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天国の扉  作者: 藤井 紫
第二章 落陽の聖国
48/193

16-3

 住居の入り口にたむろしていたユースフの奴隷たちは、少し遠くに主人の姿を見つけると慌しく働きだした。

 黒人奴隷の一人が、入り口近くで待機している。ユースフが何かを抱きかかえて帰って来たのに気がつくと、扉を開け放ったままにして厨房のほうへ引っ込んでいった。

 ユースフは少女を抱え、開け放たれた扉をくぐりぬけると、そのまま中二階にある部屋へと階段を上がって行った。

 下で奴隷たちが話しているのが聞こえてくる。彼らが少女の姿を見ないように引き払ってくれたことは、ユースフには都合が良かった。

 ユースフは少女を狭い自室へ連れて行くと、外套を外しながらそっとベッドの上に降ろした。

「んっ……」

 少女が痛みを感じたのか、少しうめき眉をしかめた。

 その声に、日頃大抵のことでは感じなくなっていた緊張が走る。ユースフは固唾を呑んで少女を見守った。

 この白い独特の服、それに黒い肌に白い髪……。間違いなく、この少女は【エブラの民】だ。

 オス・ローの城下には優秀な医者は沢山いるが、【エブラの民】をドームの外に連れ出した件でユースフも、またそれを診た医者も大罪に問われる事は間違いない。

 だからといって、気温が下がる夜に意識のない少女をドームの門前にほおっておくこともユースフには出来なかった。

 浅はかに少女を連れ帰ってしまったが、結局手当てらしいことは何も出来ぬまま一晩が過ぎてしまった。


 翌朝になってようやく少女は目を覚ました。

 見知らぬ狭い部屋を見回す。干し煉瓦の壁には四角くくりぬかれた窓に木で出来た戸がつけられ、その隙間から漏れる光が室内をぼんやりと明るくしていた。部屋の中には他には物書き用の台しかない。入り口に扉はなく、布が掛けられ区切られているだけだった。

 ふと枕元に置いてある水の入ったグラスに気が付き、少女は手に取るとむさぼるようにそれを一気に飲み干した。

 少女がベッドから下りようとすると、身体がぐらりとふらついた。とっさにつかんだ毛布と一緒にベッドの足元の床に、うずくまるように倒れ込んでしまった。


 扉代わりの布がぱさっと捲られ、ユースフが戻ってきたのを見て、少女はあっと驚いて毛布で口元をおおった。

「大丈夫ですか?」

 毛布をつかんでしゃがみこむ少女に、ユースフは恐る恐る手を貸すと、ベッドの上に座るのを手伝った。

 グラスの中の水がなくなっているのに気づき、ちょうど持ってきたピッチャーの水を注ぐとグラスとピッチャーを並べて置いた。

 ユースフが木の窓を開け放つと光で室内が明るく照らし出される。少女の黒い肌と白い髪がはっきりと見て取れる。瞳の色は菫色をしていた。

 少女の瞳にも、漆黒の髪と瞳、そして小麦色の肌をした青年ユースフの姿が映った。

 ユースフは少女よりも目線が下になるように、床に片膝を付いて【エブラの民】の少女を見上げた。

「貴女は昨日、ドームの城壁の下に倒れていたのです」

 少女に恭しく話しかけた。本当は話しかけることさえ許されないのかもしれない。【エブラの民】は外界では言葉を発しないのだ。

 少女は毛布で口元を隠したまま動かず何も話さず、ただじっとユースフの様子を眺めていた。その表情からは、何を考えているのか全くわからない。

 目を開いた少女を間近で見れば見るほど、その美しさに気付かされた。少女の菫色の瞳を見て、ユースフの脳裏には、幼い時初めて見た【エブラの民】の姿が鮮明に蘇った。

 ユースフは改めて、少女の怪我の具合を確かめた。顔や手足に複数の擦過傷が出来ていた。どうやら足は両足とも捻挫しているようだ。だが、あの高さから落下して、この程度で済んだのは奇跡としか言いようがない。

 しかし、ユースフには【エブラの民】である、彼女の素肌に触れて良いのかがわからず、どうにも治療らしいことはしてやれなかった。

 ちょうど目の悪い女奴隷がいるので、彼女に沸かしたお湯を汲んでこさせ、少女の身体を拭いてやるように命じ、自分は廊下で待った。

 薄い壁にもたれながら腕組みをして考える。少女の命に別状はないとわかれば、さっさとドームに帰してしまったほうが良さそうだ。【エブラの民】をドームから連れ出すなど罰当たりな事は早く止めなければ――。

 しばらくすると女奴隷が出て行った。すれ違いざまに、何を勘違いしているのか「ご主人様もお人が悪い」と文句を言われたが、聞こえなかったふりをした。

 ユースフが入れ替わりに部屋に入ると、少女はさっきと同じように、ベッドに腰をかけていた。足が床に届かず、素足をゆらゆら揺らしている。服は白い布を巻いたものを、同じようにそのまま身に着けていた。

 ユースフはまた少女の前にひざまずく。

「【エブラの民】よ。ドームへお連れすれば、門は開けて貰えるのですか?」

 ユースフの質問に少女は黙って首を横に振った。

「では、門はいつ開くのでしょうか?」

 また横に振る。言葉は通じているようで、『わからない』とでも言いたげに少女は唇をきつく結んだ。

「わからないのですか? あの儀式がいつ行われるのかも?」

 その問いかけには、少女は首を縦に振った。

 【エブラの民】が門を開けて外界へ出ることは、極めて稀なのだ。不謹慎だと思いつつも、物凄くやっかいな拾い物をしてしまったと、ユースフは後悔した。

「参ったな……」

 ユースフは、少女には聞こえないように独り言を呟いた。ユースフの困った顔を見て、少女も落ち込んだのかうつむいてしまった。

 だが、天使エブラ信仰のユースフが、【エブラの民】である少女を見捨てられるはずはない。門が開くまでの間、少女はユースフと暮らすことになってしまった。


・゜゜・*:.。. .。.:*・゜゜・*:.。..。:*・゜゜・*:.



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