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天国の扉  作者: 藤井 紫
第二章 落陽の聖国
50/193

17-2

 サライと話していると、時々とんでもない内容が飛び出してくることがある。大抵は【エブラの民】に直接関わることで、ユースフは外界の人間が知ってはいけない事なのだと、サライの発言を制止することが度々あった。

「ユースフ……、あのね」

 また止められると思っているのか、サライは言いづらそうな顔をする。

 ユースフは食べる手を止めて、サライの話に耳を傾けた。

「あのね、もうすぐ門が開くと思うの……」

「本当か?」

「うん」

 根拠は分からないが、サライが言うのだから、きっと本当なのだと思える。

「あの儀式が行われるのか?」

 ユースフの瞳が、子供のように輝きだした。

 七歳の時、魅せられたあの美しく不思議な儀式をまた目にすることが出来るかもしれない。そう思うと足が地につかなくなるような感覚を覚える。

 サライを無事にドームの中に返すこともだが、あの儀式をまた見られるかもしれないと思うとユースフの心が高鳴った。

「多分、器が焼かれて、その後かな……」

 意味が分からないが、これも多分聞いてはいけない事だとユースフは判断し、それ以上何も聞かなかった。

 そして、明日からしばらく、サライを連れてドームへ行こうと決めた。



 一人自室に戻ったユースフは、どっと疲れて、寝るには早い時間からベッドに倒れ込んだ。低い天井に、ランプの灯りがちらつくのをぼんやりと眺めた。

 もしかしたら、サライは明日にはドームに帰れるかもしれないと思うと、随分肩の荷が下りた気がした。

 きっとこの二ヶ月の間に、【エブラの民】であるサライに対して、随分不埒なふるまいをしてしまったに違いない。

 おそらく、自分の信仰心を必死に隠しながら、サライには接していたのだ。

 じわじわと、【エブラの民】に対する自責の念と恭順の意がユースフの心に甦ってきた。

「ユースフ、寝ちゃった?」

 声のする方を見ると、部屋の入り口に掛けられた薄いカーテンに、サライの影が灯りに照らされて映っている。

「いや、起きてるよ」

 そう答えると、サライが灯りを持ってユースフの部屋に入ってきた。台の上に持っていたオイルカップの灯りを置くと、ベッドのそばに来てしゃがみこんだ。

 灯りが二つになり、狭い部屋の中は十分に明るくなった。

「明日でさよならだよ。今までありがとう」

 サライはそう言って、ベッドで仰向けに寝転んだままのユースフの顔をじっと覗き込んだ。ユースフもサライをじっと見つめた。

 しかし、どうして明日門が開くとわかったのだろうか? 聞いてはいけないと思いつつ、これで最後だと思うと、ユースフの気がつい緩んでしまった。

 ユースフは身体を転がすと、片肘を立てて頭を支え、横たわったまま、傍らのサライに話しかけた。

「なぜ明日、門が開くと分かるんだ? 最初はわからないって言ってただろう?」

「それは、中の誰かが死んだから……」

「死んだ?」

 怪訝そうな顔をするユースフに、サライは少し声を落とした。

「死者の弔いの為に扉を開けるのよ」

 サライの言葉に、ユースフは思わず絶句した。

 あの美しく幽玄な儀式は、【エブラの民】の葬儀だったのだ。外界の概念とは違いすぎる。

 ――知ってはいけない事だった、とユースフは聞いてしまったことを後悔した。

 幽玄なる儀式では、長と思われる人物を先頭に、何人かの【エブラの民】が灰を撒く。全員が驚くほどに無表情で、そのあまりにも神秘的な光景に、外界の人間はなぜか皆魅せられてしまう。

「……あれは、葬儀だったのか……」

「うん、魂だけが旅立てるように、身体を焼いて灰にしてしまうの」

 死人を火葬するなど、ユースフにとっては信じられなかった。魂が復活した時に戻る身体がなくても良いのだろうか?

 それに、なぜサライは誰かが死んだというのがわかったのだろうか? 気になったが、やはりそれ以上聞くのはやめた。

「ユースフは弔いを見たことあるの?」

「ああ、子供の頃にな」

 それこそがユースフがオス・ローで軍人になった所以ゆえんだ。

「弔いに参加できるのは大人だけなの。わたしはまだ見たことないんだ」

「そうなのか。あれは本当に美しい儀式だ。ああいう風に【エブラの民】に送られるのなら、死ぬのも悪くないな」

「えっ…、ユースフが死んじゃ嫌だよ」

 サライが悲しそうな顔をして、ユースフをじっと見つめた。

「人が死ぬと、どうして涙が出てしまうのかな? 止められないの。やっと天国に迎えられるのにね」

「どうしてって、別れは辛いものだろ?」

 まぁ、俺は親父が死んでも涙は出ないだろうな……とサライには聞かせたくない言葉をユースフは心のうちだけで考えた。

「大人になると、涙は出なくなるの? それとも我慢してるの?」

 サライはあの儀式での時のことを言っているのだろう。

「嬉しくても笑わない。悲しくても泣かない。大人ってやつは、子供以上にややこしいのかもな」

 成人して十年経った今でも、ユースフは自分が大人に成れた気がしない。

「自分の感情に従って、素直に涙を流せるほうが良いんじゃないか?」

 そう言って、顔の真横にいるサライを見た。

 まだサライは儀式を見たことないという。ふと、ユースフは問いかけた。

「サライ、お前は今何歳なんだ?」

()()()()()()()

 この時初めてサライの年齢を知った。ユースフより十二も年下だった。

 それにしても、「今」と聞いたのに、先の歳を答えるサライは生誕日でも近いのだろうか。

「成人は何歳なんだ?」

「十五歳」

「エブラ信仰と同じだな」

 あぁ、そりゃそうか、とユースフは笑ってみせた。

 ところが、サライは傍らでベッドに伏せて鼻を啜りながら泣いていた。

「どうしたんだ? 別れが辛いのか?」

 ユースフが大きな手で優しく頭をなでてやると、サライは顔を上げた。その瞳は涙で潤み、ユースフを恋うように見つめていた。

「……戻りたくない……、ユースフと一緒に居たい」

 サライは聞こえないほど小さく呟いたが、ユースフはそれに気付き

「大人になってから出直してくれ」

 と言って、サライの気持ちには応えなかった。

 いや、そもそもサライは【エブラの民】だ。




*   *   *   *   *




 サライがドームに戻ってからも、ユースフは以前のように、トリアナ海を眺めに岸壁に足を運んだ。

 時々城壁の上からサライの視線を感じたが、もちろんサライは声はかけてこない。

 ユースフはなるべく上を見ないようにし、気づかぬ振りを繰り返していたが、そのうち頭上から小枝や麦の穂のような物を投げられるようになった。

 これはさすがに無視できず、見上げると泣きそうな顔をしたサライが城壁からユースフを見下ろしている。ユースフは声はかけず、空に向かって敬礼するとその場を立ち去った。

 そんな事を繰り返していると、今度はサライは怒っているようだった。怒っていたかと思うと、次に見た時には目に涙をためていた。

 さすがに堪りかねたユースフは頭上のサライに向かって

「どうした? 何故泣いてるんだ?」

 と声をかけると、サライは涙をこぼしながら小さく頭を横に振って、そのまま向こう側に姿を消した。




*   *   *   *   *





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