12-3
礼拝堂には既に大人の男が三人いた。前方の机の脇に立って話している。
彼らはハリーファの姿を確認すると、三人共が恭しく頭を下げた。ジェードは、ハリーファに対しこういう態度をとる大人たちを初めて目にした。
二人が男たちのそばに行くと、一番年配の白い服を着た中年男がハリーファに話しかけてきた。
「ハリーファ殿下。本日はお慶び申し上げます。まことご立派になられましたな」
男の祝辞に、なぜかハリーファの表情がいらだったように見えた。
続けて式典の流れを説明しだした男に、ハリーファは右手を上げて話を制止した。
「知っているから説明はいい。早く終わらせたいんだ」
「然様ですか。ハリーファ殿下は、昨年シナーン殿下の時に同席しておられましたな。では、式典の流れはわかっておられましょう。本日は、宰相殿とシナーン殿下と、ハリーファ殿下の乳母殿、ハルダーン殿。それに、この書記官アンバーと、この歴史家イヤスが『証人』として立ち合い人とならせて戴きます」
まるで司祭のような姿の白服の男は、横に控えている壮年の二人の男をハリーファに紹介した。宰相と同じ位の年端の男二人が、それぞれハリーファに深く頭を下げた。
ジェードは郷里で、大人が子供に頭を下げたり、子供が大人に指図する光景など見たことがない。今ごろハリーファが高い身分にあることを思い知らされる。
(……だけど、わたしには関係ないわ。この国の民じゃないんだもの)
ジェードは一人、自分の心を力づけた。
ハリーファはジェードに後ろの椅子に座るように指図した。ジェードは左側の椅子に静かに腰かけた。ハリーファはその隣に座ると、険しい表情で腕と足を組んだ。
ハリーファが何故こんなに面白くなさそうなのか、その理由がさっぱりわからない。普通、お祝い事は嬉しいものじゃないのかしら、と隣のハリーファを見て、ジェードは心の中で首をかしげた。
モリス信仰の成人の式典は男子のみ執り行われる。
教典を詠唱し、それにならう誓詞を読みあげる。立ち会った六人の成人が『証人』となることで新成人として迎え入れられる。
ハリーファが今までにはなかった第二皇子という立場のためか、六人の『証人』役もハリーファが宮廷にとどめられている事情を知る者ばかりだった。宰相の後継者であるシナーンとは違い、式典自体も公にされず、つましく執り行われるようだった。
しばらくして、ジャファルとリューシャ、そして老人が連れ立って入ってきた。先にいた男たちはまた恭しく頭を下げた。
ジャファルとリューシャは右手の椅子に腰かけた。最後に入室してきた老人は、一度同じように椅子に座ったが、礼拝堂内を見まわすと前方にいる三人の男たちの方に歩み寄った。
老人はしわがれた声で白い服の男に話しかけた。
「宗教家殿よ。もう、全員揃っているのか?」
「後はシナーン殿下が参られれば整います、ハルダーン殿」
イマムと呼ばれた白服の男は、老人に向かって少し困ったように答えた。
だが、その後もシナーンはなかなか礼拝堂に姿を現さない。
書記官は宰相を待たすことを良しとせず、ジェードの方を見て宗教家に告げた。
「イマム殿、ハリーファ殿下の女奴隷をシナーン殿下の代わりに『証人』に出来ないのか?」
「殿下の女奴隷はクライス信仰者だと聞いている。彼女はモリス信仰での成人とは認められん」
宗教家はハリーファのそばに行くと、そっと告げた。
「殿下、シナーン殿下が来られるまで今暫くお待ちください。そしてどうか、式典の間は、クライス信仰の女奴隷にはご退室をお願いしたいと――」
宗教家にそう言われ、ハリーファは隣に座るジェードに告げた。
「ジェード、お前は外で待っていろ。教典詠唱を聞きたいなら外でも聞こえる」
ハリーファにそう言われ、ジェードは黙って立ち上がると、礼拝堂を出ていった。
ジャファルは礼拝堂を出て行くジェードを見て、隣に座っているリューシャに耳打ちするように話しかけていた。二人はジェードの事を何か話していたが、その声は周囲には聞こえなかった。
ジェードは礼拝堂を出て、入り口の扉の前で一人たたずんでいた。
(シナーンもここに来るのね……。会ったら、何て言えばいいの……?)
以前、ハリーファが神魔に憑かれているかを確かめるようにシナーンに言われ、瑠璃色の小瓶を渡された。シナーンはハリーファが神魔に憑かれていると疑っている。
そのことを考えると嫌な気分になった。だが、ふとホールの天井を仰いだ瞬間、とたんに悩みが心の中から姿を消した。
漆黒と紺の濃淡で美しく彩られた夜空が、頭上に広がっていた。そこには星の形に似た複雑な模様が規則的に散りばめられている。
そして、屋根と壁との境には薄緑、橙、赤、黄などの色付きガラスの飾り窓が、丸い天井を縁取るように埋め込まれていた。そこから光がホールに優しくあふれ、ホールを心地よい明るさに照らしている。
(ランスの、聖ソフィア大聖堂も、こんな感じなのかしら……)
ジェードは夢見ごこちで天井を眺めた。
ルースの話でしか聞いた事のない、ヴァロニア王都の大聖堂の姿を思い描く。さっきはゆっくり見ることが出来なかったホールを、今度はじっくりと心ゆくまで眺めた。
燦爛たる天井を見上げて、ジェードは一人胸をふるわせた。
ふと、絨毯の道を歩く衣擦れの音に、ジェードは我にかえった。
美しく着飾った二人の女奴隷が、ジェードの前を横切った。一人は透明硝子のグラスを乗せたマホガニーの丸い盆を持ち、もう一人は茶色の細長いビンを丁寧に抱えている。ジェードの存在などまるでいないかのように無視し、二人は礼拝堂へと入っていった。
程なくして、先ほどビンを持ってきた女奴隷だけが、一人礼拝堂を出て去っていった。