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天国の扉  作者: 藤井 紫
第一章 奴隷皇子と亡命の魔女
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15.公正という名の

 秋の終わりに、シナーンが一人で【王の間】にやって来た。

 【王の間】に初めて足を運ぶ者は、皆驚いたように朱鷺色の建物を見まわす。シナーンも同じように部屋の中を歩きながら見渡した。

「ここは監獄だと聞いていたが。別に普通じゃないか」

 部屋の主に許可を得ることもないまま、ぶしつけにシナーンは応接室まで入り込んでくる。

「何の用件だ」

 突然の兄の来訪を、部屋の主は不機嫌な態度で迎えた。

「これを届けに来てやったんだ」

 シナーンは懐から何かを取り出すと、じゃらりと音を立ててテーブルの上に置いた。そこには、ジェードの聖十字のペンダントが、黒ずんだまま鈍く光っている。

「それだけの為に、わざわざここまで来たのか」

「腹違いの()に会いに来てはいけなかったか?」

 ハリーファは両腕を組み、腹違いの()の物言いに不満のため息をつく。そして思い出したように寝室に行くと、何かを持って出てきた。

「シナーン、お前だろ」

 ハリーファは、寝室から取ってきた瑠璃色の小瓶を、シナーンに向かって投げた。小さな青い塊が、二人の間を弧を描いて飛ぶ。

 シナーンは空中で小瓶をつかむと、さっと帯の中にしまった。

「俺の奴隷に余計なことをするな」

「お前の女奴隷が、お前に神魔ジンが取り憑いてないか知りたいと言うからやったんだ」

「俺は神魔ジンに取り憑かれてなどいない」

 ハリーファはきつい口調で言い返す。

「そのようだな」

 シナーンは悪びれずにさらりと答えた。

 その時、扉が開閉する音が響いた。ジェードが水汲みから戻ってきたようだ。

 シナーンが来ているとは知らず、二人の皇子のいる応接を覗きこんだ。

(シナーン!?)

 ジェードの心の叫びは、ハリーファにだけ聞こえた。

 驚いたジェードの手から、水瓶がすべり落ちる。水瓶はガシャンと鈍い音を立てて砕けた。陶器の破片が床に散らばる。ジェードの足元が水浸しになり服の裾が濡れた。

 その音にシナーンはふり返ると、扉の近くに立つジェードに言い放った。

「良いところに戻ってきたな、ジェード。約束どおり、お前を私の奴隷としてやろう」

 ハリーファは慌てて声をあげた。

「駄目だ! ジェードは渡さない」

 ジェードは青ざめた様子で二人を見ていた。硬直してその場を一歩も動けない。

 シナーンからもらった毒で、ハリーファを殺そうとしたことを思い出していた。天使の言うように、ハリーファを殺さなければならない。自分の持つ天命におびえる心の内が、ハリーファには伝わってくる。

 シナーンは、呆然とするジェードを相手にせず、ハリーファの方に向き直った。

「父上は私情に駆られて、お前の世話をヴァロニア人にさせたがっている。だが、私は違うぞ。お前には、この女よりもっと優秀な奴隷を与えてやろう」

 シナーンはハリーファに近寄ると、続けて話し始めた。

「私は今まで、お前は父の血を引いていないか、神魔ジンに取り憑かれているのだろうと疑っていた。だが、お前に憑いているのは、どうやら神魔ではなかったようだな。お前に取り憑いているのは【王】だ」

 ハリーファは何も言えず、シナーンの言葉に息をのんだ。

「ハリーファ、お前の中には二百年前の【王】の魂が宿っている。聖地オス・ローと、天使の末裔【エブラの民】を滅ぼした、呪われた【王】だ」

 ハリーファと違い、シナーンはファールークの血統を正しく受け継いでいる。【王】や【宰相】と同じ、漆黒の髪と瞳に小麦色の肌だ。

 そんなシナーンを間近に見やり、ハリーファはようやく口を開いた。

「……【エブラの民】は、本当に滅んだのか?」

「二百年前の戦争で姿を消したと聞くが、【エブラの民】などそもそも御伽噺おとぎばなしで、本当は存在しなかったのではないのか?」

「【エブラの民】は御伽噺なんかじゃない! シナーン、お前は自分の目でオス・ローを見たことがあるのか? 【エブラの民】が居なくなって、城砦ドームは崩壊したままだった! オス・ローの街も、何故二百年もあって復興しない? 何のために聖地をファールークのものにしたんだ」

 ハリーファがいらだって声を荒げた。しかし、【王の間】に施錠されるような真似は避けなければならず、それ以上は言葉をこらえた。

「ハリーファ、お前が大人しくここに居る限り、聖地はファールークのものだということをお前は知っているか?」

「俺がここに居る限り? どういう意味だ……」

「【王】と言うのは、ファールークの人柱だ」

 シナーンの表情が一瞬曇ったように見えた。

「人柱……?」

「【宰相】と【悪魔】との契約だ……」

 シナーンの心に、言葉にはならない迷いが見える。

初代宰相アーディンの死後、ファールークが他国から侵攻されることがないのは、只の偶然なのか? それとも本当に悪魔の力だとでも言うのか?――)

「お前の言うとおり、私はまだこの目で実際の聖地を見た事はない。聖地も、御伽噺の時代のように復興させたいとも思っている」

「シナーン……」

「……だが、私は宰相の後継者だ。まずは国の永続的な慣習には従い、掟を守らねばならぬ」

 宰相とほんの数人にしか知らされない皇族にまつわる秘密を知り、ハリーファに同情している様子だった。

「ハリーファ、お前の命は私が守る」

 シナーンの言葉に、ハリーファはちらりとシナーンの後にいるジェードを見た。一番身近で自分の命を狙っているのはジェードだ。シナーンはそれを知っているのだろうか。

 ジェードはさっきのまま微動だにせず、顔色を失ったまま二人の様子を見つめている。

「先日の件で、私の母はフェスに追放になった」

「……気の毒な」

 ハリーファが言うと、シナーンはきっぱりと答えた。

「私の所存だ。母とはいえ、【王】を殺そうとするなどもってのほかだ」


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