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天国の扉  作者: 藤井 紫
第二章 落陽の聖国
58/193

20-2

 少し傾きかけた太陽が、西側の回廊に出来た日陰を小さくしていた。まだ眩むような熱さの中、シャーミールがユースフを追って出てきた。

「ユースフ様、お待ちになって!」

 服の裾を乱し、膝下の素足を露にして走ってきた。

「……先程は、……どうか……ご無礼をお許し下さい」

 軽く肩で息をしながらシャーミールはユースフに謝罪を述べた。先程言葉を交わしたときから、シャーミールの表情はどこか悲壮さを湛えていた。そんな様子を見ても、ユースフにはやはりシャーミールとどこかで会ったことがあるのか思い出せない。

「シャーミール殿下?」

「はい?」

「以前に、私と何処かでお会いしたことがありましたか?」

 そう言われ、シャーミールはユースフが自分の事を覚えていないのだと気がついたようだった。さっきは、黒人宦官から助けるために、ユースフが一芝居したのに気が付いたようだ。

「はい、六年ほど前に一度だけオス・ローでお会いしたのですけど。ユースフ様は、覚えて居られなかったのですね」

 六年前というと、ユースフは二十二歳の頃だ。まだ年若いシャーミールは成人するかしないか程度の年端だっただろう。

「随分昔のことですね」

「あの時、ユースフ様に怒られたこと、わたくしは今も忘れていません」

 そう言われユースフは面食らった。この姫が自分に怒られたということは、どうやら直接言葉を交わしていたわけだ。それなのに、何時何の話をしたのか皆目検討が付かなかった。

 そんなユースフの表情から察したのか、シャーミールは付け足した。

「上の兄姉に甘えて、皇族の娘が遊びまわっていてはダメだと怒られてしまいました。それが……今、こんなことになってしまって……。本当に、ユースフ様のおっしゃる通りでした……」

 父・母・兄・姉という皇族が相次いで亡くなり、今年十五になったばかりの弟と自分しか、皇家の血を引く者が居なくなった。それまでは末の姫だった自分に、皇位継承のお鉢が回ってくるとは思ってもいなかったのだろう。

「わたくしも、陛下も、もっときちんと皇位について学んでいれば、きっとこんなことには……」

 涙を滲ませて、うつむきがちにそう言われ、ユースフはようやく思い出した。

 アーディンが十五歳になり成人を迎えた時の事だ。父の後継の件も含め、ユースフの身分やその扱いについて、父親と激しく衝突していた時期だ。

 父の言うことを聞くつもりは毛頭なかったが、弟には少なからず罪悪を感じていたのだ。シャーミールは運悪く、そんな荒れた時期のユースフと会い、そのとばっちりを受けていたようだ。

 御気楽な皇族の少女に向けた単なる厭味で、ユースフが自分自身を叱責した言葉だ。少女と同じ歳のアーディンは自分の割を食っているのに、この少女はなんと暢気なのかと。……言わば八つ当たりだった。

「……ああ、それは申し訳ありません」

 その言葉を言った相手ではなく、その言葉の真意を思い出し、ユースフは苦笑するしかなかった。己も同類なのだから。

 その時のことを気に病んでいるのか、ずっと申し訳なさそうな顔をしているシャーミールに、ユースフは優しく語りかけた。

「シャーミール殿下、私をお許し頂けますか? あの時は私もまだ若かったので、差し出がましいことを申し上げました」

「はい。もちろんです。でも、ユースフ様は今もお若いわ。あの時とお変わりありませんよ。六年経つのに、すぐわかりましたし」

 そう言うシャーミールの顔に、ようやく笑みが浮かんだ。確かにユースフは、二十二歳の頃から背も体格もほとんど変わっていない。もしかしたら、精神も成長していないのかもしれないとさえ思える。

「でも、そのお顔……、ひどいお怪我。一体どうなされたのですか?」

 ずっと気になっていたのか、数日前に傷を縫合した右頬の傷痕を、シャーミールは心配そうに見上げた。

「砂漠に盗賊が出ると聞いておりますが、まさか……」

「いいえ。これは出立前に、弟と兄弟喧嘩をしたときの怪我です」

「喧嘩? アーディン様がですか?」

 シャーミールは、猫のような魅惑的な瞳を大きく見開いた。

「あのアーディン様が、お兄様とは喧嘩をなさるのですか?」

「意外ですか?」

「ええ。いつもとてもお優しいお方なので、喧嘩なさるような御姿は想像も出来ません」

 アーディンの性格の善さは隣国にまで響いているようだ。だが、本当はただの優等生なだけの弟ではないことが、この十日間一緒に過ごした事でよくわかり、ユースフのアーディンへの信頼度は格段に上がっていた。

 二人がそんな話をしている所に、アーディンが本宮から外に出てくるのが見えた。

「アーディン様!」

 アーディンの姿を見つけたシャーミールは、幼馴染を見るような安堵の表情が浮かべた。

「シャーミール殿下、ご無沙汰しております。この度は先に挨拶もせずに失礼しました」

「いいえ。ユースフ様共々、ご足労お掛けいたしました」

 シャーミールは、そう言って腰を落とすと、アーディンに深々と頭を下げた。ユースフはアーディンを見つめるシャーミールに、人並み以上の好意を感じ取った。人の気持ちに疎いユースフにもわかるほどだ。

 だが、アーディンはそんなことは気にも留めず、真顔でユースフに話しかけてきた。

「兄上、どうぞこちらへ。陛下がお呼びです」

 そう言われ、ユースフはシャーミールに敬礼すると踵を返し、アーディンと連れ添って回廊を去っていった。


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