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天国の扉  作者: 藤井 紫
第六章 二人の悪魔
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88.奪われし光

 朝靄がまだ晴れぬ時間、王宮の回廊を、白衣をまとった一団が音もなく進んでいた。

 胸に神印の紋章を掲げた高位の神官と、複数の修道士――誰もが丁寧に、だが迷いのない足取りで、客間の扉の前に立つ。

 衛兵が、やや驚いた様子で頭を下げる。

「……ジェード・ダークのご移送ですね。王命の通達、確かに拝受しております。療養の延長とのことで……?」

 神官は柔らかく微笑んだ。

「ええ。あくまで形式に則った処置でございます。聖堂内での休養と、一部、教義上の確認が目的となります。ご安心を」

 衛兵は深く頷き、扉を開けた。

 ジェードは、椅子に座って、入ってくる一団を黙って見ている。

 特に怪我の痕もなく、体調も回復しているように見える。

 しかし、部屋に入った一団により、不思議な静けさが部屋を満たしていた。

「おはようございます、クライスの子、ジェード・ダーク。お身体の具合はいかがでしょうか?」

 年配の神官がやさしく声をかける。

「……わたしは、大丈夫ですけど……?」

 ジェードは少しだけ警戒した目を向けたが、やがて立ち上がった。

「療養先の変更だと、さっき聞こえましたが……それは、今すぐにでしょうか?」

 朝、ホープのところに向かおうとしたところを、衛兵に部屋で待つように言われたのだ。

 てっきりホープの事なのかと思い込んでいたが、何やら様子がおかしい。

「はい。馬車はすでに手配済みです。中央大教会の方で、環境も整えております」

「中央大教会……?」

 ジェードは聞いたことのない名だった。

 そこが王都の郊外にあり、やや辺鄙な場所であること、それが魔女裁判の象徴となった場所であることを、ジェードは知らない。

「どうぞ、着替えなどは不要です。移動は短時間ですので。……あくまで、王命による、形式的な処置でございますから」

「ギリアン陛下が?」

 その名を聞いて、ジェードはほんのわずかに安堵した。ギリアンの名が出たことで、罠ではないのだと信じたかった。

 修道士たちは決して乱暴な手を使わず、身支度を手伝い、静かに扉を開く。

 兵士はその様子を見送るばかりだった。

 誰も、警告を発する者はいなかった。

(わたしはホーの療養の為に、ここに居るだけなのに……)

 ジェードの胸の奥に、薄い不安が広がった。

 しかし、誰もが優しく接する中で、それが口に出ることはなかった。

 城門の先に待っていたのは、教会の紋章が刻まれた屋根付きの護送馬車。

 白布がかけられた内部は薄暗く、窓は小さかった。

「どうぞ。道中は短いですので、安心してお乗りください」

 その言葉に従い、ジェードは馬車に乗り込んだ。

 最後にもう一度、王宮の建物を振り返る。

 その中にいるはずのホープの姿は、どこにも見えなかった。

 そして、扉が静かに閉じられ、馬車が動き出す。

 ジェードを乗せて、王都の郊外へと向かうその車輪の音が、石畳に反響していた。




*   *   *   *   *




 ホープは王宮内の療養室の一室で、左肩に包帯を巻いたまま窓辺に立っていた。

 風が揺れるたび、肩口に鈍い痛みが走る。

 回復しきっていない左肩を軽く押さえながら、そっと扉を開け、控えていた侍女に尋ねる。

「ジェードはどうしたの? 昨日から姿を見てないけど、何か伝言とか無いかな?」

「え……えっと、昨日、教会の使者の方に呼ばれたようで……」

 その言葉に、ホープの中で何かが軋んだ。

「教会? どこの?」

「詳細は……すみません。療養中の聖徒様に余計な混乱を与えぬよう、との王命が出ていたので……」

 言い終わる前に、ホープは駆け出していた。

 まだ鈍く疼く左肩に痛みが走るが、それでも止まれなかった。

 嫌な予感がする。ギリアン陛下がジェードの事で、自分に隠し事をするはずがない。

 通路を抜け、門番の衛兵に詰め寄る。

「ジェードを見なかったか? 教会の者に連れていかれたと聞いた!」

 衛兵は戸惑いながらも応じた。

「はい。昨日、ヴァロニア教会の高位神官が来られました。王印付きの依頼状があり……聖徒様は療養中と伺い、特に報告はせず……」

「……護送先は?」

「確か、中央大教会――」

 その言葉が終わるよりも早く、ホープはその場に立ち尽くした。

 ――中央大教会。

 姉ルースの魔女裁判が行われたと言う場所だった。

 頭からすうっと血の気が引いていく。

「なぜ、ぼくに伝えなかった……!」

 誰にともなく、叫ぶように吐き出す。

 胸の奥が焼けるように熱く、そして、氷のように冷たかった。

 ホープには、はっきりとわかっていた。

 これは偶然じゃない。誰かが仕組んだ流れだ。

 ルースの時には何も知らず、何も出来なかった。今度こそ、自分が守らなければならないと。




 長い卓の中央で、ギリアンは山積みの書簡に目を通していた。

 戦地からの報告、各地の徴税状況。そして、なにより今、最も気にかかるのは、ガイアール領リューエルからの動きだ。

「陛下!」

 勢いよく飛び込んできたのは、左肩に包帯を巻いたままのホープだった。

 平時ならば止められてもおかしくないその無礼も、ギリアンは顔を上げて止めなかった。

「……中央大教会、か?」

 ホープは息を呑む。

「なぜ、知って――」

「王印が使われ、君には知らせがなかった。姉上(リナリー)以外に、それができる者はいない」

 ギリアンの声が低く沈む。

「君の姉ルースが審問にかけられた異端審問所だ。あそこに連れていかれて、生きて戻った者はいない」

 数秒の沈黙のあと、ギリアンは椅子から立ち上がる。

 その身のこなしに、王としての威厳がにじむ。

「だが、王印が使われた件で、すでに、火刑に関する審問手続きに瑕疵があるとの書簡は送ったところだ。教会内部で稟議が始まれば、少なくとも一刻は動けまい」

 ギリアンは低く呻くように言った。

 傍に控えていた侍従が顔色を変える。

「陛下、すぐに兵を――!」

「まだだ。敵の動きがまだ見えない以上、焦って軍を動かせば、民心が崩れる」

 ギリアンは地図に視線を落とした。

「これはただの誘拐じゃない。姉上からの宣戦布告だ」

「……!」

 ホープは拳を握りしめたまま、言葉を吐き出す。

「……きっと、シーランドの元王妃は、黒髪のジェードを殺して、それを皆に見せることで、陛下を貶めようとしているんです。ジェードが異端なら、ぼくたちも、魔女と同じだと」

 ギリアンは頷くと、落ち着いて侍従に命じる。

「調査部を通じて、中央大教会内部の文書と護送記録を洗ってくれ。教会に入った金の流れも追うんだ。姉上が使った裏金が、どこから出たかも」

「かしこまりました」

 そして、ギリアンはもう一度ホープを見据える。

「ホープ、君は休め。肩が治らないと、剣も振れないだろう。……だが、もし火刑が本当なら、必ず間に合う手段を講じる」

 その声に、ホープは小さく頷き、部屋を出て行った。

 だが、ホープの胸の奥では、騎士ではなく、双子の姉弟としての想いが、別の炎となって静かにくすぶっていた。



 少し遅れて、参謀が駆け込んできた。

「陛下、ジェード・ダークが、中央大教会で、異端審問にかけられたとの報が入りました」

「……処刑の予定は?」

「まだ明言はされていませんが、すでに儀式の準備が進んでいるとの噂が」

 ギリアンの眉がわずかに動く。

「ヴィンセントを奪い、今度はジェード……。だけど、それにしては、やけに静かだ」

 ギリアンは立ち上がり、地図を眺める。

 ランス、リューエル、そしてガイアール方面の印を見比べる。

「……妙だな。これだけ戦力を注いで捕らえたのなら、次はどう使うかを示してくるはずなのに」

 そこへ、別の使者が駆け込む。

 その息は荒く、汗にまみれていた。

「失礼します! 王都宰相府より密報――リューエルにて、『代理戦争の布告あり』との報が!」

 部屋の空気が一変した。

「……なんだと?」

「開催は明日、五月三十日。敵軍より『王国軍の代表者を指定せよ』と……!」

 ギリアンの瞳が鋭く光った。

「――遅らせていたな。意図的に」

 参謀が顔色を変える。

「陛下、これは、ジェード・ダークの処刑と、代理戦争の日程が一致しております!」

「……ジェード・ダークを生贄にして、我らに剣を抜かせようとしているということか」

 ギリアンは深く息を吐いた。

「これは罠だ。ジェードが燃やされても、火刑を阻止しても、我らが民心を失う」

 その声は低く、しかし明確だった。

 扉の外にいた側近を呼びつける。

「軍令部に伝えよ。全軍、出動は保留。今動けば、相手の策に乗ることになる。……その代わり、ジェードの所在を明らかにしろ。できる限りの密偵を放ち、火刑場の時刻を探り出せ」

 参謀が進言する。

「陛下、それでは手遅れに――!」

 ギリアンは王座の前に立ち、沈黙を抱え込んだ。


 ()()――また、あの言葉だ。

 王太子だったあの日、黒髪の少女を助けてほしいと懇願に来た男の顔が、脳裏をよぎる。

 その男は、王族に頭を下げるような男ではなかった。それでも、その時ばかりはギリアンに伏してまで少女を救いたいと――

(僕は、あの時、自ら黒髪を貶め、民の怒りを恐れた……)

 黒髪の命を救えば、民は不信を抱く。そして、次は黒髪の自分が裁かれる。

 それが、当時の自分には恐怖であった。

(だけど、今は――)

 王である。

 誰の顔色を窺う必要もない。

 髪色をとやかく言われても、その首を跳ねれば良いだけだ。

 それでも、王都の秩序や宗教の正統性を守らねばならないと、まだ自分を縛るのか?

 ギリアンは唇を噛んだ。

(……それで、また誰も救えなかったら、僕は二度死ぬことになる)

 ヴァロニアの歴史を変える。黒髪や魔女が悪であるという概念ごと変えてやる。

「ホープ」

 ギリアンは、そこに居ないホープに向かって、静かに独り言ちた。

「これは、私情ではない。だけど、友として、今度こそ、僕が()()()()()()を……祈っていてくれ」

 そう言って、彼は剣を身に着けた。

 まだ、動かす軍はない。だが、心はすでに戦いに向かっていた。


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