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天国の扉  作者: 藤井 紫
第一章 奴隷皇子と亡命の魔女
28/193

11-2

「宰相だ。端に寄れ」

 ハリーファに言われて、その男がシナーンと似ている事にジェードは気がついた。

 少しだけ頭を下げるハリーファの影に隠れるように、ジェードも壁際に寄った。

 初めて見るファールーク皇国の宰相、ハリーファの父親の姿だ。小麦色の肌、漆黒の髪、そしてシナーンと違う印象だったのは、微かに憂いを帯びた黒い瞳。

 すれ違う瞬間にも、ジェードの胸はざわついた。宰相の姿から目を離せず、視線でその後ろ髪を追い続ける。

 宰相とリューシャは、二人を気にとめることもなく通りすぎた。すれ違う時も無言のままだった。

 リューシャは二人の姿などまるで目に入っていないかのように、ハリーファともジェードとも目を合わさなかった。その表情に以前見た穏やかささはない。その代わり、隙のない高貴な美しさをまとっているように感じられた。服の裾と、長い金色の髪が風に揺れる。リューシャの通りすぎた後には上品な花の香りが残った。

 井戸端での家奴隷たちの噂通り、リューシャはこの宮廷の中で最も美しい女奴隷なのだろう。もっと歳若い女奴隷も沢山いるが、まだまだその美しさはリューシャには及ばない。

 女奴隷の中で誰よりも豪華な衣服をまとい、宰相のそばを悠然と歩く姿は、表舞台に出ない妻以上の女王の風格を感じさせる。

 二人が宮殿の奥へと姿を消すまで、ジェードはその後姿を見つめ続けた。

 ジェードは再び歩き出したハリーファの後を慌てて追いながら、金色の髪を後から眺め、家奴隷たちの噂話を思い出した。


 【王の間】に戻ると、ハリーファは保管庫から持ち出した書物を読みだした。飾りのような文字を右から左へと指をすべらせて、ジェードの事など気にもとめない。

 そんなハリーファの様子を見て、ジェードはそっと応接室を出た。

 休憩時間も残り少ない。ジェードは【王の間】の奥の自室に戻ると、ベッドに倒れこんだ。

(ハリは家族と仲良くないのかしら? ここに友達は居ないの? 最近よく部屋を出て行くけど、一体どこへ行ってるのかしら?)

 疑問ばかりが浮かび上がってくる。

 もう半年ほどリーファのそばで一緒に暮らしているというのに、ハリーファの事を良く知らないままだ。

 田舎の村で、たくさんの兄弟や友達にかこまれて育ったジェードには、ハリーファが可哀そうに想えてならなかった。こんなに沢山の人が生活している宮廷なのに、ハリーファの生活はひどく寂しいものだと思わずにはいられない。

(もうシナーンからもらった毒も使わないでおこう……)

 しかし【天使】に言われた通り、ジェードはハリーファを殺さなければならないのだ。同情したところで仕方がなかった。

 アレー村の家族のことを思い出したせいか、ジェードの瞳から一粒だけ涙がこぼれ落ち、ベッドににじんだ。

 休憩時間が終わると、ジェードは夕刻からの仕事へと戻っていった。


 ジェードがランプオイルを持って【王の間】に戻ってきた頃には、日は落ちて室内は薄暗くなっていた。

 応接では、ハリーファはまだ書物に見入っている。部屋にある三箇所のランプにジェードが火を灯すと、ハリーファはやっとジェードの存在に気がついた。

「……もうこんな時間か」

 ハリーファは顔を上げ素っ気なくつぶやくと、また書物に目を戻した。

 多分、今までずっと書物を読むことに集中していたに違いない。きっと水分も取っていないだろう。ジェードは入り口の水瓶からグラスに水を注ぎ、長椅子に座っているハリーファの横のテーブルに置いた。

「どういうつもりだ」

 ハリーファは、不機嫌そうな顔つきでジェードを見上げる。ジェードが注いだグラスを手に取ろうとはしない。

「……毒なんか入ってないわよ……」

 ハリーファの疑うような視線を受けて、シナーンから渡された液体を使わないと決めたことを少し後悔した。

「昼からずっと何も飲んでないんでしょ。のどが渇いてるんじゃないかって心配になったのよ。心配しちゃいけなかった? 奴隷は『家族』なんでしょ?」

 シナーンから教えられたことを言ってみた。どうも東大陸(フロリス)東大陸(フロリス)では『奴隷』という身分に相違がある。故郷では『罪人』だが、ここでは『家族』らしいのだ。

「俺は、お前を奴隷だと思った事はない」

 ハリーファの言葉尻から、良い意味で言われたわけではなさそうだ。つまり、ジェードのことを『家族』とは思っていないということだ。人の心が読めないジェードでも、そのくらいの空気は読める。

「……わたし、信用されていないのね」

 ジェードがぼやいても、ハリーファは気にもとめない様子で書物に目を落とした。だが、信用されなくて当然だとジェードは思った。ハリーファを殺さなくてはいけないのだから。

 ジェードは、自分の事など眼中にないハリーファの横顔を見つめる。

 ハリーファに言われた『お前を家族とは思っていない』という意味の言葉がひどく寂しく感じた。

 『家族』と思えないのなら、一体何のために自分を奴隷にしたんだろう。ハリーファにとって信じられる『家族』というのは一体誰なのだろう。異母兄のシナーンでもなく、父親の宰相でもない。やはりリューシャなのだろうか。だとしたら、さっきの二人の態度も『家族』には見えなかった。

 半年間も一緒に暮らしているというのに、ハリーファはまったく身の上話をしてくれない。そして、ジェードに対しても無関心で、ヴァロニアでどんな生活をしていたのかなど聞かれることもない。

 【天使】がハリーファを殺すように命じるという事は、何か特別な理由があると思うのだが、ハリーファについて何も知らなすぎる。

(子どもだけど、本当はものすごい悪人なのかしら?)

 ジェードはしゃがむと、下からハリーファの顔を覗き込んだ。睫毛まで髪と同じ金色で、本当に整った顔立ちだ。

「ねぇ、昼間のあの金の髪の女の人、ハリのママなんでしょ?」

 ジェードの問いかけに、ハリーファは視線を書物からジェードに向けた。

「リューシャの事か?」

「ええ」

 ジェードはこくりとうなずいた。


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