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天国の扉  作者: 藤井 紫
第六章 二人の悪魔
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75.十七歳の誕生日(ジェード)(二)

 その日の夕方。

 村の広場には、大きな焚き火が焚かれた。

 太鼓の音が鳴り響き、子供たちが手を取り合って踊る。

 大人たちは酒を酌み交わし、ジェードの帰還を祝って、声を弾ませていた。

 ジェードはその光景を、少し遠くから見つめていた。

 母との再会を喜んだのも束の間だった。

 あと後、母親から父の死を知らされた。村の皆にとっては四年も前の出来事だが、ジェードは今知ったばかりだ。

 とても祭りを楽しめる気分ではなかった。

 そして、今日同じ誕生日の双子、弟のホープも三年前に王都へ行き、帰ってきていないのだと母親から聞かされた。

 時々、母宛に手紙が届いていたようだが、母親は文字が読めず、それを読んでくれる父ももう居ない。

 双子の誕生日には帰省してくれていた二人の兄も、あれ以来戻ってきていないという。

(……わたしのせいで家族がバラバラに……)

 村の温かさは変わらないが、ジェードの家族は変わっていた。

 心が追いつかない。自分だけが取り残されてしまったようだった。

 村人もジェードが父の死を知った悲しみを察し、

「ジェードは疲れているだろうから、今日はファティマさんに踊ってもらおう!」

 と、ファティマを踊りの輪に連れて行った。

 そのファティマは、意外にも踊ることを楽しんでいるようだ。

 元皇族の余裕があるのか、優雅な所作が村人を魅了する。

 ジェードはそれを遠巻きに見つめながら、ふと、隣にいてくれるハリーファの存在を意識した。

 二人は、牧草地と広場を隔てる柵にもたれ、ファティマの様子を眺めていた。

 ハリーファが、静かに尋ねる。

「辛いなら、もう帰るか?」

 ジェードは小さく首を振った。

「……うん。でも、家でも落ち着かなくて。ここに居る方が気がまぎれるわ」

 ハリーファは少し考え込んでから、マントの端をジェードの肩にそっと掛けた。

「寒いだろ」

「……ありがとう」

 ジェードはそっとその温もりを受け入れた。

「着いたばかりだが、明日からどうする? ソルは領主のところに行って保護をあおげと言っていたが」

「そうね、行きましょう。確かめたいこともあるし」

(領主様に、ルー姉さんのこと、聞かなくちゃ……)

 ハリーファはジェードの横顔をじっと見つめた。

 言ってることと、考えていることと、表情が合っていない。

「……無理しなくていい」

 そう言いながら、ハリーファはマントの下でジェードの手をそっと取った。

 ジェードは驚いたようにハリーファを見上げる。

「今は、ちゃんと休め」

 ジェードは、ハリーファの手の温もりを感じながら、息を吸った。

 ——この人には、何も隠せないんだと、そう思った。

「随分、冷えて来たな」

 寒さに慣れていないハリーファは、マントの中で身を震わせた。

 ジェードはそんな彼を見て、少し笑った。

「熱いお酒をもらってくる? 身体が温まるわ」

「いらない。俺は、絶対に酒は飲まない、って決めてるんだ」

 ユースフが酒が原因で犯した過ちだけは、どうしても忘れられない。祈りの泉での絶望よりもさらに根深い。

 ジェードは不思議そうに首を傾げたが、それ以上は何も言わなかった。

 その時——。

 風に舞いながら、雪が静かに降り始めた。

「これは……?」

「雪よ」

「これが……雪……」

 まだ本降りではないが、焚火の光で雪は幻想的に煌きながら舞い降りる。

 雪を初めて見たハリーファは、暗い空を見上げた。

 ジェードとハリーファは、マントの中で身を寄せ合いながら、その光景を眺めた。


「ジェード、ここに居たのか」

 ウィルダーがやってきた。

「お前の誕生日なんだから、祝いの酒くらい飲めよ」

 ジェードは苦笑しながら、差し出された酒の椀を受け取った。

「そうね……」

 酒を口に含むと、少しだけ喉が熱くなった。

「せっかく帰ってきたんだ、踊らないのか?」

「今はそんな気分じゃないの」

 ジェードはウィルダーの顔を見て確信した。変わってしまったのは家族だけじゃない。

 自分も変わってしまったんだ。母も戸惑っていたのかもしれない。

 帰ったら、いっぱい、ママに話そう。今までどうしていたか。自分の身に起こったことを。

 昔はウィルダーに支えてもらっていたが、今は違う——。

 隣で身を寄せるハリーファを見る。ハリーファは黙ってウィルダーを睨んでいた。その姿はまるで番犬のようだ。

(いつまでも落ち込んでいられないわ……)

「ウィル、パパのお墓の場所を教えて!」

 ジェードは立ち上がり、ハリーファのマントからするりと抜ける。そして、まだ酒の残る椀をハリーファに預けた。

「……パパに会ってくるわ!」

 ジェードはハリーファにそう言って、祭りの喧騒を背に歩き出した。


 幼馴染に連れられ、村の外れの小さな墓地にやってきた。その一画にジェードの父親の墓があった。

 風が吹き抜け、焚火の音が遠ざかる。

 ジェードは父の墓前に跪き、そっと墓石に手を添えた。

「……パパ、ただいま」

 小さく呟いた声は、風に溶けて消えていく。

 目を閉じると、懐かしい記憶が蘇る。

「……ちゃんと聖地を見て来たわ」

 そう言うと、喉の奥が詰まった。

 過ぎた時間の残酷さが、胸に突き刺さる。

「でも、わたし、まだやらないといけないことがあるの。それが終わったら、ちゃんと帰ってくるから」

 ジェードは、誓うように呟いた。

「今朝、お前が帰ってきたって聞いて、夢みたいだったよ」

 ウィルダーはそう言って、ジェードの隣にしゃがみ込んだ。

 ウィルダーもまた、墓石に視線を落とす。

「……ずっと後悔してたんだ。四年前に、お前に贈り物をしたことを」

 ウィルダーの言葉に、ジェードは目を瞬いた。

「俺が贈り物をしなければ……お前は村を追われずに済んだかもしれないって、ずっと考えてたんだ」

 ウィルダーの手が、ぎゅっと拳を作る。

 忌年に贈り物をもらうと良くない事が起こると言う迷信の事だろう。

「……そんなのただの噂よ。ホープも言ってたわ」

 ジェードははっきりと否定した。

 胸元に今も着けているペンダントを意識し、ふっと微笑む。

「村を追われたのは、わたしが魔女だって言われたから。ウィルのせいじゃないわ」

 ウィルダーは、安堵したような、それでいて何かが引っかかるような表情でジェードを見つめた。

 けれど、ふと、問いかけるように視線を向ける。

「……それで、まだやらないといけないことって?」

 ウィルダーは真っ直ぐにジェードを見た。

「何か、大変なことに巻き込まれてるんじゃないのか?」

「……そうね。でも、わたしが決めたことだから」

 ウィルダーは少し黙り、そして——静かに息を吐いた。

「……あの旅人、何者なんだ?」

 唐突な問いに、ジェードは瞬いた。

「……ハリ? 一緒に、旅をしていたのよ」

「あの髪と目の色、シーランド人だろ? お前を連れて帰ってきたのか?」

「ううん、わたしが連れてきたの」

 ジェードの言い方、立ち居振る舞い、その全てが、ジェードの変化を物語っている。

「お前……変わったな」

 ウィルダーは、苦笑しながら呟いた。

 ジェードは成長し、強くなった。

 そして、ジェードの心は、もう別の人に向いている。

 ウィルダーは、まるで踏み込むように言葉を発した。

「……ジェード、その旅人のこと……どう思ってる?」

 ジェードは、ウィルダーの目をじっと見つめた。

 迷いなく、はっきりと言う。

「——好きよ。大切なの」

 ウィルダーの喉が、音を立てて鳴った。

「そうか……」

「わたしはハリを守りたいの」

 ウィルダーは、静かに目を伏せる。

「……お前は、もう俺が知ってるジェードじゃないんだな」

 ウィルダーの言葉に、ジェードは微笑んだ。

「わたしは、わたしよ」

 ウィルダーは、それ以上何も言わなかった。


 墓場から広場に戻ると、ジェードはハリーファを探した。

 しかし、ハリーファの姿が見えない。元いた柵のところにいないので、まだ騒いでいる広場を見回しながら練り歩く。

 踊りの集団からファティマの姿も消えている。

「……ハリ? ファティマさん?」

 村人に尋ねても、「さっきまでいたけど?」と首をかしげるだけだった。

 だんだんと胸がざわつきが大きくなる。

 ジェードは祭りの喧騒を抜け、家の方向へと駆け出した。

 広場を抜け、焚火の灯りが消える村の外れへ。

 家の前には、ジェードがハリーファに預けた酒椀が転がっていた 。

 そして、その先には踏み荒らされた草と、何かを引きずったような痕跡。

 ジェードの心臓が、冷たい刃で締め付けられるように縮み上がる。

「……ハリ?」

 声は震え、喉が詰まる。

 村の喧騒はまだ遠くで鳴り響いているのに、ジェードの世界から音が消えた。

 ジェードは、焚火の明かりが届かない闇を見つめた。

 不安が胸を締め付ける。

(また、私の大切な人が居なくなるの……?)

 ハリーファが言った言葉が、ジェードの頭の中で響いた。

『お前か俺か、どちらかが死ぬまで、そばにいると誓う』

 でも——ハリーファは、またいなくなった。

 誓いの言葉は破られた。

 村は、ジェードの帰還を祝って、祭りの音楽が、遠くで鳴り続けている。

 しかし、ジェードは今、たった独りになってしまった。


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