22.罪の継承
ファールーク皇国の皇都サンドラの皇宮で、ハリーファは高熱を伴って、一人深い記憶の中を彷徨い続けていた。
何度か熱が下がり、一時快方に向かうこともあった。しかし、落ち着いたと思った頃に再び熱を出しては、床に伏せるような状態を繰り返していた。
「……ライ、……サライ……」
ハリーファのうわ言を聞いてリューシャは心配した。
(お苦しいのね。お母様のお名前ではなく、伝承者エブラの妻の御名を唱えるなんて)
リューシャが水を含ませた布をハリーファの額に乗せると、ハリーファは突如飛び上がるように上体を起こした。
ハリーファが息をするたび苦しそうに肩が上下する。翡翠色の目を見開くと部屋の中を見回した。
ここがファールーク皇国の本宮の一室である事は理解できた。
「大丈夫ですか? ハリーファ様?」
覗き込んで声を掛けてくるリューシャを、ハリーファはじっと見つめた。
「……え、……」
名前が出てこなかった。夢で見た沢山の男の記憶と現実が混乱して、ハリーファは目の前に居る金色の髪の女奴隷の名前が思い出せない。
「ハリーファ様、お水とお薬をお持ちしますわ」
リューシャはそう言うと部屋を出て行った。
ハリーファは自分の手のひらをじっと見つめ、その後顔に手をあて自分の姿を確認した。
「ハリーファ……」
独り、小さな声で呟いた。
ここが夢ではなく現実なのだと実感するのに、ほんの少し時間がかかった。
「ハリーファ様、お召し替えもなさいますか? ずいぶん汗を……」
リューシャが熱冷ましの薬を準備し、水を注いだピッチャーとグラスを盆に乗せハリーファの部屋に戻る頃には、ハリーファは再び眠りに落ちていた。
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ハリーファは、馬上から聖地オス・ローの空を見上げていた。
日が傾き始め、青空は東から少しずつ茜色に染まる。頬に触れる空気は少し冷たくなってきていた。
オス・ロー麓の石畳の広場は、宿に戻る前の巡礼者で溢れかえっている。
その雑踏の中、人を避けながら、ゆっくりと馬に跨ったまま坂道を上る。途中の共同の厩舎に馬を預けた。
通りに戻ると、乱れた外套をばさっと大きく翻してかけなおした。坂を下る巡礼者とは逆に、徒歩で坂を上っていく。
ドームに程近い居住区にある家の扉を開ける。中から暖かい空気が表に流れ出した。
「おかえりなさい!」
扉を開けると、黒い肌の少女が満面の笑みを見せて、ハリーファを迎え入れてくれる。
「おかえりなさい! ユースフ――」
夢の中の少女に過去の名を呼ばれ、ハリーファの意識はユースフへと変わっていった。
サライの死後、ユースフはウバイド皇国に戻り、宮廷内で勢力を振るっていた黒人宦官ムータミンを殺害、その奴隷軍兵を撃破し、シュケムの国制を導入や体制の切り替えを行った。
そして確実に政権を固めていった。
その四年後には、ウバイド皇帝サーリムが二十歳で病死した。
この時、ユースフとシャーミールとの間にウバイド皇家の血を引く子供は生まれていなかった。
結果ウバイド皇国は跡継ぎのないまま終焉を迎え、ウバイド皇国に代わって、ファールーク皇国がアル・マリク・ユースフの名の下に成立した。
ユースフはシュケムの君主とその従兄妹である妻エイダの為に、シュケム王国に臣従するという形式でファールーク皇国の王を称した。
翌年、シュケムでは王が崩御し、ユースフの父ファールークがシュケムの王となったが、後を追うようにファールークが急逝した。
それを機に、モリスの大国ファールーク皇国が中央の小国シュケムを取り込んだ。ユースフがファールーク皇国の実権を握り、弟アーディンを宰相に迎えた。
ウバイド皇国と、中央の地にあったシュケムという小国は、相次いで地図と歴史上から姿を消した。
さらに歳月が過ぎユースフが五十路になる頃、聖地オス・ローにヴァロニア・シーランドの連合軍が侵攻して来た。
ユースフ率いるファールーク軍はこれを撃破し、今まで独立していた聖地オス・ローは事実上ファールーク皇国のものとなった。
* * * * *
オス・ローがファールーク皇国のものとなった頃から、ユースフの身体は病魔に冒された。
ユースフは、皇都サンドラの事はアーディンに任せ、戦線だったオス・ロー近くのシュケムに居を構えていた。
シュケムの住民たちは西大陸方面に移動し、シュケムは今ではファールーク皇国の対フロリスの軍事拠点となっていた。
中央の地の北方にあるシュケムの宮殿は、ウバイド皇国の遺産である宮廷に比べると、非常に質素な造りだ。切り出した石と、干しレンガで出来た清貧な城には、無駄な装飾などは何一つない。各部屋の中にも、ただ寝るためのベッドと、ものを書くための小さな机と椅子が一組あるだけで、他には何もないような城だ。
そのシュケムの元宮殿で、五十五歳になったユースフは病床に伏していた。
自分の呼気が喉を通る嫌な音が、やたらと耳につく。
ベッドに身体を横たえ目を閉じるが、喉の音が頭に響き、眠っているのか起きているのか、自分でもわからなくなっていた。
医師以外の者に自分の病に気づかれぬようにと、ここ六年間ユースフは気丈に振舞った。だがそれも限界で、とうとう最期の時が近づいたのを悟った。
おそらく医者が気遣ったのだろう。数日前に皇都から実弟アーディンと、一人娘のメイサが呼び寄せられていた。
今まで薬草で紛らわしてきた身体の痛みも、不思議と今晩は感じられない。痛みからは解放されたが、もう身体を自分の意思で動かすことが出来なくなっていた。