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天国の扉  作者: 藤井 紫
第二章 落陽の聖国
63/193

22-2

 空はすっかり勝色に染まり星がちらついていた。

 土色の質素な宮殿の、大きな硝子の窓からもその様子が見えた。

 ベッドの横に置いてあるオイルランプの灯りが微かに揺れ、ベッドの傍らから窓辺へと歩く女の影が壁に映る。

「お父様、窓は閉めておきますね。新月の夜は神魔ジンが現れると言いますから」

 西大陸モリスにある皇都と違い、中央の地は夜になると冷えて昼夜の寒暖差が激しく、病床のユースフの身体には堪える。ユースフの長女であるメイサは、窓を閉め中央の小さな閂をかけた。

 一人娘のメイサは、ちょうど結婚した頃のシャーミールと同じ年頃になり、母親に良く似ていた。モリス信仰の成人年齢である十二歳を迎えたアーディンの息子ナーシルと、数ヶ月前に結婚したところだった。

 メイサはベッドの傍に戻ってくると、猫のような魅惑的な漆黒の瞳でユースフを見つめた。

「メイサ、夫をおいてこんなところに来ていていいのか?」

 ユースフが言うと、メイサは明るく微笑んで言った。

「わたくしの可愛い君主マリク様は、アフダル兄様と一緒に皇都でお留守番です。本当はナーシルもお父様に会いたがっていたんです。でも、叔父様まで皇都を離れてこちらに来ているんですもの」

「そうか」

 ユースフは、長男アフダルを始め他の息子たちとは、上手く父子関係を結ぶことが出来なかった。メイサは気を遣って誤魔化したのだろうが、だからこそ今自分の傍に息子たちの姿はないのだと悟った。

 マリクの継承権をアーディンの次席は、嫡子のアフダルではなく、アーディンの息子ナーシルにしたことにも腹を立てているのだろう。

「お父様、ゆっくりお休みになって」

 メイサはそう言って、ベッドに横たわったユースフにキスすると、部屋を出て行った。


 ユースフが目を閉じると、瞼の裏に光る大地が映る。

 そこに白い衣装を纏った無表情なサライが居て、両手から零れ落とすように灰を撒いている。サライの足元に落ちた灰は、そこだけは光らず、くすんだ影がサライの足元に広がっていた。まるで何かを暗示するかのようだ。

 この幻覚は、自分の弔いなのかとユースフは思った。

 扉をノックする音に、幻想的な映像はユースフの脳裏から消えた。扉を開けてアーディンが入ってきた。

 アーディンはベッドの横に来て、ユースフに話しかけた。

「兄さん、具合はどうですか?」

「ああ、最悪だ」

「昨日よりは元気なようですね」

 どこか寂しげに微笑むアーディンの顔が、先程のメイサの顔とダブる。

「俺は【エブラの民】に送られたいのに、お前たちが次々見送りに来る」

「六年前のフロリスの侵攻以来、【エブラの民】は一度も【天国の扉】を開けていませんからね……」

 【エブラの民】は、外界との扉を閉ざしてしまったのだろう。

 アーディンはベッドの横にあった椅子に腰掛け、横にあるランプの灯を調節し少し大きくした。

「アーディン、俺は償えただろうか」

 ユースフは小声で呟いた。

「……わかりません。ですが償い切れなかったなら、来世アーヒラで償えば善いのです」

 ユースフは自分の死期を悟っていたつもりだったが、アーディンの答えからそれがもう間近なのだと確信した。

「お前の信仰は、エブラなのかモリスなのかわからないな……」

「私の信仰は、兄さん、貴方ですよ」

「……俺は、お前を救済するどころか、劫罰ごうばつを課した」

「謝罪は私にではなく、兄さんの信じる神にすればいい。扉の向こうで……サライが迎えてくれますよ」

 アーディンは二十六年間、一度も出してこなかったサライの名前を初めて口に出した。ユースフは何も答えず、二人の間にしばらく沈黙が続いた。

「俺は、サライには会えない……」

 しばらくしてユースフがそう呟いた。

「【エブラの民】を助けると、サライと約束をしたんだ」

「フロリスの侵攻から、オス・ローを守ったではないですか」

 アーディンはそう言ったが、ユースフにはサライがそんなことをユースフに頼んだようには思えなかった。

 六年前のフロリスとの会戦で、戦場となったオス・ローの街は、大きな被害を受け半分以上が崩れ落ちた。城下は少しずつ復興しつつあったが、今はフロリスから国境を越えることは禁じられ、巡礼者も訪れない。

 そして、【エブラの民】は【天国の扉】を開けて外に出てくることはなくなってしまった。

 【エブラの民】を呪う……伝え聞いた【悪魔】の言葉が、常にユースフの頭から離れなかった。死を目前にして、ユースフの心に残ることは【エブラの民】とサライの言葉だった。

「もう、下がってくれ」

 アーディンは素直に従い、静かに部屋を後にした。


 深夜、誰も居なくなったユースフの部屋で、微かに流れていた風が止まった。

 それは、窓が閉められたからだけではない。うるさいほどの静寂が辺りを包み込んだ。

 部屋の中にいつの間にか男が現れ、ユースフの枕元へと近づいてきた。

 その男は、不気味なほど真っ黒な服を身に纏っている。だが、透き通るような真白な肌、明るい金色の髪、吸い込まれそうな翡翠色の瞳を持つその姿は、まるで美しい天使を思わせた。

 男はベッドの傍らに腰を掛け、不思議な笑みを浮かべてユースフを眺めていた。


 ユースフの心に、過去の出来事が次々と浮かび上がる。

 聖地、サライ、【エブラの民】、呪い、皇国――。

 王となり、オス・ローを手に入れても、サライとの約束は果たせていない。


 ――【エブラの民】を助けて


 そう言った、サライの本当の気持ちがわからないままだ。

『欲望だらけだ。その方が人間らしくていいな』

「……ラース……来たのか……」

 かすれた声で、ユースフが男の名を呼んだ。


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