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天国の扉  作者: 藤井 紫
第一章 奴隷皇子と亡命の魔女
3/193

2-2

 日が落ちる前、ジェードは羊飼いの仕事をいつもより早めに切りあげた。

 牧草地をまっすぐにつっきれば家まで早く辿りつく。しかし、牧草地を囲う柵に沿った道をわざわざ遠回りして帰るのには理由があった。弟の働いている教会へ向かうのだ。

 双子の弟が教会で働き出したのはちょうど一年前からだったが、ジェードはもう四年間同じ道を(かよ)っている。

 教会の前に着いたとき、ちょうど日没を知らせる鐘の大きな音が響いてきた。村人たちに終業を知らせる鐘だ。ジェードも普段は鐘が鳴るまで羊の世話に従事しているが、今日は訳があっていつもより早く仕事を終えたのだ。近くで聞く鐘の音は、普段耳にしている音よりずいぶんけたたましい。

 ジェードは急いで教会の横手へ回った。小さな鐘楼塔まで行くと、上を見あげる。鐘を鳴らしていたのは双子の弟のホープだ。弟が鐘を鳴らしているところを見るのは初めてだった。

 鐘が鳴り終わると狭いやぐらから後ろ向きに少年が出てきた。少年の短い黒髪もジェードと同じようにゆるゆると波うっている。

「ホー!」

 ジェードが呼びかけると、少年はすべるようにはしごをおりてきた。二人が並ぶと、背の高さも顔立ちも瓜二つだった。違うのは髪の長さと声の高さくらいだ。

「ジェード、今日は早かったんだね」

「だって、今日は忌年(きどし)のお(はら)いを受けなきゃいけないでしょ」

 村の子どもは、十三歳になる誕生日に一年間のお祓いを受ける習わしがあった。

「教室を閉めたら、牧師先生のところに一緒に行こう」

 二人は、さらに教会の裏手へと向かった。そこには教室と呼ばれる石造りの古い建物がある。南側の壁に大きな窓が三つあり、板で作られた窓が棒で支えられて開いていた。中はもううす暗く、そこで学ぶ子ども達はとっくに帰っていた。

 七歳から十二歳の村の子どもたちは週に二・三日、教室で計算と読み書きを習う。ホープは昨年まで、ジェードは九歳まで通った学び舎だ。アレー村では、少女たちのほとんどは計算だけ習い終えると学校に来なくなる。この村で生活する少女達は、将来ほとんど使わない文字は覚えず、十歳から早々に仕事について働くのだ。

 ジェードもその例にもれなかった。ただ、ジェードは他の女友達より少し早い九歳の時、姉の死をきっかけに学校へは通わなくなった。

 教室に入ると、ホープは部屋の一番奥の窓を閉めた。教室の奥が真っ暗になった。

 ジェードは四年ぶりに教室に足を踏みいれた。教室の後ろの石の壁に、天使と悪魔の絵が描かれている。クライス信仰の聖典に描かれた絵と同じものだった。

 ホープは二つ目の窓を閉めた後、最後の窓を閉めるのをやめて、壁の絵を眺めるジェードの隣にならんだ。

 ジェードをちらりと見やると、胸の前で両手を組み、小さい声で何かぶつぶつと一人で話している。ジェードの祈りの姿はホープから見ても少し異様だった。祈りは声に出しても、心で想うだけでも良いのだが、ジェードの祈りは、まるで見えない誰かと会話をしているようなのだ。

 ジェードがそんな風になったのは、姉のルースが死んでからだ。心配になってホープは両親や牧師に相談したが、大人たちから言われたのは「ジェードは傷ついているからそっとしておいてあげて」ということと、「今後一切ルースの話はしてはいけない」ということだった。

「おお、ホープ、ジェード。ここにいたのかい」

「牧師先生!」

 二人はふり返って声をそろえた。

「日が沈む前にお祓いをしてしまおうか。ホープ、ジェード。さぁ、ここにひざまずいて」

 牧師は一つ開いたままの窓から西日が射し込む場所を手のひらで示した。

「祭壇の前じゃなくていいんですか?」

 かがみながらホープが問う。

「祈りはどこで祈ってもかまわんのだ。天使様はこの世のすべての出来事をご存じなのだよ」

 そう言って牧師は、ひざまずくホープの片手を取るとジェードの手に添えさせる。もう片方の手は牧師の手を取るように、その上に添えさせた。

「さぁ、二人とも。目を閉じて。これから私がお前さんたちのために祈ろう」

 牧師は祈りの言葉をゆっくりはっきりと唱えた。これから忌まわしき一年を迎える二人の守護をお願いする内容だった。

「――クライスの御名において」

 天使の名前が最後に添えられて、祈祷はあっという間に終わった。

 二人は目を開けて、牧師の顔を見た。

「さぁ、今度はお前たちが天使様に祈りなさい」

 そう言われて双子は、両ひざをついたまま、胸の前に両手を組んで目を閉じた。

 ホープは心の中で今年一年間の無事を祈ったが、となりのジェードがぶつぶつと小声で話す言葉が聞こえてきた。

「【天使】様、どうか、わたしたち家族が、この村で末永く幸せに暮らせますように」

 ホープはジェードの奇妙な祈りが牧師に見られるのではと不安に思ったが、ジェードはそれきり何も言わなかった。

「ホープ、ジェード。天使様は今日から一年間、自分の祝い事は慎むようにとおっしゃった。そして他人の祝い事は大いに喜びなさい、と。忌年というのは天使様が他人を思いやる気持ちを私たちに教えてくれる大切な年なのだよ」

 牧師の言葉にホープはすかさず返した。

「牧師先生には【天使】の声が聞こえるんですか?」

「いや、聞こえないよ。でもきっと天使様はそう言っておる。天使の教えにはちゃんと理由があるんだよ、ホープ」

 釈然としないものを胸に抱えたまま、ホープは「はい」と返事をした。




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