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天国の扉  作者: 藤井 紫
第六章 二人の悪魔
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77.王女と皇女

 ヴァロニア領土のシーランド支配区 ガイアール領


 重厚な鉄扉が軋む音を立てて開くと、ランプの灯りがゆらりと揺れた。

 リナリーはゆっくりと足を踏み入れ、部屋の中央に鎖で拘束された少年を見下ろした。

 彼は壁にもたれ、静かに目を閉じている。

 しかし、その表情に怯えや屈辱の色はなかった。

 むしろ、まるで牢の中にいることなど気にしていないかのような、無関心な佇まいだった。

 リナリーは扉の側に立ち止まり、じっくりと少年を観察する。

(確かに、ヴィンセント・フォン・ラヴァールと似ている。もしや弟か?)

 その金色の髪、彫りの深い顔立ち、整った鼻筋。

 最初に捕らえた部下がヴィンセントと誤認したのも、無理はない。

 ただ、ヴィンセントは今年二十五になる。目の前に居る少年は、大人びてはいるがヴィンセントより明らかに若い。

 ——だが。

 少年が目を開いた瞬間、リナリーの呼吸が止まった。

(……翠の瞳?)

 一瞬、時が止まる。

 リナリーの脳裏に、別の顔がよぎった。

(悪魔か……? まさか……)

 少年はリナリーの視線を受け止める。

 その翠の瞳は、まるで底知れぬ夜の湖のように静かだった。

 リナリーは、思わず息を吐く。

「……そなた、名は?」

 リナリーの問いに、少年はしばし無言のまま彼女を見つめた。

 沈黙が場を支配する。

 そして——、少年は口を開いた。

「お前こそ、誰だ?」

 その口調には 恐れも、媚びも、怒りすらもなかった。

 リナリーは眉をひそめた。

 捕らえられ、鎖に繋がれながらも、この少年はまるで獲物ではなく、狩人のようだった。

 リナリーは、片手で短剣の柄をなぞりながら、再び問いかける。

「もう一度聞く。名前は?」

 少年は、しばらくの間、リナリーを見つめていた。

 そして、呟くように話す。

「……ハリーファ」

 ハリーファ——聞いたことのない名前だ。

 ヴァロニアの貴族にも、シーランドの諜報網にも、そのような名はない。 

 ラヴァール家の隠し子か、それともどこかの名もなき少年か——。

「そなたは何者だ?」

「……旅人だ」

「旅人? 何処から来たのだ? まさか地獄からなどと言わぬだろうな?」

 少年は、リナリーの蒼い瞳をじっと見つめた。

西大陸(モリス)からだ」

「暗黒大陸?」

「ラシードの命を受けて、ヴァロニアに来た」

 リナリーは薄く笑い、短剣を指で弾いた。

「ラシード……? あぁ……そうか」

 二三年前にそんな依頼を出したのを思い出した。

(ヴァロア家の印章を使ったが、やはり、私が依頼主だとわかっていたのだな)

 ヴィンセントを誘き出す餌として、懇意にしていた黒髪の女が欲しかったのだ。

(では、もう一人の女の方が魔女(ウィッチ)疑惑の女という事か)

 リナリーは、もう一度、少年の顔をまじまじと見つめる。もう七年も前だが、あの時召喚した悪魔に酷似している。

 この冷静さと不遜さ——普通の少年にはありえない。

 リナリーは一歩後ろに下がり、鎖に繋がれた少年を見下ろす。

「オーエンを呼べ」

 番兵に命令する。

(あいつにも、確認させよう……)

 そして、扉へと向かう前に、 もう一度、その翠の瞳を覗き込んだ。

(……いや、悪魔本人なら、死にゆく者の前にしか現れぬはず……)

 リナリーの背後で扉が閉まる。

 ハリーファは微かに目を細め、その閉ざされた扉を見つめていた——。




*   *   *   *   *




 冷たい石壁が囲う小さな部屋。

 湿った空気が漂い、かすかに灯されたランプの明かりが、ぼんやりと牢の内部を照らしていた。

 中央には一脚の椅子が置かれ、その上に 優雅な姿勢で座る女がひとり 。

 彼女は手首に縄をかけられたまま、まるで何の不安も抱えていないように、落ち着いた仕草で足を組み、リナリーが入ってくるのを待っていた。

 捕らえられているはずの女は、何の焦りもなく、まるでここが宮廷の一室であるかのように振る舞っていた。

 白い肌に色硝子のような翠の瞳、そして真っ直ぐな黒い髪。

 その姿を見て、リナリーは眉をひそめる。

 部下の報告ではヴァロニアの魔女(ウィッチ)を捕らえたとのことだったが、目の前の女は魔女(ウィッチ)どころか、貴族のような気品を纏っていた。

 ジェード・ダークは田舎へーンブルクの小娘のはず。今年十七歳なら、年齢は同じ位のようだ。

 リナリーは、ゆっくりと椅子を引き、女の前に座った。

「そなたがジェード・ダークか?」

 そう問いかけると、女はふっと微笑んだ。

「ジェードはここにはいないわ」

 まるで他人事のようなその口調。

 リナリーの眉が、さらに僅かに寄る。

「……報告では、そなたがヴァロニアの魔女(ウィッチ)——ジェード・ダークだと聞いていたが、違うのか?」

「わたくしはジェードではないわ。それに、ヴァロニア人でもない」

 女は微笑んだまま、首を傾げた。

「『魔女(ウィッチ)』とは何かしら?」

 リナリーは冷ややかにファティマを見つめた。

魔女(ウィッチ)を知らないのか?)

「では、そなたは誰だ?」

「まずは、あなたが先に名乗るべきでは?」

 その口調は、まるで立場が逆であるかのようだった。

 本来なら自分から名乗る必要などないが、この女からは不思議と同じようなにおいがする。

「……私は、リナリー・フォン・シーランドだ」

 ヴァロニア王ギリアンの実姉であり、シーランド王国前王妃であり、王太妃。だが、それは言わない。

「わたくしの名は、ファティマ」

「ファティマ……」

 ファティマもハリーファも西大陸(モリス)の人の名前だ。魔女(ウィッチ)を知らぬと言うことは、本当に西大陸(モリス)から来た者なのかもしれない。

「そなた、何者だ?」

 ファティマは困ったように首を傾げた。

「わたくしは、自分が何者かわからないの」

「では、ラシードを知っているか?」

 ファティマはまた首を傾げる。

「……わたくしの母上ウンムの従弟に、そのような名の者が居たような……」

「では、ジェードは?」

「ジェードは、一緒にヴァロニアに来たのよ。ジェードは、わたくしの息子の……何かしら? 二人はとても親密な関係……だと思うわ」

(……息子? この若さで?)

 リナリーは、ファティマの精神状態を測りかねていた。

 仮に本当だとして、この若い娘の息子と言うことは、まだ小さな子なのだろう。

 馬鹿らしくなって、手にしていた短剣を番兵に渡す。

「では、そなたはなぜヴァロニアに来たのだ?」

「……追放されたのかしら?」

「追放?」

「よく、わからなくて……」

 リナリーはその言葉にぴたりと動きを止めた。

 西大陸のファールーク皇国——三か月前、地図から消えた謎の国。

「追放とは……そなた、もしやファールークの一族か?」

「ええ。わたくしはファールークの――」

 突然、ファティマは言葉を止める。

「腫物……」

 穏やかだったファティマから表情が消えた。

 リナリーの背筋に冷たいものが走る。

「ええ。わたくしは……そう呼ばれていた」

 リナリーは眉をひそめた。

「誰にだ?」

 ファティマは少し首を傾け、首筋にかかる黒髪を肩の後ろへ流す。

「皆よ。叔母上も、奴隷たちも、誰も声に出さなかったけれど……いつもそういう目で見られていたわ」

 翠の瞳が、ふとリナリーを真っ直ぐに射抜いた。

「金色の髪は、魔性の色と」

「ファールークの皇族は、黒髪・小麦肌の血統だと伝え聞いているが」

「だから、何度も死のうとしたのよ……」

(……戯言か、それとも見せかけの芝居か。だが、もしこれが演技でないなら——この女、まともな地で育った者ではないな)

 断片的な言葉から読み取れるのは、ファティマは金髪のせいでファールークでは虐げられ、何度も自死を試みていたと言うことだろうか。

 確かに、ファティマの顔立ちは異国風だが、肌は東大陸(フロリス)人のように白く、瞳はシーランド人のような翠色だ。

「……だが、そなたの髪は、黒色だぞ……?」 

 言いながら、リナリーははっと気が付いた。


魔女(ウィッチ)とは、悪魔と肉体関係を持って契約をなし、()()()()()()()()()()()()()


 あの美しい男(悪魔)は、()()()()()()、死ぬ者の願いを叶えるのだ。

「そなた……、悪魔と契ったのか……?」

「ええ。でも、黒髪になる願いは叶えられたけど、死なせてはくれなかった」

 リナリーの指が、膝の上で組まれたまま、じわりと力を帯びた。

 今、目の前に居る、ファティマこそ、

 ――本物の魔女(ウィッチ)――

 今まで、弟ギリアンを貶める為に殺してきたような、ただ髪が黒いだけの少女ではない。

 リナリーは、ぞくぞくとした高揚感を感じた。

 しかも、この娘はさっき「息子」が居ると言った。

 その息子こそが、『悪魔の子』だ。

 リナリーの願いを叶えてくれる――ヴィンセントを倒し、ギリアンも倒し、そして息子のアンリをヴァロニア王にしてくれる男。

 リナリーは込み上げてくる笑いを抑えきれなかった。ゆっくりと立ち上がり、ファティマを見下ろした。

「ようこそ、()()ヴァロニアへ。魔女(ウィッチ)ファティマよ」

 計らずも本物の魔女(ウィッチ)を手に入れた喜びで身体が震えた。

 後は、魔女(ウィッチ)の息子さえ手に入れれば、すべてが変わる。

 リナリーの冷えた心に、久しく忘れていた熱が灯った。


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