14-2
「悪魔との契約……?」
シナーンは父の言葉の初めが気に掛かり、つぶやくようにくりかえした。
「宰相は世襲相続だが、王位は転生相続されるのだ。今、【王】の魂を持っているのがハリーファだ」
信じがたい言葉に、シナーンは思わずジャファルをにらむように見すえた。父親はこんな話をする人物だっただろうか。
だが、これでハリーファに取り憑いているモノの正体がはっきりした気がした。神魔ではなかったが、自分の見込みは間違っていなかったのだ。
「し、しかし、何故ハリーファが【王】だと分かるのです? 何かの間違いでは?」
「ハリーファの右頬の傷痕があるだろう。あれは、初代の宰相アーディンが【王】につけた聖痕だ」
「聖痕……」
確かに、物心つく前から毛色の違う異母弟の顔には、薄い傷痕があった。ファールークの血筋とは思えないほど真白な頬には、一筋の古傷の痕がある。
しかし、それだけではハリーファが【王】だとは納得出来なかった。シナーンの顔に疑念が浮かぶ。
そんな息子の様子に、ジャファルはさらに語りかけた。
「シナーンよ。そなたはハリーファしか見ていないから信じられんのだ。私は三人の【王】をこの目で見た。狂人、ルクン、そしてハリーファだ。三人共に全く同じ聖痕があった。ルクンは狂人が死んだ時に生まれ、ハリーファはルクンが死んだ時に生まれたのだ。それだけではない。狂人が死んだ後、ルクンが見つかるまでの間、ファールークは凶荒にみまわれたのだ」
「それが、ハリーファを宮廷に留めている理由だと言うのですか……?」
ジャファルは椅子からゆっくり立ち上がると、部屋の中を悠然と歩き出した。ジャファルが横を通り過ぎると、シナーンは静かに立ち上がり父親を目で追う。
「ユースフとアーディンは共に興国を目指し、このファールーク皇国を興した。しかし、【王】は【宰相】を憎んでいる。長らくあの部屋に閉じ込められてきた理由を知らないからだ」
「それが真実なら、何故【王】の存在を周知しないのです?」
「悪魔と契約したのは【王】だけではないのだ。【宰相】も悪魔と契約を交わしたのだ」
「【宰相】も……?」
シナーンは背後に回った父親を追って、その場でふり返った。
ジャファルはシナーンに背を向けたまま言葉を続けた。
「【宰相】は、聖地を我が国のものにと悪魔に願ったのだ。――そして悪魔は、【王】をこの宮廷に留めておくことを条件に出した。決して外に出してはならぬとな。我々宰相家は、【宰相】の意思を引き継いで、【王】をこの宮廷に留めておかねばならんのだ。全ては聖地オス・ローの為に」
背を向けていたジャファルが、振り返って息子を見つめた。
「私の言っていることは滑稽か? 笑っても良いのだぞ、馬鹿げているとな」
「い、いえ」
「私も十二の歳に、父親からこの話を聞かされた。二十数年程前の話しだが、当時、狂人は本当に狂っていた」
三十年前、ジャファルには耐え難い事件があった。後に狂人を殺したのは、実はジャファルだという噂も老女奴隷から聞いたことがある。
「シナーン、あの賦国の娘は都合良い。ハリーファの奴隷として働かせ、少しでも長くハリーファを生かしておければそれで良い。私はもうファールークの者を【王】に関わらせたくないのだよ」
ジャファルには美姫と讃えられた、年の離れた異母姉レイリがいた。シナーンとハリーファにとっては伯母にあたる皇女だったが、ハリーファにとっては祖母でもある。
というのも、レイリは【王の間】に捕らえられていた狂人の子を産んで命を落としたという。その子供がハリーファの母親ファティマだ。
ジャファルが【王】に誰も関わらせたくないと言うのは、おそらくそういう経緯を見てきた所為なのだろう。
ジャファルもシナーンも口を閉ざし、しばらく沈黙が流れた。
先に口を開いたのはシナーンだった。
「ハリーファ自身は、この事を知っているのですか?」
「……わからぬ。そなたがハリーファに問うてみるが良い」
にわかには信じがたかったが、何故ハリーファが皇宮に留められたのか、父親のハリーファに対する扱いも、そういった疑問がすべて符合した気がした。
「私は、自分の子が【王】であることを不幸だと思ったこともあったが、【王】と兄弟に生まれたそなたは不憫だな」
そう言って、ジャファルは憐憫を帯びた瞳でシナーンを見つめる。
「【王】と兄弟……、神殺しの再来か。そなたは辛い思いをするかもしれん」
ジャファルの言葉がシナーンの耳をすり抜けていった。
「この国は始めから呪われておるのだ。ファールークの一族は呪われている」
神殺しとは父親を殺すことだ。天使の教えで、神殺しは代々呪われると言う。
「シナーンよ、そなたも今までどおりハリーファには深入りをするな」
「……しかし」
「お前たちは兄弟なのだ。情が沸いては不都合であろう」
「そのような心配には及びません」
「そうか? ならば、これはもうお前に渡しておこう」
カチンと音を立てて、銀色の鍵が大理石のテーブルに置かれた。
本宮にある部屋や倉庫の鍵とは形が違う。一体何処の鍵なのかと不振に思いながら鍵を眺めた。
「【王の間】の鍵だ」
ジャファルの言葉に、シナーンはハッとし鍵を手に取った。手からはみ出すほどの大きさで重みのある鍵を握りしめる。シナーンは、まるで作りごとのような宰相の慣習を引き継いだことを自覚した。
だが、シナーンはまだ父の言葉に納得できないものがある。
ハリーファが【王】だと言う話とはまた別のことだ。ハリーファに対し、ずっと疑問を持ち続けていたことだ。シナーンは恐る恐る言葉を口にする。
「……父上、失礼なことをお聞きして宜しいでしょうか?」
「なんだ」
今を逃せばもう聞けるチャンスはないだろう。
「ハリーファは……私の本当の弟なのですか?」
ハリーファだけが、あまりにもファールークの血を引くものと似なさ過ぎる。狂人、レイリ、ハリーファを産んだ母ファティマも他界しており、真実を知る者は少ない。
「どういう意味だ」
ジャファルの声は怒気を含んでいた。
言いたいことは、本当にジャファルがハリーファの父親なのかと言うことだ。
「……私たち兄弟は、あまりにも似ていないので……」
シナーンは言い辛そうに言葉を濁した。ハリーファを宮廷に留めておくために、他人の子を第二皇子だと偽っていたのならば、まだ納得がいく。シナーンはずっとハリーファの父は別人ではないかと疑っていた。
ジャファルは、眉間の皺をさらに深くすると、シナーンをにらみつけた。
「迂闊なことを口にするな。ハリーファは私の子だ」
ジャファルは微塵も迷うことなく、はっきりとそう答えた。そこに迷いやためらいは一切ない。
そして、押し黙ったままのシナーンを置いて、自分の部屋から立ち去った。
ジャファルが自室を出ると、部屋の前で待機していた白人の奴隷はジャファルの後を追っていった。女奴隷たちが宰相の部屋の中へと戻り、入れ替わるようにシナーンは廊下へと出た。
シナーンは立ち去っていく父親が見えなくなるまで、その背中を目で追い続けた。
『ハリーファは……私の本当の弟なのですか?』
廊下を歩くジャファルの脳裏に、シナーンの言葉がよみがえる。
(私の他に、一体誰がアレの父親だと言うのだ――)
ハリーファの母ファティマと、そのファティマの父親狂人は、亜麻色の髪に翠色の眼をしていた。ハリーファは祖父と母の金色の髪と翠色の瞳を受け継いだのだ。だが、
――あまりにも似ていない――。
ハリーファの父は自分に間違いないのだが……。
シナーンの疑問は、ジャファル自身の疑問でもあった。
* * * * *