24.十四歳の誕生日
1426年1月6日、ファールーク皇国 皇都サンドラ――。
新しい年を迎えて六日目。
ジェードは祈りながら、天使に感謝を述べた。
(天使様、今日はわたしとホープが祝福を受けた日です。十四度目の、この日を迎えられたことに感謝します)
ジェードは十四回目の誕生日を異国の地で迎えることになった。
村を出てからちょうど一年だ。昨年の今日を思い出して悲しくなるかと思ったが、なによりも忌年を無事に超えられたことが、ジェードにとっては嬉しいことだった。
新年の雰囲気はピークを過ぎたが、宮廷内に暮らす人々はまだまだ浮き足立っている。
昼夜にかけて、いつもより忙しく働いている家奴隷達もどこか楽しそうだ。
水瓶に水を注ぐ音に混じって、ジェードの鼻歌が聞こえてくる。ジェードが嬉しそうにそわそわしているのは、はたから見ても明らかだ。
いつもより軽い足取りで朝食を運んできたジェードの様子を、ハリーファは不思議そうに眺めた。給仕の時も始終ご機嫌で、こんなジェードを見るのはハリーファも初めてだ。
食事の手を止めて、テーブルの向こう側に立っているジェードを見やった。
「今日は随分機嫌が良いんだな」
声を掛けると、ジェードは澄んだ漆黒の瞳を大きく見開いた。キラキラした視線で真っ直ぐにハリーファを見る。
「だって、忌年が開けたのよ!」
アーディンと同じ意味の名前を持つジェードが、『これを喜ばずにいれるものか』と言わんばかりに微笑む。
しかし、残念ながら、それがどれほど喜ばしいことなのかハリーファには全く理解できない。
三ヶ月前に、ジェードは村に戻ることを諦めたようだった。つまり、ハリーファを殺すことを諦めたのだ。自分で決意したことのはずだが、やはり一月余りは塞いでいる様子が続いた。その後、ジェードのこんな笑顔を見たのは初めてだ。
「今日はお前の生誕日なのか?」
「そうよ!」
(本当は、パパやママやホープと一緒に、お祝いが出来たらよかったんだけど)
笑顔の下に隠した、ジェードの本心が漏れ聞こえてくる。
「わたしの村ではね、誕生月に金属で出来た贈り物をもらって、それを身に付けていると一年間病気をしないって言われてるの。悪魔は金属が嫌いなんですって」
そう聞いて、ハリーファは、どこかで聞いたことのあるような話だと思う。
「ファールークでも金属は魔避けとされている。男が帯に挿す短剣は魔避けだ」
しかし実際、宮廷内で剣の所持を許されているのは、宰相とシナーンと兵士だけだ。
「ハリは魔除けを持たないの?」
「俺は捕虜だぞ? そんな物持てるはずがない」
ジェードは、ハリーファが自身のことを『捕虜』と言ったことに、複雑な面持ちを示した。
ハリーファはすかさず問いかける。
「今まで生誕日に何を贈られてたんだ?」
「ママが毎年小さな金属のボタンをくれたわ。それを服に縫い付けるのよ」
しかし、そのボタンを縫い付けた服も、ジェードはもう持っていない。
(去年、ウィルから貰ったペンダントは真っ黒になっちゃったし……)
胸元のペンダントを気にするジェードの心から、見知らぬ少年への想いがハリーファに伝わってきた。
「ふーん、それは『男』からの贈り物だったのか」
ハリーファが言うと、ジェードの顔が耳まで真っ赤に染まった。
「心を読んだのね!」
「声と同じで、聞きたくなくても聞こえてくるんだ。嫌なら何も考えるな」
ジェードは顔を紅潮させたまま、むっとしている。
「そんなこと出来ないわ」
「だったら、もっと離れていろ」
ジェードは手に飲み水の瓶を握ったまま、ハリーファに背を向けてしまった。
(何も考えないなんて、私には無理よ)
「お前でも、訓練すれば出来るようになるかもしれないぞ。暗殺者はそういう訓練をしているそうだ」
「暗殺者!? もし、わたしが本当にそんな暗殺者だったら、とっくにハリを殺せてたわね」
ジェードは、ふり返りながら少しふざけたように言う。こんな風に冗談で言うくらいになったのだから、本当にハリーファを殺すことは諦めているようだ。
「馬鹿だな。何も考えていないなんて不自然だから、逆にすぐに気付く」
「でしょう? だから、何も考えないなんて普通は無理なことなの」
「……確かに、今まで心の声が聞こえない奴に、出会ったことがないな」
「言葉に出さなくても、皆色々なことを考えているのよ」
ジェードが勝ち誇った顔でハリーファを見やる。
しかし、その後、ハリーファは思い出した。
「いや、でも、聖地で……、アルフェラツの心からは、何も聞こえてこなかったな……」
「……【天使】様は人じゃないからじゃないの?」
あの時、ハリーファにはアルフェラツの声は何も聞こえていなかった。
「それより、ジェード。お前に俺から何か贈ってやろう」
「え? ハリからわたしに?」
突然言われ、ジェードは目を丸くした。
キスをするほどの『男』から貰ったというペンダントに、ふと対抗心がわいたのだ。
「母親みたいにボタンがいいのか? 金属の装飾品だったら身につけておけるんじゃないか?」
ジェードは、しばらく何か欲しいものがないか思案していたが、その顔から笑顔が消えた。
「短剣を……、パパの短剣を返して欲しいの……」
「短剣? 父親の?」
「聖地で……、あの時、ハリがわたしから奪った短剣よ」
ファールークの兵士を刺した短剣だ。連れ帰った遺体に、短剣は刺さっていなかったのを覚えている。たとえ皇宮にその短剣が持ち込まれていたとしても、軟禁状態のハリーファは武器を入手することが出来ない。
「あの短剣、パパがママからもらった大切なものだったの。それをわたしに預けてくれたのよ。お守りだったの。本当に、大切なものなの」
ジェードの顔は曇り、今にも泣き出しそうだ。
「お願い……」
さっきまでの笑顔はすっかり何処かへ消えてしまった。
「……無理を言うな。今の俺には、武器を手に入れることは出来ない。他のものにしろ」
喜ぶ顔が見たいと思ったハリーファの計らいだったが、ジェードを喜ばすことは出来そうになかった。