3-2
にわかな旅立ちにジェードの心は混乱したままだった。
土地感のあるところは順調に馬を走らせた。しかし、辺りが暗いためだんだん道がわからなくなり、馬の速度が落ちてきた。
騎手の心を悟ったのか、馬の歩みはますます遅くなり、やがて足踏みをして止まってしまった。
(本当にこのまま行かなきゃいけないの?)
大人達は自分をヘーンブルグから追い出したいのだろう。だが、その理由が全くわからない。こんな気持ちでは聖地巡礼になんて行けそうにない。
(ルー姉さんは、村を出て領都で働いて、そのせいで死んでしまったって言っていたのに……。わたしには村を出ろだなんて……)
だが、言いつけどおりにアレー村を夜中に抜けるには、もたもたしてはいられなかった。
ジェードは馬上でもいつもと同じように天使に祈った。両手を胸の前で合わせる。
「天使様、わたしはきちんと毎日教会でお祈りしてきました。ルー姉さんのように、天使様の教えを破ってもいません。なのに、本当に聖地に行かなければいけないのですか? どうか、お答え下さい、クライスの御名において……」
そうつぶやいた時、
『戻ってはいけません』
ジェードに【声】が聞こえた。
「天使様!」
ジェードは思わず【声】の主の名を叫んだ。
『夜明けまで、このまま道なりに休まずに馬を走らせなさい』
「どうして聖地に行かなければならないのですか?」
『聖地へ来れば、貴女の求めることを全てお話しましょう――』
天使の【声】は耳ではなく心の中に聞こえてくる。
『もうすぐ夜が明けます。急いで――』
ジェードはその【声】に逆らうことはできず、従順に従うと、馬の速度を速めた。
* * * * *
「ホープ、起きろ!」
そう呼ばれた主は、次兄のユーリに体を激しく揺さぶられた。
「早く起きて教会へ行くんだ! 父さんと母さんはもう行ってる!」
兄がなぜ実家に居るのか不思議に思ったが、ホープは寝起きの頭が回らず、身体を起こしながら眠そうに目をこすった。
仕事に行くにはまだ大分早い時間だ。なぜ兄が急かすのかわからなかったが、その様子は尋常ではない。急いで着替えると兄ユーリを追いかけた。
階下におりると、部屋は昨夜の慌しい旅支度の痕跡を残していた。
(なんだろう、これ? 手紙?)
テーブルの上に無造作に置かれた筒状に丸まった書状が目にとまった。普段ほとんど見ることのないめずらしい羊皮紙だった。ホープはそれを手に取り広げると、驚くべきことが書かれていた。
そこには双子の姉ジェードが魔女であると記されている。そして、魔女引渡しの要求内容がものものしい筆跡で書かれていた。封にはホープにもわかるヴァロニアの王族の紋章が押印されていた。
「嘘だろ……」
ホープは目の前が真っ暗になった。
(も、もしかして、ジェードの秘密がばれたのかな)
ジェードには【天使】の声が聞こえる。そして【天使】と会話できることを知っているのはホープだけのはずだ。自分は誰にも話したりはしていない。ジェードは【天使】と話している姿を誰か他の人に見られてしまったのだろうか。
ホープは家を飛びだし、引渡し場所の教会まで走った。教会までの近道である牧場を、木で出来た柵を乗りこえて突っきって走った。
息を切らして教会に辿りついたときには、ちょうど軍人らしき数人が父を連行していくところだった。
まるで樽のように縄で巻かれた姿の父が、無理矢理馬上に押しあげられていた。教会の入り口付近には、村の住人が集まっている。観衆の真ん中に、牧師が倒れて血を流していた。母の姿と長兄エージも、その傍らに見えた。
観衆を掻きわけて、ホープは母のもとに駆けよった。
「母さん! 兄さん! 先生っ!」
泣き崩れる母を、周りで見ていた女たちが支えて連れていった。怪我を負って倒れていた牧師も数人の男たちに支えられて、村の診療所の方へ連れていかれた。軍人たちから暴行を受けたようだが、命に別状はなさそうだった。
「父さんは? どうなっちゃうの?」
「わからない」
ホープの問いかけに、長兄エージは首を横にふった。
村人たちは「気を落とすなよ、エージ」と兄に声をかけ、一人また一人と家に戻っていく。
その場には、ホープ、それに兄のエージとユーリだけになった。
「……ねぇ、兄さん、父さんとジェードはどうなるの?」
姿を見なかったが、ジェードも軍人に連れて行かれてしまったのだと、ホープは思っていた。
「親父がどうなるかはわからない。だけどな、ジェードは連れていかれてないんだ。ゆうべ聖地に向かったらしい。無事に聖地に辿りつければ……」
うろたえるホープにエージは小声で言った。
その後、父ジャックは捕らえられた先で亡くなったと、家族のもとに連絡が届いた。
聖地オス・ローへ向かったジェードも、三ヶ月、半年と過ぎても村に戻ってくることはなかった。ヘーンブルグから聖地オス・ローへは、馬を使えば三ヶ月もあれば戻ってこられるはずだった。