10-2
「……不気味って? どういうこと?」
「ハリーファに、心を見透かされているような気がしないか?」
そう言われて思い返す。
大して話してもいないのに、ハリーファは答えてくれるような気がする。逆に、いつも会話がかみ合っていない気もする。しかし、そんな人知を超えた力を疑うようなことは全くない。
「そんな風に思ったことはないわ……」
ジェードは素直に答えた。
「人の心を覗くなんて、悪魔の仕業よ。人にはできないわ」
ジェードの言葉に、シナーンはフンッと笑う。
「私は、ハリーファは神魔に取り憑かれているのではないかと思っているのだ」
「神魔……?」
初めて聞く言葉に首をかしげる。
「知らぬか。神魔というのは、西大陸の伝承で、人間と神の中間の存在の精霊のことだ。神魔に取り憑かれた人間は、人の心を見透かし、その姿さえも変えることが出来るらしい。お前も私達兄弟は似ていないと思っただろう?」
「そうだけど……」
(もしハリが神魔に取り憑かれているのなら、わたしがハリを殺そうとしてることも、気づかれてるってことじゃない……)
なんとなくルースの話してくれた、ちょっと不思議なお話程度にしか思えない。
「異国の伝承は信じられないか? ヴァロニアの魔女と同じだぞ」
「魔女……」
そう聞いてジェードは眉をしかめた。
人に取り憑くという、人間と神の中間の存在、神魔。
悪魔と契約し特殊な能力を身に着けた、魔女。
東大陸と西大陸の伝承は異なるが、どこか似ている気もする。
「これでも私は異国の伝承についても少しは詳しい方だぞ。悪魔と肉体関係を持って魔女となると、髪の色が黒に変わると聞いたが。姿を変えるところも神魔と同じではないか?」
「わたしは……魔女が本当に存在するとは思えないわ」
しかし、ジェードは聖地でのことを思い出した。
天使は確かに『魔女は存在する』と言った。ならば、神魔も存在するのかもしれない。
「私は、ハリーファが神魔に取り憑かれているのかどうか確かめたいのだ」
「……わたしには関係ないわ」
「お前も天使信仰者なら、悪魔の存在を否定できないだろう。神魔も魔女も、悪魔の存在あってのものだ」
シナーンは立ち上がり、ジェードに顔を近づけ少し声を落とした。
「聖地でハリーファに何が起こったか、お前は見ていないか? 【王の間】に閉じ込められる前に、一度見たきりだが。聖地から戻ったハリーファは、何かに取り憑かれたように顔が変わっていたぞ」
聖地での出来事を聞かれドキリとする。
「私は弟に取り憑いているものの正体が知りたいんだ」
「……でも、どうやって確かめればいいの?」
シナーンは壁際の棚の方へ行った。そして引き出しから何かを取り出した。
「これを使うといい」
シナーンはジェードに瑠璃色のガラスの小瓶をそっと手渡した。
「これは?」
「毒だ」
ジェードは驚いて小瓶を落としそうになり、慌てて両手で握りしめた。
「お前なら簡単だろう?」
ハリーファが毒を飲んで死ねば、ジェードは天命を果たせる。
「ハリが死んでしまったら……?」
「ハリーファは何物にも憑かれてなかったと言う訳だ。その時はお前を私の奴隷にしてから解放してやろう」
「でも、もしハリが、本当に神魔に取り憑かれていたら……?」
「神魔に取り憑かれた人間は死なない。その時はお前が死ぬことになるかもしれないな」
ジェードは思いがけず手に入れた毒を服の中に隠して、シナーンの部屋を去った。
シナーンの部屋を出て、ジェードはすぐに【王の間】に戻る気分にはなれなかった。
アーチ屋根の回廊の端にすわり、頬杖をついて庭園をぼんやり眺めた。
太陽が真上を通りすぎ、それまで日陰だった回廊にも少しずつ西から日が差し始めた。暑さでこめかみにうっすらと汗がにじんだが、ジェードは不穏な気持ちを包み隠すように膝を抱えた。
朝と夜に祈りは続けているが、ファールークの皇宮に来てから【天使】からの答えはない。
「天使様……どうかわたしの迷いにお答えください」
ハリーファを殺すことは天命なのだ。天使が告げたのだから、答えはわかっているはずなのに。ジェードは助けを求めるかのように、空を見上げてつぶやいた。
「お前の【天使】は空に居るのか?」
背後で聞き覚えのある声がした。
ジェードは驚いて声のした方を振り返ると、金色の髪の少年が立っていた。
「ハリ!?」
ジェードは慌てて、余計なことを心で考えないようにした。
「もうあそこから出ても良いの?」
立ち上がって、衣服に付いた砂をはらう。二人の目線の高さがほぼ同じになる。
「ああ、さっきやっと許可が出た。部屋の前の見張りが居なくなって清々する」
ハリーファは今までに見せたことのない清清しい顔をしてジェードに近づいてきた。
強い日差しに慣れているのか、太陽の光にさらされても目を細めることすらしない。明るい場所で見るハリーファの瞳の色は透き通るような翠で、まるで物語で聞いた『宝石』を見ているようだった。
澄んだ翠の色に思わず心を奪われる。
「お前がいつもの時間に戻ってこないから、心配していたんだ」
ハリーファの言葉に、意識が引き戻される。以前遅刻してからというもの、必ず早めに【王の間】に戻るようにしていた。
「どうせ逃げてないかどうかの心配でしょ」
答えながら、ジェードは心では何も考えないようにした。
シナーンの言っていたように、ハリーファの透き通る翠色の瞳で見つめられると、まるで本当に心の中まで見透かされているようだ。
「お前が逃げるなんて思ってないさ」
「……わたしのこと全然信用してないくせに」
ハリーファがどういうつもりで言ったのか分からなかったが、いつものようにジェードは言い返した。
とっさに後ろに隠した手には、先ほどシナーンから渡された瑠璃色のガラスの小瓶が握られていた。