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「わたしだって、もう十二なんだから! 子ども扱いしないで!」
女奴隷に教養を施し妻に迎えると、天国で二倍の報いがあるというモリス信仰の教えから、女奴隷を妻として迎える主人は少なくない。女奴隷が自由人になるのには、奴隷からの解放だけを受けるよりも、妻としてめとられる方が圧倒的に多かった。
主人の妻としてめとられることは、女奴隷たちの共通する夢だ。
「リューシャ様くらいお綺麗じゃないと、皇族にめとられるなんてありえないからね。でもリューシャ様は宰相様付きなんだから、あんまり余計なこと言うもんじゃないよ。それにあんたたち、そもそもあたしらは家付なんだから、そんな夢みたいな話したってダメなんだからね」
母親くらいの家奴隷が若い二人をたしなめるように言った。
彼女たちと話す中で、ジェードは気がついたことがある。奴隷には「人付の奴隷」と「家付の奴隷」がいるということだ。
「人付の奴隷」はジェードのように「主人」がいて、その主人に仕える奴隷のことだ。
人付の奴隷の場合、主人から解放され自由人になることもあれば、主人の死後、その主人に跡取りの無い場合、仕えていた奴隷から後継者を選ぶこともあり、後を継いだ奴隷は家、財産、妻までも引き継ぐことがあると聞く。
一方、「家付の奴隷」には「主人」はおらず、その「家」に仕えることになる。
こちらは生涯奴隷から解放されることはなく、死ぬまで奴隷としてその家に仕えなければならなかった。
家付の奴隷というのは、奴隷と奴隷の間に生まれた子だ。したがって皇族や貴族など、抱える奴隷の数が多いところに「家付の奴隷」と言うのは多く存在していた。
「でも、ジェードは奴隷皇子様付きなのよ!」
ルカが口をとがらせて言いかえした。
ジェードは黙って話を聞きながら、井戸際で水をくむのを手伝った。
「奴隷皇子様も、宰相様やシナーン様と同じで、女奴隷を妻にしちゃダメなの? ジェードは解放されても奴隷皇子様とは結婚できないの?」
思いがけないルカの言葉にジェードはぎょっとした。
「いいや、奴隷皇子様は別だね。去年姉の皇女様が嫁いだ相手は、あんたらは知らないだろうけど先々代の第二皇子ハリード様の息子なのさ。確かお母様は元女奴隷だって聞いたことあるし」
年配の家奴隷の言葉にルカの顔が明るくなった。
「よかったね、ジェード」
ルカは素直にジェードに祝福の笑顔を向けてくる。
ジェードは何と言ってルカの言葉を否定しようかと頭の中で考えていると、背後から誰かに抱きつかれわしっと両胸をつかまれた。
「きゃーーっ!!」
乾いた空気の中をジェードの悲鳴が響く。アルダが後ろから抱きつくようにしてジェードの両方の乳房をつかんできた。
ジェードの手から井戸水のくみ上げロープが離れた。井戸の上の木枠に付けられた滑車がガラガラと激しい音を立てて回る。
驚いたジェードは慌ててアルダをふり払うと、胸をかばうように腕で隠した。服越しとはいえ、寒いヴァロニアでは考えられないような薄着の上から胸をさわられひどく動揺してしまった。他人に胸をさわられたのは初めてだ。
「な・なな何するのっ!?」
頬が熱くなり顔が真っ赤になっているのが自分でもわかる。
謝るように、アルダがジェードに片目を閉じてみせた。
「ルカもジェードも、あんたら程度の胸の大きさじゃ皇子様の妻になるなんてまだまだムリ! アタシくらいはおっきくないとね!」
楽しそうに笑いながらルカに向かって言うのを聞いて、ジェードはますます顔が熱った。
「だいたい! まず人付の奴隷として雇ってもらわなきゃだめでしょ!」
アルダの言葉にルカはまたぷうっと頬をふくらませた。
ジェードを含めた若い娘達のかしましい様子を見て、年配の家奴隷はやれやれと肩をすくめた。
「あたしらは、宮廷と言う『家』に生まれてこれた事を感謝して働いてりゃいいの」
「そうだよ。市井じゃ人付の奴隷でも、ご主人次第で相当ひどいって話も聞くからねぇ」
年長の二人は口を動かしていても、決して手は止まらない。目線だけで「早く水!」と言われ、ルカとアルダは慌てて井戸のロープを引っぱった。
「そういやさぁ、昔、奴隷皇子様は十歳になったら奴隷として売るために宮廷に残してる、なぁんて噂もあったけどね」
母親くらいの家奴隷が話をむし返した。若い二人が水をくむ間に、向かいでせっせと洗濯桶の壁に布を押し付けてこすっている年配の家奴隷に話しかけた。
「ああ、金の髪だからかね。人付さんが取引できるの、男は十歳からだったっけ?」
「あんまり言いたくないけど、アーラン様は宰相様から相当酷い扱いされてたでしょ。でも、奴隷皇子様にはそんな事なかったからさ。傷付けず、綺麗なまま、奴隷として売られるんだろうなぁって思ってたわ」
「でも、今回の奴隷皇子様のお怪我は宰相様がやったって話じゃん」
年上の家奴隷は水を足しながら、また噂話に加わった。年配の家奴隷は「滅多なこと言うんじゃないよ」と若い家奴隷をたしなめた。
「ま、でも奴隷として売りとばすって話はちがったってことさね」
「奴隷皇子様は、今までリューシャ様に守られてたんだよ。リューシャ様が母親役を辞められた途端に、誘拐されたり、大怪我したりだもんね。かわいそうにねぇ」
年長の二人も噂話に火が点いたようで話を続けた。
「本当か嘘か知らないけど、今回はリューシャ様まで宰相様に殴られたって言うじゃない。ああ、恐ろしい」
「リューシャ様は、奴隷皇子様を手放したくなくて、宰相様にわがままでも言ったのかな?」
今度はルカが水を注ぎながら話に割りこんだ。
「そうかもしれないね」
「そういえば奴隷皇子様の誘拐は、リューシャ様は奥様方が犯人だって、またひどくやり合ったって言うじゃない」
「それは宰相様の方が綺麗で賢いリューシャ様を離さないからだよ。奥様が気分を悪くされるのも仕方ないさね」
「第二夫人様と第三夫人様はとっくに亡くなられてるし、第四夫人様はずっと心のご病気だし。リューシャ様の敵は、後は第一夫人様か」
ハリーファだけでなくリューシャの事も良く知らないジェードは、話に入らず横で一人つっ立って聞いていた。洗濯女たちは気にせず手と口を動かしていた。若い二人も交互に水を運び続けていた。
「だけど、リューシャ様は奴隷皇子様の母親役をがんばったと思うよ」
「そうしないと宰相様のお傍におれなかったんでしょ? そりゃあ、がんばりもするよ」
「それだけじゃないよ。あんただって子ども生みゃわかるよ。一度さ、お二人手をつないで歩いてるところを見たことがあったんだけど、ほんとの母子みたいだったよ。もう何年も前の話だけどね」
家奴隷たちによる皇族の噂話は、まだまだネタがつきそうになかった。
ハリーファとは違って、リューシャの事は常に井戸端で話題にあがった。そして奴隷達は、同じ奴隷身分のリューシャにだけは尊称をつけて話すのだ。
作業を手伝うすきを失ってしまい、ジェードは邪魔にならぬよう井戸端から立ち去った。