12.信仰告白(一)
稲穂はゆるやかに頭を垂れ、暑気の続くモリスにも秋の訪れを知らせる。
皇都の西を流れる川の下流では水が氾濫し、乾いた土地にひと時の潤いを与えていた。
その日の朝は、いつもと少し様子が違った。
ジェードが一回目の水汲みから帰ってくると、閉めていったはずの【王の間】の扉が開いている。
ハリーファが起きて寝室から出てくるのは、たいていジェードが三度目の水汲みから帰ってくる頃だ。
ハリーファが起きて、どこかへ出て行ったのだろうか?
ジェードは、汲んできた水を瓶に注ぐと、気になって応接をのぞいた。すると、奥のハリーファの寝室の扉も開け放たれたままで、そこに部屋の主の姿も見当たらない。
そして、井戸へ行っている間に、誰かが【王の間】に衣装を届けに来ていたようだ。
応接の長椅子の上に、綺麗な衣装が無造作に広げて掛けられていた。上品な濃紺の生地で、縁には金色の糸で飾り模様が刺繍されている。よく見ると布地全体に同じ濃紺色の糸で細かい飾り刺繍がされていた。
服の他に長い布地も何枚か広げられていた。それらはジェードが見てもわかるほど、とても質の良いものだ。
「きれい……」
思わず口から言葉がこぼれた。ジェードはうっとりとその美々しい衣装を眺めた。
宰相やシナーンが普段着ている衣装よりもずっと豪奢だ。きっと何か特別なものなのだろう。
明るい金の髪や深い翠の瞳を持つハリーファは、たとえ質素な服を着ていても人を惹きつけてしまう程の美少年だ。この衣装を、あの容姿端麗なハリーファが着たらどんなに美しいだろうか。ジェードは想像して思わず胸がときめいた。
だが、ハリーファが袖を通した瞬間、もしかしたらこの衣装の方が色褪せて見えるかもしれない。
ジェードは一人苦笑すると、二度目の水汲みへと、再び【王の間】を出た。
三度の水汲みを終えた後、ジェードは厨房からハリーファの食事を持って戻ってきた。
朝食のトレーを抱え応接に入ると、ちょうどハリーファがあの壮麗な衣装に袖を通している所だった。
脱いだ服は長椅子の背に投げ置かれている。ハリーファは人目をはばかる様子もなく素肌をさらす。あまりに真白な肌の少年の半裸姿に、ジェードは思わず入り口で足を止めてしまった。
双子の弟のおかげで、男の裸も見なれていたはずだったが、ハリーファの素肌は弟よりもっと白い。少ない食事量の割には、弟よりもずっとしっかりした身体付きだ。
ハリーファは、濃紺の衣装をさっと羽織り、袖を通した。そして、手馴れた手つきで、腰に長い布を引いては巻いていく。
その姿を、ジェードは黙って物珍しそうに眺めた。おそらくジェードが手伝いを頼まれたとしても、異国の衣装の腰布の巻き方などわかるはずもない。そんな事をわかっていたのか、ハリーファはすべて自分一人で着付けてしまった。
ヴァロニアでは、鮮やかな色の絹の衣装をまとうのは貴族くらいだ。故郷のアレー村では、染められた衣服を着ている者はいない。
ハリーファの髪や瞳の色は、ファールーク皇国の皇族としては異様なのだろう。だが、壮麗な衣装に身を包んだハリーファは、金色の髪と翠の瞳が映えて、それだけでヴァロニアで言う『貴族』のようだ。
そして、ジェードの思ったとおり、衣装ではなくハリーファ自身が華やいで見えた。
その姿は、まるで姉が聞かせてくれたおとぎ話に出てきた王子のようだ。絹の衣装をまとった金の髪の王子様。異国の服だが、ジェードの想像していた姿が目の前に現れたかのようだ。
ジェードはすっかり心を奪われて、ハリーファの姿を眺めていた。
「……すごくステキ。皇子っぽくなったわね」
ジェードの声が少しうわずった。
「馬鹿なこと言うな」
褒めたつもりだったのだが、ハリーファににらまれた上、あっさりといさめられてしまった。
「そんな事を言うのはお前くらいだ。呆れるな」
(せっかくほめてるっていうのに!)
ジェードは不満な気持ちを表情と態度にあらわし、テーブルの上に運んできた食事のトレーを手荒に置いた。
だが、やはり気になって、ハリーファに問いかける。
「そんなおめかしして、今日は何かあるの?」
「成人の式典だ」
(……成人?!)
ジェードはハリーファの年齢を知らなかった。勝手に自分と同じくらいと思い込んでいて、今まで一度もそんな話をしたことはない。
「成人って、ハリは何歳なの?」
「十二になった」
ハリーファの年齢を知って、二つの意味で驚いた。
一つ目は、
「この国は十二でもう成人なの?!」
二つ目は、
(ハリはわたしよりも年下だったのね)
「男は十二、女は十で成人だ。国ではなくて、宗教的にな」
「信じられない! 十や十二で成人だなんて早すぎるんじゃない?」
クライス信仰では成人は男女とも十六歳だ。ジェードにとっては、十二歳なんてまだまだ子供だ。ハリーファは、口調、背の高さ、顔立ちから実際の年齢よりも大人びて見える。ジェードと同じか、今では少し上くらいに見える。
ハリーファが十二歳だと聞いて、とたんにまだずいぶん子どもなんだという気がしてきた。




