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天国の扉  作者: 藤井 紫
第六章 二人の悪魔
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81.黒き誇り

 ヴァロニア王都ランスは、光の都だった。

 石畳の広場に差し込む陽は反射し、塔の先端はまるで天に届くかのように高かった。

 その通りを歩く人々の髪は、一様に金色だった。陽に溶けるような金。風に舞うような金。まるでこの街そのものが金髪しか許されない国であるかのように。

 その中に、黒髪の者が三人――

 魔女王ギリアンと、ホープと、ジェードだけだ。


 ──正午。

 王都の広場に仮設された演壇の上に、黒髪の王太子ギリアンが立っていた。

 兜を脱いだ彼の髪は、陽を吸い、深い影を帯びていた。

 その姿に、わずかなざわめきが広がるが、すぐに沈黙に呑まれる。

 見渡せば、どこにも黒髪はなかった。

 誰もが、【黒】を恐れていた。

 ギリアンは異物としてそこに在った。

 異端の王。魔女の傀儡。忌むべき影。

 それでもギリアンは、前を向いて語り始めた。


「ヴァロニアの民よ。

 私の母は、この国の王妃だった。

 その血を持つ者として、逃げも偽りもしない」


 民衆の間に、風が吹き抜ける。

 ざわ、と微かな反応――だが誰も、声を上げはしなかった。


「黒髪が呪いと呼ばれている。

 ならば、問おう。光だけの国に、影は不要なのか?

 誰が、影なき国を築ける?」


 その言葉が、石のように響いた。

 広場の片隅で、幼子を抱いた女が背を向ける。

 老いた男が腕を組み、視線を落とす。

 中には演説の最中に、静かにその場を立ち去る者もいた。

 ギリアンは、それを見ていた。

 すべてを、受け止めるように。


「私は、光に従う王ではない。

 この国の影と痛みを知る者として、王になる。

 それでも――私の隣に立ってくれる者がいるなら、

 その者の髪の色がどうあれ、私は誇りに思う」


 演壇の下で、人々の視線が自分の頭巾の下に向けられていることに、ジェードは気づいていた。

 誰も口には出さないが、その視線は黒髪を告発していた。

 隣を歩くホープは、何も言わず、誰も責めず、ただ黒髪を隠さずに歩いた。

 街道に頭を垂れながらも、彼は王に仕えることを選んだのだ。

 『黒髪の聖徒』として、剣よりも深く、言葉よりも強く。



 しかし、ギリアンが演説を行った後も、黒髪への風評に大きな変化はなかった。

 ヘーンブルグ領の村人が、南方へ避難したとの報告も届く。

 村人たちの声は、もはや魔女王を信じるかではなかった。

 この国に自分たちの居場所があるのかという、根の深い問いだった。




*   *   *   *   *




 その後、ジェードとホープは、第二皇子の足跡を探すために、シーランド支配下にあるガイアール領に向かっていた。


 ガイアール城下の町では、風が冷たく広場を吹き抜けた。

 市場は昼を過ぎて人もまばらだったが、それでも、炙った肉の匂いや、乾いた布の擦れる音があちこちに残っていた。

 ホープとジェードは、遠目には旅の兄妹にしか見えない。

 しかし、ジェードは、黒髪の一房すら見えぬように、頭巾を深く被らされた。

 ジェードは隠さなくても大丈夫だと伝えたが、ホープはそれを許さなかった。


 広場の片隅で、二人の中年男が声を上げた。

「塔に幽閉されてる魔女(ウィッチ)、まだ生きてるらしいぜ」

「黒髪の魔女(ウィッチ)だろ。あいつら呪われてんだよ、魔女王に操られてな」

 不意に、その中のひとりが、ジェードの姿に目をとめた。

 ジェードの肩のあたりをじっと見て、口元を歪めた。

「……おい、あれ。髪、黒いぞ」

 その声が、広場に響く。

 ジェードは反射的に身を縮めた。

 だが、もう遅い。数人が振り返り、男たちが一歩、近づいてくる。

「王都の魔女王の手下か?」

「何しにここに来た、呪いをばら撒きに来たのか?」

 ホープがすかさずジェードの前に立った。

「やめてください。彼女は呪いなど──」

「お前も王都の奴か? 黒髪同士で旅かよ!」

「見ろよ、あの目……魔女(ウィッチ)の目だ……!」

 ざわり、と広場の空気が変わった。

 誰もが言い出すのを待っていたかのように、言葉が石つぶてになって飛んできた。

「髪を見せてみろ!」

「黒髪だ! 魔女の証だろ!」

「呪われるぞ、近づくな!」

 ジェードは喉が詰まって声が出せなかった。心臓が速くなり、足がすくみ、うまく呼吸ができない。

 ホープは怖くはないのだろうか。

 そのとき、ひとりの男が木の枝を拾って振りかざした。

「出ていけ! 不吉な黒髪!」

 その一撃が振り下ろされる寸前、ホープが男の腕を弾いた。

「やめろ!」

 叫びと同時に、男の動きが崩れた。しかし木の枝は、ホープの左肩に鋭くかすった。

 布が裂け、鮮血が飛んだ。

 広場が凍りついた。

 ジェードが息を飲み、ホープに駆け寄った。

「ホープ……!」

 男たちは一歩、引いた。

「ホープだと……!? こいつ『魔女王の聖徒(アコライト)』だぞ!」

 攻撃した相手が『魔女王の聖徒』だったことに、その場に居た者は恐れを口にしだした。

 ホープは、右手で傷口を押さえながら立ち上がる。

「……彼女は、誰も呪ったりはしない。それは、ぼくも同じだ。だが今ここに、呪いの言葉があるとしたら、その呪いを生み出しているのは……お前たちだ!」

 沈黙が落ちた。

 数秒のあと、数人が、つまらなそうに視線を逸らし、広場を離れた。

 あの木の枝を落とした男も、唇を噛みながら背を向ける。

 霧のように、人々は散っていった。

 ジェードは、震える手でホープの袖を握りながら、顔を上げる。

「どうして……」

「……本当に、ぼくらは魔女(ウィッチ)じゃない。それに、ギリアン陛下だって、魔女じゃないんだ……」

 その言葉に、ジェードは何も言えなかった。

 自分の帰国のために『魔女王』として戴冠してくれたギリアンの覚悟に気が付かされた。

 そして、ギリアンの正義のために戦うホープの姿を見て、胸の奥が痛んだ。

 自分の黒髪を、恥じたくなんてないのに――。


 森の中に入った瞬間、空気が変わった。

 広場のざわめきも、怒鳴り声も、呪いの言葉も、すべて葉の奥に溶けて消えた。

 そこには、ただ冷たい風と、濡れた土の匂いがあった。

 ジェードはホープの腕を抱えるようにして、何とか木陰まで連れてきた。

 苔むした倒木に彼を座らせると、すぐに鞄から布と薬草を取り出す。

「待って、すぐ包帯を……」

「ジェード、落ち着いて。ぼくは、大丈夫だ」

 ホープは笑おうとしたが、その唇の端にも少し血がにじんでいた。

 それを見たジェードの手が震えた。

 頭巾がずれかけるのも気にせず、ジェードは裂けた袖を引き裂くようにして布をはがす。

 その下から現れたのは、赤く染まった肩と、鋭く切られた傷口。

 皮膚は裂け、血がじわりとあふれ出ていた。

「これが大丈夫なわけないわ……」

「骨まではいってない。動かせるし、これくらい大丈夫だよ」

 ジェードは薬草を押し当て、震える指で縛るように布を巻いた。

 布にじわりと血が染みていく。

 その赤が、ジェードの手の中で熱を持って広がっていく。

 ホープはただ静かにそれを見ていた。

 泣くでも怒るでもなく、ただ丁寧に、傷を覆うそのジェードの姿を。

「……ホー、前にも左肩に大きな怪我をしたでしょう……?」

「……どうして、知ってるの?」

 ホープは、隠していた事がばれたとばかりに、静かに驚く。

「あなたの右手の人差し指……」

 ジェードがホープの右手を取ると、人差し指には、ジェードの傷とそっくりな傷跡があった。

「これはわたしが怪我した跡よ。離れていた時も、あなたとわたしは繫がってたわ」

「……知ってるよ。これまで何度も、ジェードの声に助けられたんだ」

「……心配だったの。……あなたは左利きだし」

 やはり、ジェードとホープの絆は、切り離すことなどできなかった。四年の間、離れたことで、むしろそれが浮き彫りになった。

 ホープは、もうジェードを疑ったり、隠し事はやめようと決めた。

「ねぇ、ジェード。今でも、天使様の声は聞こえる?」

 ジェードの目が揺れた。

 結び終えた包帯の端を結ぶその指が、止まっていた。

「ホー……わたし……」

 やっぱり、ホープは気がついていたんだと。

 けれど、ホープは何も言わずに、包帯の上からそっとジェードの手の上に自分の手を重ねた。

 もうすぐ春が来る。

 葉の影から差し込む光が、包帯の白に静かに触れていた。




 ホープが怪我をしたため、二人は早々にランスへと戻った。

 ジェードは、王宮の医務室でホープの肩に巻かれた包帯を見つめていた。

 まだ血の匂いが、かすかに残っている。

 ホープは眠っていた。

 呼吸は静かで、額に浮かんだ汗も今は乾いていた。

 ジェードは、扉の向こうで待っていたギリアンとヴィンセントの前に立つと、まっすぐに頭を下げた。

「……弟の代わりに、報告します。ガイアール領では、黒髪の者が魔女王の呪いとして恐れられています。黒髪を見たら、呪われるという言葉が、何度も聞こえました」

 ギリアンの眉が、微かに動いた。

「黒髪というだけで暴力を振るわれて……わたし、声も出せませんでした。でも、ホープは……わたしを、かばってくれました。わたしだけじゃなく、陛下のことも守りました」

 ギリアンは黙って頷いた。

 ヴィンセントの蒼い瞳が、包帯越しのホープの姿に向けられた。

「恐怖は形を持たない。だからこそ、人はそれに『色』や『名』をつけて正当化する。今回は、それが【黒】だったというだけだ」

 ギリアンは静かに言葉を継ぐ。

魔女(ウィッチ)という言葉は、心の中の恐怖の象徴に過ぎない。だけど、それに打ち勝てない限り、この国はまた、同じ差別と戦火を繰り返すだろう」

 そして、自分の髪に指を通す。

「僕の黒髪が、呪いではなく王の証であることを――証明しなければならない」

「だが、証明には根拠がいる」と、ヴィンセントが低く呟いた。

「伝承でも、逸話でもなく、証明となる確かな『物』が必要だ。ヘーンブルクに、古い王家の記録があったはずだ。図書室の文書の中に、ヴォードに関する資料が含まれていた」

 ジェードが目を見開く。

「ヴォード……? ヴォード・フォン・ヴァロア、それなら、わたしも聞いたことがあります。……ハリが言ってました。二百年前に黒髪の王がいたって。ヴォード王は黒い髪と瞳の人物だったので、王妃様にオニキスのペンダントを贈ったと」

 ギリアンが振り返った。

「オニキス?」

「ええ。髪と瞳に似た、オニキスのような――」

 その石と、記録が揃えば、黒髪は忌み色ではなく、王の血の色であると示せるはずだ。

 ヴィンセントは顎に手を添えて、短くうなずいた。

「ヘーンブルクに戻る必要があるな。私が行こう」

「それなら、わたしも一緒に行かせてください!」

 ジェードの声は揺れていなかった。

 ギリアンが静かに言う。

「これは、戦ではない。だが、同じくらいの覚悟が要る。呪いと呼ばれたものを、誇りに変えるための戦いだ」



 その夜。

 ホープの眠る枕元で、ジェードはそっと囁いた。

「ねぇ……わたし、多分生まれた時から黒髪が好きだったの。ホーの髪をいつも見てたからかもしれないわ。また、黒髪でよかったって思える日が来るかな……」

 ホープから答えはなかった。

 けれど、包帯の下から聞こえる彼の呼吸は、確かにジェードに届いていた。



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