高い食堂の空気は、なおさらその妙な視線がホープにねっとりと絡みつくように感じさせた。


 朝食を終えた二人は、王太子の側近に連れられ、迎賓用の部屋へと案内された。

 その部屋の壁は一面真紅の布が掛けられ、三つあるテーブルの周りに不揃いの椅子が置かれていた。その椅子の一つ一つが豪奢で、背もたれに叙事詩の一場面のような刺繍がされているものもある。

「こちらでしばらくお待ちを。謁見の準備が整い次第お呼び致します」

 そう言い残し、案内の側近が二人を残し部屋を出て行った。

 ホープは緊張を隠せず、立ったままそわそわとしていた。

「私も少し外す。君はここで待っていてくれ」

 傍から見ても落ち着きのないホープを置いて、ヴィンセントも部屋を出て行った。




 ヴィンセントは、石造りの螺旋階段に足音を響かせ、上階の『ある部屋』へと向かった。

 目的の部屋の前に辿りつき、扉をノックする。すると、中から扉を開けられ、ヴィンセントは入室を促された。

 部屋に入ってきたヴィンセントを見て、奥のデスクにいた人物は、手にしていた書類やペンを投げ置き、立ち上がってヴィンセントの所へ駆け寄ってきた。座っていた椅子が、無作法にガタンと音を立てた。

「ヴィンセント! 良く来てくれたね!」

 ヴァロニアの王太子ギリアン・フォン・ヴァロアだった。

 こういう行動が、王太子の地位を危ぶむ原因の一つなのかもしれないが、ヴィンセントはそんな級友のことを好意的に思っている。

 神学校時代から、貴族内では、王太子は『臆病者』、自分が『変わり者』だと言われているのも、ヴィンセントは知っていた。

 今はローゼン候の城に身を寄せる王太子ギリアンは、身分を偽るため聖職者の長服を身に着けていた。

 以前とは全く違う、王太子の服装や頭髪を見て、ヴィンセントは開口一番に言った。

「ギリアン、随分と僧侶の格を上げたな」

 ヴィンセント本人が到って真面目なのをわかっているようで、王太子は苦笑した。こんな言葉を王太子に向かって言うのは、昔からヴィンセントくらいだ。

「ああ、この格好は随分寒くてね。最初は風邪で寝込んでしまったよ。ローゼンはランスより暖かいけれど、いつもこんな格好でいる聖職者達には本当に感心するよ。それより……」

 そう言って、王太子が側近の方にちらりと目をやると、側近を残し他に居た数名の者たちは部屋を出て行った。

 部屋の中が限られた者たちになったのを確認し、ヴィンセントは話を切り出した。

「ギリアン、実は今回は頼みたいことがあってここまで来たんだ」

 王太子は、黙ったまま軽く数回頷いてみせた。先に連絡を受けていたギリアンは既に準備を整えていたようだった。

「今まで、僕は何度も君に助けられてきたんだ。君のためなら出来るだけのことはさせてもらうよ」

「私の個人的な事で申し訳ないんだが、この少女を助けてやって欲しい」

 そう言って、ヴィンセントは魔女狩りの書状をギリアンに見せた。

「これはランスの、王族の印章……。誰が勝手にこんなことを……」

 王族の印を使えるのは、今はギリアンとその母の王妃イザベラだけだ。ギリアンは勝手に使われた王家の印を悲しそうに眺めた。

 そして、ギリアンもその書状に目を通すと、そこに書かれていた日付に目を留めた。

「一年以上前じゃないか。この処刑は、まだ執行されていないってことなのかい?」

 ヴィンセントは、ホープから聞いた話を、ギリアンに説明して聞かせた。

「このジェードという少女が、今生きていようと死んでいようと構わない。この魔女疑惑を撤回さえしてくれれば、それでいいんだ。私個人の話はそこまでだ」

「ヴィンセント、この子も【黒】なんだろう? ヘーンブルグの娘だ。【黒】にかけられた魔女疑惑は今まで撤回されたためしが無い。正直、僕には自信が無いよ」

「ならば確実に撤回できる方法を、私が教えてやる」

 うつむいていたギリアンは顔を上げると、真剣な顔付きのヴィンセントを見つめた。

「君が王に即位するんだ」

「……そんなこと、……僕には出来っこない」

 ギリアンは、目を伏せて頭を横にふった。言葉と一緒にため息がもれた。

「このジェードという少女の話なんだが」

「ああ、続きがあるんだね」

「その弟の話では、その少女は、今【天使】の導きで聖地に居るらしい」

「【天使】の導きで……、聖地に……? 一体どうやって?」

 現在、フロリスから聖地オス・ローには入れないことを知っているギリアンは、表情に疑問の色を呈した。

「この魔女疑惑が有効である限り、この少女はヴァロニアには戻ってはこれない。しかし、もし戻ってきたとしたらどうだ?」

 悪魔と交わえば魔女ウィッチ、天使に導かれれば聖女セイント――。クライス信仰者がささやく口承は貴族でも農奴でも知っている。

聖女セイント……? でもそんな神秘的現象オカルトは、君が一番信じてなさそうなんだけど?」

 ヴィンセントの性格を良く知るギリアンは苦笑した。

「信じてはいないが、利用は出来る。反王太子派が魔女を仕立て上げて利用しようというなら、こちらも同じようにすればいい。魔女と聖女、ランスの人間が好きそうな話じゃないか」

「…………」

 ギリアンは考え込むように黙ったが、独り言のように呟いた。

「黒髪の……【聖女】か……」

 そんな王太子を、ヴィンセントはじっと見すえた。

「連れてきたのは、その双子の弟だ」

「いや、疑っている訳じゃないんだよ。僕は君が腰を上げただけで、十分信じるに値すると思っている。だけど……ヴィンセント、君自身は信じているのかい?」

「今度ばかりは、私も信じてみたいと思ってるんだ」

 ギリアンは肩をすくめて少し笑った。はなからギリアンがどうするかを知っていたかのようなヴィンセントに少々呆れながらも、今までのヴィンセントの功績から、彼の行動には間違いがない事を認めているようだった。

「君を助けるつもりが、また君に助けられることになりそうだね」

 ギリアンは納得したようにうなずくと、「では、謁見の間へ行こう」と、ヴィンセントと連れ立って謁見の間へ向かった。





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