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天国の扉  作者: 藤井 紫
第一章 奴隷皇子と亡命の魔女
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10.第一皇子シナーン

 井戸の水位はますます下がり、年中暑く季節感のないファールーク皇国にも、夏が来たことを知らせていた。


 太陽が頭上からギラギラと照りつける中、ジェードは閑散とした中庭を一人歩きながら、どうやってハリーファを殺したら良いのか考えていた。

 以前行商隊が来たときに、ごたごたした厨房で、刃物を手に入れそこなったこともある。

(こんな調子じゃ、いつまで経ってもハリを殺せないわ……)

 ハリーファを殺さねばならないのに、日々の生活にすっかり流されてしまっている。

 何か武器でもあれば寝こみを襲うことも出来そうだが、あの部屋には全くそういうものがなかった。もちろん手に入れることなど出来ない。ヴァロニアを出る時父から渡された短剣は、聖地でハリーファに奪われて失くしてしまった。力ではハリーファにはかなわないのも、聖地で揉み合いになった時の事でなんとなくわかっていた。

(そういえば、知識が剣より強い武器だ、なんて言ってたけど……。それでどうやって人を殺すって言うの……)

 ハリーファの配膳をしているジェードには、食事に毒を盛ることなら簡単に出来そうだ。

 だが、毒なんて手に入るはずもない。故郷の村には羊も食べない毒草があったが、まさかそれがこの熱い土地に生えているとは思えない。この土地の生態の知識があれば……。

 ハリーファの言葉を思い出し、ジェードは歯がゆさに思わず唇をかんだ。

 ハリーファの怪我が治り切らないうちがチャンスなのだと一人あせっていたが、ジェードは活路を開くことが出来ないでいた。

 眩むような炎天の下、庭園の脇にあった石に腰掛け一人ため息をついた。

 暑い土地の習慣で、この皇宮に住まう人たちは、日が高いうちはほとんど部屋から出てこない。ジェードが昼間に【王の間】から出ても、忙しく働く家奴隷以外に出会うことはなかった。

 だが今日はちがった。石に座って砂の地面をにらんでいたジェードの背に声がかけられた。

「そんなところに座っていて、熱くはないのか?」

 声の方に振り返ると、一人の少年がジェードに近づいてきた。歳はジェードやハリーファと変らないように見える。少年の肌は小麦色で、黒い髪は短く整っている。豪華な縁取りのついた緋色の服を身に纏っていた。

「異国人の女奴隷というのはお前のことか?」

「……そうよ」

 ジェードは座ったまま、少年を見上げて答えた。逆光に思わず目を細める。

 今まで何度か、この少年の姿を遠目に見たことがあった。そして、遠くからこの少年が自分の姿を目で追っていたことにも気がついていた。

 彼にはいつも誰かが同伴していたので、今までジェードに近づいてくることも、声をかけてくることもなかった。

 その少年は、ジェードをじろじろと見定めているようだった。その視線に抗議するようにジェードは眉をしかめる。ジェードは異国人というだけで、髪も男のように短く、白人ではあるが特に目立って美人というわけでもない。

「何故、ハリーファはお前みたいなのを奴隷にしたのだろう。聖地であいつの命でも救ったのか?」

「…………」

 少年の口から『聖地』と聞いて、ジェードは視線を斜め下に落とした。忘れてはならない大切な事と、忘れてしまいたい恐怖を思い出した。

「ヴァロニアに帰りたいのか?」

「当たり前でしょ。奴隷なんて不本意なのよ」

「よく言ったな。あれでも一応皇子だぞ」

 ジェードには『皇子の奴隷』という価値は全く理解できない。以前リューシャにも言われた事だったが、どうしても釈然としない。

「私の言うとおりにすれば、お前を私の奴隷にしてから解放してやる」

 ジェードは少し考えたが、今は国に帰ることよりもハリーファを殺す事を優先しなければならない。ハリーファを殺さずに国に帰っても仕方ないのだ。天命を果たすには、まずハリーファを殺さないといけない。

 ジェードが少年の立派な服装を上から下へと見ていると、腰辺りに携えている少し曲がった形の短剣が目にとまった。

(……あの剣を手に入れられれば、ハリを殺せるかもしれない)

 ふとそんな事がジェードの脳裏をよぎった。

「あなた誰なの?」

 ジェードの質問に少年はハハッと笑った。

「そこから説明しないといけないのか」

 少年に対するジェードのぶしつけな態度も、おそらく異国人だからという理由で許されていたようだ。

「こんなところで話すことじゃない。着いてこい」

 うだるような暑さの中、ジェードは黙って少年の後に着いていった。



 少年に連れられ、ジェードがたどり着いた部屋は、本宮の三階に位置していた。

 本宮の建物はロの字型になっており、少年の部屋はリューシャの部屋とは反対側に位置している。窓から遠くに青い海が見える。部屋の装飾もリューシャの部屋以上に立派なものだった。

 部屋の方角のせいもあるのか、この部屋はずいぶん涼しかった。代理石の床の上に、植物を模した柄が細かく編み込まれた赤い絨毯が敷かれている。

 ジェードはその美しい絨毯を踏んで良いのかわからず、思わず手前で立ちつくしていた。少年はそんなことは全く気にせずその上を歩き、丸いテーブルの横の椅子に一人腰かけた。

「水を淹れてくれ」

 ジェードは自分に言われていることにしばらく気づかなかったが、少年の視線を感じて慌てて部屋を見回した。

 金細工の取っ手の付いた棚の上に、水のピッチャーを見つけた。隣にあったグラスにその水を注ぐと少年のところへ運んだ。

「まずお前が飲むんだ」

 そう言われ、ジェードはよくわからないまま、グラスの水を一口飲んだ。

 少年はジェードからグラスを受け取ると、ジェードが口をつけた部分から水を飲んだ。間接的にジェードと唇を重ねる行為に、ジェードは少しどきっとした。

 少年の漆黒の髪と瞳を間近に見て、ジェードは不思議と懐かしいものを感じた。とても澱みのない瞳をしている。

「私はシナーン。ハリーファの兄だ」

 黒髪の少年はテーブルの上にグラスを置きながら話し始めた。

「ハリの、お兄さん……?」

 ということは、この少年もこの国の皇子ということになる。彼が昔ルカを井戸に突き落としたという少年だ。

 噂には聞いていたが、兄弟で髪も目も、肌の色まで全く違うことに、ジェードは驚きを隠せなかった。きっと顔に『兄弟なのに似ていない』と現れているに違いない。

「クライス信者のお前には分からないだろうが、私とハリーファは母親が違う」

「……え?……」

 シナーンの言うとおり、母親の違う兄弟などジェードには理解出来なかった。伝承者クライスの教えは一夫一妻で、不貞は禁忌だ。

「それにしても、奴隷と言うのは『家族』だと言うのに。あいつはお前に、自分の身の上話もしないのか? それともお前……」

「……ジェードよ」

「ジェードか。お前はハリーファに信用されていないのだな」

 確かに、ジェード自身も、ハリーファから信用されているとはとても思えない。

「……じゃあ、あなたはハリから信用されてるの? 母親がちがっても、本当の家族なんでしょ?」

 ジェードが言い返すと、シナーンの顔から笑みが消えジェードをにらんだ。

「お前は本当に馬鹿だ。私もハリーファも、お互い信用してなどいない」

「奴隷を信用するのに、兄弟は信用しないなんておかしな話だわ」

 ジェードの反論に、シナーンは冷静に返してきた。

「従属階級と一緒にするな。ヴァロニアでも王太子ドーファンとその姉が王位を巡って争っているだろう。それと同じだ」

 自分の国のことであるのに、ジェードは王族や王都で起こっている事などはまったく知らない。そんな情報はアレー村までは届かないのだ。

「だが、そんなことはいい」

 シナーンが話題を変えた。

「お前はハリーファの事を、不気味に思う事はないか?」


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