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天国の扉  作者: 藤井 紫
断章
169/193

69.黒髪の魔女

 1421年10月30日、ヴァロニア王国 王都ランス――。


魔女(ウィッチ)とは、悪魔と肉体関係を持って契約をなし、特別な力と黒髪を手に入れる』


 冷たい石造りの法廷に、かすかな足音が響いた。

 ヘーンブルグ領の少女、ルース・ダークは両手を縛られ、護衛に付き添われながら、中央の審問台へと導かれた。

 広間には異端審問官、魔女裁判を担当する司祭、そして数名の貴族たちが並び、彼女の一挙手一投足を見つめている。

 傍聴席には、王都の民たちが毎日入れ代わり立ち代わり押し寄せた。

――【黒】だ

――魔女だ

――【黒】い髪だ

 彼らは一様に金髪に青い瞳で、ルースの黒い髪を興味深そうに眺めていた。まるで見世物のように。

 審問官は威圧的だが、毎日同じことを繰り返しているだけだ。ルースが何を言っても聞く耳を持とうとしない。

 長い裁判だった。

 いや、意図的に長引かされている。

 本来なら、魔女裁判など一日で決着がつく。

 異端審問官が証言を並べ、聖職者が罪を断じ、火刑の宣告を下すだけのこと。

 しかし、この裁判はすでに何日も続いている。

(これは、黒髪の()()を陥れる為の宣伝活動(プロパガンダ)なのかしら……?)

 ルースは図書室で見た歴史書を思い出した。ヴォード・フォン・ヴァロアの黒髪が歴史から消されたことと関係があるのだろうか。

 きっと、貶めたい貴族に、黒髪の人物でもいるのだろう。

(こんなに毎日『魔女の審問』が繰り返されていたら、その黒髪の人物はさぞ震え上がっていることでしょうね……)

 そんな人が王都に居るかはわからないが、その誰かさんに同情した。

 審問官が咳払いをし、羊皮紙を手に取る。

「ルース・ダーク、貴様にかけられた罪状を読み上げる」

 法廷に、重々しい声が響き渡る。

「貴様は悪魔と契約を交わし、禁忌の術を行使した。その証拠として、貴様の髪は【黒】。魔女(ウィッチ)の証である。これについて弁明があれば申せ」

 また同じことを聞かれる。

 昨日も、一昨日も、その前の日も。

 裁判は堂々巡りを続け、何の決定も下されないまま、ただ時間だけが過ぎていく。

 ――今日こそ決着をつけなければならない。

 ルースは静かに顔を上げた。

「……黒髪が魔女(ウィッチ)の証拠だと?」

 裁判官たちが身じろぎする。

「ああ、その通りだ!」

 審問官が鼻を鳴らす。

「黒髪は、悪魔と契約した証。この国(ヴァロニア)に生まれつき黒髪の者など存在しない」

 ルースは、小さく笑った。

 そして、堂々とした口調で言い放つ。

「あなた方は、本当に天使(クライス)の下で真実を求める方々なのですね?」

 静寂が訪れる。

 審問官たちは顔を見合わせ、傍聴人も息を呑んだ。

「では、その真実を教えてさしあげます」

 ルースは、ゆっくりと審問官たちを見渡した。

 その瞳には、恐れも迷いもない。

西大陸(モリス)に広がるファールーク皇国をご存知でしょう?」

 審問官たちが眉をひそめる。

 二百年以上、鎖国を続ける謎の国だ。

「……それが、どうした?」

「ファールーク皇国は、今でこそ鎖国体制をしいていますが、その前身であるウバイド皇国の時代より多民族の国家です。金髪の民、黒髪の民、褐色の民。古くから行商が盛んな土地で、多くの人種が混ざり合い、独自の文化を築いてきました」

「ふん、異教徒の国だな」

天使(モリス)信仰が異教徒かどうかはともかく、彼らの血は今も続いています。実は、ヴァロニアの西南端、私の故郷ヘーンブルグ領でも、遠い昔にファールークから行商人が訪れ、彼らと婚姻を結んだ者たちがいました」

 審問官たちは無言でルースを見つめた。

「これは歴史にも正しく記録され、領主の館には、領民の婚姻の記録が、全て証拠として残されています」

 ルースは続けた。

「つまり、黒髪は悪魔との契約ではなく、先祖から受け継いだ血の証です」

 法廷に、ざわめきが走る。

「ならば、なぜ黒髪の者が長年異端とされ、火刑に処されてきたのか?」

 審問官の一人が鋭く問い返した。

「それこそ、信仰ではなく、政治の問題ではありませんか?」

 ルースは迷わず返す。

 完全な沈黙が広がった。

 傍聴席の中には、小さく頷く者もいた。

 審問官たちは顔を見合わせ、返答に詰まっている。

 ――いける。

 このまま言葉で押し切れば、私は助かる。

 ルースは手応えを感じていた。

 私が勝つ。これは知識の戦い。

 しかし、おかしい。なぜ、こんなにも裁判が長いのだろうか?

 本来、魔女裁判は決断が早い。

 異端審問官が罪を並べ、裁判官が頷き、即座に火刑が宣告されるのが常だ。

 しかし――これは違う。

 彼らは、ルースをすぐに処刑しようとしていない。

(時間を稼いでいる? 誰かを待っているの……?)

 その時だった。

「ならば、ルース・ダーク」

 審問官が口を開く。

「貴様が悪魔の子を孕んだという証言は、どう説明する?」

 ――心臓が凍りついた。

「……!?」

「証人によれば、貴様は『悪魔』と契約を交わし、すでに『悪魔の子』を宿している。これはどういうことだ?」

 ルースは、一瞬、声を失った。

 そんな時に、くにゃりと優しい胎動を感じた。

 この子は、ヴィンセントの子だ。審問官はヴィンセントのことを『悪魔』と呼んだのだ。

(悪魔の子……?)

 まだ、体型から妊娠はわからないはずなのに、誰がそんな証言を?

 妊娠のことは(ジェード)以外、ヴィンセントにさえ伝えていない。

 だが、審問官の目には確信が宿っている。

「どうだ、ルース・ダーク?」

 ルースは、今ようやく気が付いた。

 ――これは、ただの魔女裁判ではない。

 ――わたしを裁くためのものではない。

 ここで、この子をヴィンセントの子だと言えば、ヴィンセントも審問される側になる。

(この裁判は……わたしをわざと生かしていた)

 ルースの中で、確信が生まれる。

(わたしが生きている限り、ヴィンセントが王都に来る理由になる)

 ――だから裁判を長引かせていたのね。

 ルースの体が、わずかに怒りで震えた。

 これは、ヴィンセントをおびき寄せるための罠だ。

 黒髪迫害に気を取られすぎたのは失敗だった。

 時間を使いすぎた。もう、自分の魔女裁判の事が、ヴィンセントの耳に届いているかもしれない。

 王都に足を踏み入れれば、ヴィンセントは捕らえられ、もう二度と自由にはなれない。

 ならば、すぐさま魔女のフリをしなければならない。

 ルースは、ゆっくりと顔を上げ、漆黒の瞳が審問官たちを見据える。

 審問官たちは、彼女が取り乱すことを期待していたのかもしれない。

 しかし――ルースは、笑った。

「……認めましょう」

 広間にざわめきが走った。

「わたしが魔女だと言うのなら、そうなのかもしれません」

「この娘は悪魔と契約したと認めたぞ!」

 ルースは皮肉げに笑い、傍聴席を見渡した。

「まだお腹も膨れていないのに、どうしてわかったのかしらね。魔女の子は、生まれたらすぐに歩きだすと言うわ。……この子に母の仇を討ってもらうわ」

 ルースの挑発的な言葉に、貴族や司祭たちが顔を顰める。

「魔女を()()火刑に!」

 今度こそルースの思惑通りだ。

 このまま処刑を早める方向に仕向ける。

(お願い、ヴィンセント。絶対に助けには来ないで)

 ルースの心の中の願いを、誰も知ることはなかった。




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