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天国の扉  作者: 藤井 紫
第五章 呪われた兄弟
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66-2

 しかし、評議会の空気は、なおも張り詰めている。

 その時、ソルが静かに口を開いた。

「……だが、まだやることがある」

 全員の視線が、一斉にソルへ向けられる。

 彼は何気なく椅子にもたれかかりながら、軽く指を鳴らした。

 その音が、室内に微かな緊張を生む。

「ハリーファを、国外へ追放する」

 室内が、一瞬で凍りついた。

「追放……?」

「第二皇子を国外追放など、ありえん!」

 諸侯たちの怒声が飛ぶ中、ソルは肩をすくめ、片手に短剣を取り出して弄び始めた。

「同意できねぇやつは、反体制派として粛清する」

 冷静な口調だったが、その言葉が持つ意味は明白だった。

 短剣が器用に回転し、ひとたび滑らせば誰の喉元を裂いてもおかしくない。

 室内が静まり返った。

「しかし、第二皇子は革命軍に協力したではないか」

「皇子は、皇宮に幽閉すればい……」

 ダンッ――!

 鋭い音とともに、ソルの短剣がテーブルの中央に突き立てられた。

「その結果が、今回の革命だって気付いてねぇのか?」

 評議員たちは、今までのハリーファの処遇を思い出し、押し黙る。

 その瞬間、ソルは懐から古びた書物を取り出し、無造作にテーブルへと投げた。

「……あっ! それは!」

 声を上げたのはジェードだった。

 ジェードがラシードの屋敷から持ち出した、1218年の記録。

 ソルは、威圧的にジェードを睨んだ。

「これは、【宰相】アーディンが死んだ年の記録だ。この中に、ファールーク皇国の呪いが記されている」

 諸侯たちは顔を見合わせ、文献に目を落とす。

「……そんな……」

 誰かが低く呟いた。

「ハリーファ殿下は……【王】?」

「【王】が皇宮にいる限り、この国の未来は閉ざされる」

 ざわつきが広がる。

「この話が真実なら、ハリーファ殿下がいることで、再び呪いが……?」

「そんな馬鹿な……」

「証拠ならここにある」

 ソルはジェードの後ろに回り、背もたれをつかんだ。

「こいつは、ハリーファが皇宮を抜け出した時に侵入してきたヴァロニア人だ」

 ジェードに視線が集中し、評議員たちは息をのむ。

「では……この新しい国を守るために……ハリーファ殿下を……?」

 ソルは淡々と頷いた。

「……ああ。ファールークの呪いを終わらせる」



 評議員たちが去り、部屋に残るのはハリーファ、ソル、アーラン、ジェードの四人だけとなった。

 ハリーファはソルを睨んだ。

「……お前の策略なのか?」

「いや、これもまだラシードの計画のうちだ。もう少し付き合ってくれ」

 ソルの言葉に、アーランがゆっくりと口を開く。

「……確かに、【王】がこの皇宮に存在し続ける限り、革命の意味がなくなるわ」

「聖地解放のためには、【王】の排除は確定事項だろ?」

 ソルは淡々と続けた。

「お前はこの国にいちゃいけねぇ。だから、ヴァロニアに送る」

「……ヴァロニア?」

「それに、ちょっと頼みたい事もあるんだ」

 ソルの唇が、微かに歪んだ。




*   *   *   *   *




 昼下がり。

 革命が終わり、評議会も終わった。

 荒れ果てた皇宮の廊下を、ハリーファは静かに歩いていた。

 煤のついた壁、瓦礫と砂の散らばる床。

 かつての威厳を誇ったこの宮殿は、今や亡霊の棲む廃墟のようだった。

 彼女が眠る部屋に辿り着く。

 扉を押し開くと、そこにはベッドに横たわるファティマの姿があった。

 白いシーツの上に横たわる彼女は、かつての皇女の面影を残していた。

 ゆっくりと瞼が開き、翠の瞳がぼんやりと天井を見つめた。

「……ここは……」

 ファティマは寝台の上で上半身を起こした。

 薄く開いた窓から昼の光が差し込み、カーテンが揺れている。

 彼女の目が部屋の隅々を見渡し、しばらくすると、驚いたように息をのんだ。

「……わたくしの部屋……」

 かつての皇女の居室。

 幼い頃過ごしていたこの場所に戻ることになるとは、彼女自身も思っていなかった。

「……あなた……?」

 ファティマの視線が、ベッドの側に佇む影を捉える。

 明るい金の髪、翠の瞳、穏やかでありながらどこか影を宿した横顔——

 彼女の記憶の中にある人物に、あまりにもよく似ていた。

「……ラース?」

 ファティマの指が、震えるように伸びる。

 まるで幻に触れるような、確かめるような仕草だった。

「……俺は、ラースじゃない」

 低く、静かな声が告げる。

 その言葉に、ファティマは小さく息を呑んだ。

「……でも、とてもよく似ている……」

 ファティマの瞳が、目の前のハリーファを映す。

 ハリーファの翠の瞳をじっと覗き込むようにして——

 何かを探るように、何かを思い出そうとするように。

「ラースに、そっくり……」

 ファティマは呟いた。

 ハリーファは何も言わず、ただファティマを見つめ返す。

 ハリーファは息を吸い、決意を固めた。

「俺は、」

 言葉に詰まりながらも、ハリーファはまっすぐにファティマを見つめる。

「俺は、貴女の息子です、……母上」

 その言葉に、ファティマは目を見開いた。

「……わたくしの息子?」

 ファティマの指が、ゆっくりとハリーファの頬に触れる。

 震える手のひらが、彼の温もりを確かめるように。

「……名前は?」

「ハリーファです、母上」

「ハリーファ……」

 ファティマは名前を反芻するように呟いた。

 何かを思い出しそうになる。

 何かが、脳裏に蘇ろうとしている。

 しかし、その記憶の糸が繋がる前に、ファティマは微かに首を振った。

「……ラースは……冷たかった」

 指先が、ハリーファの頬を優しくなぞる。

「お前は……違う」

 ハリーファは何も言わなかった。

「でも……ラースに会いたい」

 ファティマの瞳に、どこか哀しげな光が宿る。

 ハリーファは口を開きかけて、やめた。

 【悪魔】(ラース)——

 彼は、自分の本当の父と呼べる存在なのか?

 ファティマに確認することも恐ろしくて出来なかった。

 長い沈黙が流れる。

 そして、ハリーファはそっと言った。

「一緒にヴァロニアに行きましょう」

 ファティマは一瞬、迷うような顔をした。

 だが、やがてゆっくりと頷く。

「……ヴァロニアに……?」

「ここにいる理由は、もうないでしょう」

 ファティマは窓の外を見た。

 かつて、自分が皇女として育ったこの宮殿。

 そして、幽閉されていた地下牢の記憶。

 ——もう、この場所に未練はない。

 彼女は、静かに目を閉じた。

「……わかったわ。ヴァロニアに行く」

 ハリーファは微かに頷いた。

 ファティマは、何かを探し続けるように——

 しかし、確かにこの国を去る決意を固めたのだった。


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