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天国の扉  作者: 藤井 紫
第一章 奴隷皇子と亡命の魔女
21/193

8-4

 ジェードは【王の間】に戻った。

 まだ炎天の真昼間だ。ハリーファは相変わらず寝室にこもっているようだった。

 応接の脇のテーブルには、ハリーファの読んでいる本が山のように積まれている。それぞれの大きさはジェードが持っていた聖典よりも一回り大きく、一冊一冊ていねいに美しい糸で綴じられている。

 ジェードは一番上に積まれた本を立ったままめくった。中は黒一色の聖典とは違い、文字にも赤や緑、時には金といった色がついている。一ページごとに異なる縁取りがされ、挿絵も壁画をそのまま小さくしたもののように細かく美しかった。

 ジェードがページをめくっていると、背後で寝室の扉が開いた。ハリーファが奥の寝室から出て来たので、ジェードは慌てて本を閉じた。

「……別に見ても構わないぞ」

 黙って立っているジェードの横に、ハリーファが近づいてきた。

「大体つまらない本だ。歴史家が書いた宮廷のこととか、財務長官の手記なんか見てもつまらないだろ。ああ、これは昔からある物語の本だ」

 そう言って、少し小さめの本を一冊、左手でジェードに渡してくる。

「いいの、どうせ読めないから」

「読めないなら何を見ていたんだ?」

 ハリーファが不思議そうにジェードを見つめる。

「ああ、写本が珍しいのか」

 ヴァロニアでは二百年前程から簡単な印刷技術が確立され、聖典や教科書が印刷されるようになっていた。ここにあるような手書きの写本と違い、印刷された本の中は黒一色だ。大量に出版される聖典や教科書以外の本は手書きされているが、そういった本は庶民の手に渡ってくる事はまずないし、ジェードも見たことがない。

 ハリーファはそのことを知っていたようだ。

「ええ。こんなにたくさん色のついている本は見たことないわ。……とても綺麗ね」

 ジェードは渡された本を開いた。沢山の色を使って手描きされた挿絵はとても美しい。

 一冊ずつ手書きされる写本は挿絵だけでなく、文字やそれを囲う飾りも様々な色を使って書かれている。

 ジェードが持っていた本といえば、学校から配布された聖典だけだった。

「わたしが見たことのある本は、墨一色だけよ」

 白と黒だけの絵とは違い、渡された本に描かれた人の肌は小麦色で塗られていた。小麦色の肌の男女が裸で抱き合う挿絵のページで、ジェードは慌てて手元の本を閉じた。

 印刷技術のおかげで、クライスの教えを説いた聖典はフロリス全土の庶民階級にも普及した。そのおかげでフロリスにはモリスにはない教育制度まで出来あがっていた。

「ヴァロニアの印刷技術は素晴らしいな。本が普及して、教育制度が出来たんだろう。その点、ファールークは二百年前から時間が止まったままだ」

 ハリーファがポツリとつぶやいた。

 ヴァロニアでは十二歳までの義務教育制度によって、国民全てが最低限の読み書き計算が出来るはずだ。そのことに気がついたハリーファはジェードにたずねた。

「ジェード、お前は今何歳なんだ?」

()()()()()()()

 ジェードの答えに、ハリーファは瞬時にいらだちを顔にあらわした。

「十三だろう。回りくどい言い方をするな」

「忌みし数字よ。口に出して言わないで」

 クライスの忌数だ。ジェードの答えの理由を聞いてハリーファは納得し、気持ちも落ち着いたようだった。

「いや、なら何故お前は文字が読めないんだ? ヴァロニアの教育制度はどうなっている?」

 ヴァロニア王国では十二歳になるまで義務教育がなされていたが、ヘーンブルグのような田舎では女の教養は全く重視されず、女生徒たちは結局教養を身につけないまま教育を終えることが多い。皆とは異なる事情はあったが、ジェードも結局そうなってしまった。

「羊を飼ってるだけなら必要なかったんだもの。数ならわかるわ。十分でしょ?」

「必要なければ覚えない? じゃあ必要なら覚えるのか?」

「そうね。もちろん、必要だったら覚えるわ」

 今までこんなにハリーファと会話したことはない。

 井戸端での話だと、リューシャに守られて大切に育てられたハリーファは、一人では何もできない、物事もよくわかっていない、儚い皇子のように語られる。

 しかし、実際どうだろう。ヴァロニアの印刷技術や義務教育を知っていること、そして聖地での出来事もあわせ、ハリーファについてひどく違和を感じる。

 どちらが本当のハリーファの姿なのかと、ジェードは不思議な気持ちになった。

「ジェード。地位や名誉はお前を裏切っても、身に着けた教養だけは、お前を裏切る事はないんだぞ」

「じゃあ、身に付けなければ、そもそも裏切られることはないじゃない」

「だが、お前は今、羊飼いと言う職を奪われた。文字の読み書きができないお前に何が出来る?」

「別に、読み書き出来なくても、何も困ってないわ」

 ジェードが言い返すとハリーファは呆れた顔をする。

「なら言い換えよう。知識は時に剣より強い武器になるぞ」

「じゃあ、その知識でわたしを殺せるの?」

「簡単すぎて馬鹿馬鹿しいね」

 ハリーファは呆れた口調で答えた。

 だが、ハリーファの答えにジェードは違うことを考えていた。

 今、手元に武器はないが、本当に知識でハリーファを殺すことができるのだろうか。ハリーファは剣で簡単に人を殺したが、知識というのはそれよりも簡単に自分を殺せるのだろうか。

 天使から告げられた、天命を果たすにはハリーファを殺さなければならない。

 ジェードは不穏な気持ちをハリーファに悟られないように必死で隠した。



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