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天国の扉  作者: 藤井 紫
第二章 落陽の聖国
56/193

19-2

 先に家に戻っていたアーディンは昨夜の出来事を思い出し葛藤していた。

 リビングのテーブルの上に置かれたランプを睨みつけ考えを巡らせた。聞きたいことがあるのに、ユースフがなかなか帰宅しないことに、余計にいらだちが募ってくる。

(兄さんとサライ……)

 もしサライが【エブラの民】なのだとしたら、兄は神を冒涜しているとしか思えない。

 アーディンは、ユースフほど信仰心が厚いわけでもなかったが、【エブラの民】に手を出すなど神の領域を侵犯しているとしか考えられなかった。今まで傾倒してきた兄だからこそ、それだけは許せない。

 一人でテーブルに向かい、険しい形相のアーディンに、ユースフの奴隷たちも声をかけることも出来なかった。



 深夜になりようやくユースフは帰宅した。

 ユースフが家の扉を開けると、アーディンがリビングで灯を灯したまま、一人ユースフの帰りを待っていた。オイルランプの灯りがリビングでテーブルに向かって座る弟の姿をぼんやりと照らしている。

「まだ起きていたのか」

 そう言いながら、ユースフは馬具を入り口の床に置いた。

「兄さん、今日巡礼の時、【天国の扉】が開き、私も【エブラの民】に会うことが出来ました」

「お前は運がいいな」

 ユースフは外套を壁の鉤にかけながら、振り向かないで返事をした。そしてそれ以上何も会話が続かなかった。

「……兄さん、もしかして、サライは……」

 アーディンに単刀直入に聞かれ、ユースフは答えた。

「……そうだ、【エブラの民】だ」

 その答えを聞いてアーディンは怒りを露にした。アーディンは勢いよく立ち上がり、その勢いで椅子は後ろに倒れる。

「【エブラの民】は不可侵な存在! 兄さんは神を冒涜してる!」

 声を大にし、

「聖裁を!」

 と言うやいなや、剣を抜いてユースフの喉元に切りかかった。

 部屋の中を橙色の閃光と風が走り、壁と床に鮮血が飛び散る。

 アーディンの剣は、ユースフの右目の下を横にかすめ、ユースフの顔と衣服も一瞬で真紅に染めた。

「なぜ避けないのですか……?」

 アーディンが自ら剣を逸らさなければ、ユースフの首は飛んでいただろう。ユースフを睨むアーディンの顔にやり切れなさが浮かんでいる。

 ユースフは弟の問いにすぐに答えられなかった。

「……俺は、多分、裁きを受けたいんだ……」

 どうにか答えたユースフの言葉に、アーディンは身をふるわせた。

「兄さん、ひどいな……。これで、もう私も同罪だ」

 ユースフを殺すことを躊躇ためらい、聖裁を下せなかったアーディンもまた神に背いた事になる。

「……すまない」

 アーディンを自分の罪に巻き込んでしまったことを、ユースフは後悔した。

 やはりどこかで救いを求めていたのだ。でなければ、いくら酒が入っていたとはいえ、アーディンにサライを会わせたりはしなかった。弟なら、自分に裁きを下せると思っていたのだ。

「お前が許されるのなら、俺を殺してくれ」

 ユースフは目を伏せて、床に胡坐あぐらをくむと両手首を合わせて床に着けた。

「兄さん……」

 アーディンは、床に座り込んだ兄を上から見下ろした。

「兄さんが父上によって、君主の従兄妹である義姉上と、意に沿わぬ結婚を強いられたことも知っています。代官職を放棄した兄さんでも、君主の為に、主情を無視しそれを拒まなかった。『シュケムの英雄』の子として生まれた以上、私も兄さんも自我尊重の心は捨て置いてきたはず。それなのに……、何故ですか……?」

 アーディンの兄に対する怒りと落胆と疑問が交じり合った声に、ユースフは何も答えることが出来なかった。弟にこんなにも憧憬を抱かせるほど、自分は一体何をしたというのだろうか。

「彼女を、……サライのことを本気で愛しているのですか?」

 ユースフは下を向いて黙ったまま、微かに頭を動かし頷いた。だが、半分は嘘だ。本気でサライを愛せていたかどうか自信がない。

 そんな兄の挙動を見てアーディンは言った。

「もしかして……、彼女の方が……?」

 信仰心の厚いユースフが、【エブラの民】を拒絶することなど出来るはずがない。

 サライが望まなければ、こんなことにはならなかった。【エブラの民】に対してユースフは禁忌を犯すこともなかっただろう。

「俺に、【エブラの民】を……サライを愛する資格はあるのか……?」

 ユースフは独り言のように呟いた。

 自分でも、言っていることとやっていることが矛盾しているのは判っている。だが、これこそがユースフがずっと抱えてきた罪の意識だった。

 アーディンは、剣についたユースフの血をぬぐうと鞘に収めた。カチンと金属の鍔音が部屋に響いた。

「わかりました、私も同じ罪を背負いましょう。私も兄さんも神にもとる行いをしてしまったのですから」

「俺の所為だ、お前はまだ戻れる」

「兄さんとなら、共犯者となりましょう」

 アーディンは、兄の為に神をも捨てる覚悟なのだろう。その澱み無い漆黒の瞳は真っ直ぐにユースフを見つめていた。

「一緒に地獄行きだぞ……」

「覚悟の上です。でも、もしこの罪が償えるなら一生かけても償いましよう。一生かけても償えないなら、何度でも生まれ変わって償いましょう、兄さん」

 アーディンの言葉はユースフの罪悪を自由へと導いてくれるようだった。





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