11-4
「魔女? 何だ、それは?」
「……魔女は悪魔と契約して、能力を身につけた人間のことよ」
「悪魔と契約?」
ハリーファは興味を示し、ジェードの方に体を乗り出した。
「命と引き換える以外に、悪魔と契約が出来るのか?」
「えっと……」
ジェードは少し息苦しくなってきたが、ハリーファの質問に答えようと努めた。
「悪魔と契約って、その……からだの関係を持つことよ。悪魔と契約すると、特殊な能力が身に着くの」
この国に魔女は存在しないのだろうか。ハリーファに説明する為に、ジェードは言葉を選んだ。
「特殊な能力というのは何だ?」
「人にはない能力よ。不老不死や読心術だって聞くけど」
ジェードは内心はっとした。
魔女は読心術を使う。だとするとハリーファは魔女なのではないだろうか。
ハリーファはジェードを見つめて話を真剣に聞いている。その瞳の上の髪色を見て、ハリーファへの魔女の疑いは即座に晴れた。
「後、髪が……、魔女になると、髪が黒く変わるんだって」
その説が本当なら、金色の髪のハリーファが魔女のはずがない。いや、そもそもまだ子どものハリーファが悪魔と契約などするはずがない。
ハリーファはジェードの黒髪をじっと見つめる。
「じゃあ、お前はウィッチなのか?」
その言葉に、ジェードは顔が赤く染まった。ハリーファと同じように、ジェードだってまだ成人前の子どもなのだ。
「わ、わたしの髪の色は生まれつきよ!」
ジェードだけではなく、村中、いや領中みんな黒髪だ。だから、故郷の村では魔女の黒髪のくだりは省かれて伝えられている。シナーンに言われるまで、忘れていたくらいだ。
「ではお前の姉上は? 悪魔と契約を交わしたのか?」
「姉さんがそんなことするはずないわ!」
ジェードは大きな声で怒鳴った。
「姉さんには恋人がいて、赤ちゃんが生まれる予定だったのに」
「夫ではなく恋人? 結婚はしていなかったのか?」
ハリーファが姉のことを疑っているように感じた。事実、姉は悪魔の子を身籠った魔女だと言われたのだ。
「姉さんは魔女じゃないわ! だって天……」
ジェードは口をつぐんだ。【天使】の事をハリーファには話せない。
(【天使】様がルー姉さんは魔女じゃないって言ってくれたもの)
ジェードの顔は今にも泣き出しそうだった。
「……姉さんに言われたの。絶対に恋人のことは人に話しちゃダメだって。悪魔の子だと疑われても、恋人のことは言っちゃダメだって言われたの」
辛い記憶を思い出して、ジェードの目から涙がこぼれた。今までハリーファに涙を見せたことは一度もなかったが、胸の内に一人で抱えていた思いがあふれ出した。
村では言えなかった言葉がこぼれる。
「わたしも……、誰も、姉さんを助けられなかったの……。姉さんは魔女じゃないのに……」
ジェードは、立っていられなくなり床に座りこんで嗚咽をもらした。
この時初めて、自分の心の内をさらけ出して泣き続けた。四年間、誰にも言えず心の奥で凍りついていた気持ちだ。
ハリーファはジェードを黙って見おろしていた。
しばらくすると、ハリーファは足元に座りこんだままのジェードに問いかけた。
「お前は聖地へ神に会いに来たと言ってたな。あの時聖地で、お前は救いを得たか? 姉上は救われたか?」
ジェードは頭を垂れたままゆっくりと横にふった。
「そうだろうな。神は生と死以外の何も与えてはくれない。救いはお前自身の心が生み出さないといけない」
アルフェラツと同じ事を言うハリーファに、ジェードは驚いて顔をあげた。
ハリーファの表情からは怒りも哀れみも読み取れない。
日頃冷たいハリーファだが、今まで嘘をついたりごまかしたりすることはなかった。
だからこそ、いつものようにはっきり否定して欲しい。そう願いながら問いかけた。
「ねぇ、ハリ、教えて。魔女や神魔は、本当に存在するの?」
まるで天使に対して祈るように真摯に問いかける。
(お願い。いないって言って)
ハリーファがそれらの存在を否定するなら、アルフェラツだって本当は天使ではないかもしれない。そうならば、アルフェラツが言ったことにに従わなくて良いのではないか。ジェードは祈る思いでハリーファの答えを待った。
「……天使と悪魔がこの世に存在するなら、魔女や神魔も存在する」
自分の問いを、今こそ否定して欲しいと願ったが、ハリーファからの答えはジェードの望む答えとは違った。
「うぅっ……」
ジェードは悲哀の表情になった。
ハリーファがジンの存在を否定しなかった。
ハリーファは嘘をつかないとわかっていたはずなのに、どうしてジェードの望む答えを言ってくれないのかと、怒りが悲しみになってあふれ出す。
ポロポロとこぼれる涙が、頬をつたってジェードの唇や顎をぬらす。止めようと思っても、こぼれてくる涙をどうにも出来なかった。
「お前は聖地で天使に会ったんだろ。矛盾したことを言うな」
「で、でも、アルフェラツ様は、自分のことを天使だとは一度も言ってなかったわ」
ジェードは感情に任せて、アルフェラツの正体と名前を口にしてしまった。
「いや、『アルフェラツ』は天使の名前だ」
「どうして、ハリが天使様の名前を知ってるの?」
「俺は悪魔の名前も知っている」
「……悪魔……?」
ハリーファの言葉を受け止められず、ジェードは頭を横にふった。
「ハリ、……あなたはもしかして神魔に憑かれているの?」
(やっぱり人の心を見透かしているの?)
ジェードは、涙でぬれてぐしゃぐしゃになった顔を、手のひらでぬぐった。
そして、真っ直ぐにひたむきな視線をハリーファに向けた。
ジェードのまっすぐな視線から逃れるように、ハリーファは目をそらす。
「……俺は、神魔に憑かれてなど、いない……」
この時、ハリーファのいつもの自信や明瞭さが、どこか欠けているようにジェードには感じられた。
* * * * *
結局、その夜、ジェードは一晩中部屋で泣き続けた。
おかげで、今朝は目がはれてしまって頭痛がひどい。鏡がないので、一体どんな顔なのかはわからないが、井戸端でもみんなにひどい顔だと言われてしまった。
ハリーファの朝食には、昨日決めたように、もう小瓶の液体を混ぜずに出した。するとやはり、それを見抜いたかのように、ハリーファは食事に口をつける。
泣きはらしたジェードとは違って、ハリーファは何かすっきりした表情を見せていた。
「ジェード、お前に教え忘れていたことがある。奴隷が死罪になる事は、主人殺しと逃亡だ。覚えておけ」
朝からハリーファに言われて、ジェードは冷や汗が出るのを感じた。知らなかったとは言え、もしハリーファが死んでいたら、自分は処刑されたのだ。
「今日までに俺が死ななくて良かったな」
いつもなら言い返す場面だが、昨夜の疲れでジェードは黙っていた。
(良かったって、どういう意味なのよ……)
ジェードが心の中でハリーファに文句を言うと、ハリーファはどこか楽しそうに笑みを浮かべる。
目の前でむっとしているジェードを気にする様子もなく、ハリーファは久しぶりの朝食を口に運び続ける。
その様子を、あまりにもじろじろ見ていたからか、ハリーファから声がかかる。
「食うか?」
「け、結構よ」
また物欲しそうにしていると思われたかと思うと、恥ずかしさで顔が熱くなる。
――お前が食べればいい――
ハリーファは、食事を食べない時はいつもジェードにそう言っていた。
だが、ふと思い返すと、小瓶の液体を入れた時だけは、ハリーファがジェードに食べろと言ったことは一度もないのではないか。
そんな事に気が付くと、ほてりは収まり、代わりに疑問が沸きあがってくる。
(やっぱり心を見透かしているの? ねぇ、どうなの? 答えて、ハリ)
その時、ハリーファはふいとジェードの方を見た。
ジェードの心臓が跳ね上がりそうになる。
だがハリーファは何も言わず、人の心を見透かしているのかどうかの確信は得られなかった。
(※)魔女には男性もいますが、男のウィッチでも日本語では『魔女』と訳されています。