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しかし、評議会の空気は、なおも張り詰めている。
その時、ソルが静かに口を開いた。
「……だが、まだやることがある」
全員の視線が、一斉にソルへ向けられる。
彼は何気なく椅子にもたれかかりながら、軽く指を鳴らした。
その音が、室内に微かな緊張を生む。
「ハリーファを、国外へ追放する」
室内が、一瞬で凍りついた。
「追放……?」
「第二皇子を国外追放など、ありえん!」
諸侯たちの怒声が飛ぶ中、ソルは肩をすくめ、片手に短剣を取り出して弄び始めた。
「同意できねぇやつは、反体制派として粛清する」
冷静な口調だったが、その言葉が持つ意味は明白だった。
短剣が器用に回転し、ひとたび滑らせば誰の喉元を裂いてもおかしくない。
室内が静まり返った。
「しかし、第二皇子は革命軍に協力したではないか」
「皇子は、皇宮に幽閉すればい……」
ダンッ――!
鋭い音とともに、ソルの短剣がテーブルの中央に突き立てられた。
「その結果が、今回の革命だって気付いてねぇのか?」
評議員たちは、今までのハリーファの処遇を思い出し、押し黙る。
その瞬間、ソルは懐から古びた書物を取り出し、無造作にテーブルへと投げた。
「……あっ! それは!」
声を上げたのはジェードだった。
ジェードがラシードの屋敷から持ち出した、1218年の記録。
ソルは、威圧的にジェードを睨んだ。
「これは、【宰相】アーディンが死んだ年の記録だ。この中に、ファールーク皇国の呪いが記されている」
諸侯たちは顔を見合わせ、文献に目を落とす。
「……そんな……」
誰かが低く呟いた。
「ハリーファ殿下は……【王】?」
「【王】が皇宮にいる限り、この国の未来は閉ざされる」
ざわつきが広がる。
「この話が真実なら、ハリーファ殿下がいることで、再び呪いが……?」
「そんな馬鹿な……」
「証拠ならここにある」
ソルはジェードの後ろに回り、背もたれをつかんだ。
「こいつは、ハリーファが皇宮を抜け出した時に侵入してきたヴァロニア人だ」
ジェードに視線が集中し、評議員たちは息をのむ。
「では……この新しい国を守るために……ハリーファ殿下を……?」
ソルは淡々と頷いた。
「……ああ。ファールークの呪いを終わらせる」
評議員たちが去り、部屋に残るのはハリーファ、ソル、アーラン、ジェードの四人だけとなった。
ハリーファはソルを睨んだ。
「……お前の策略なのか?」
「いや、これもまだラシードの計画のうちだ。もう少し付き合ってくれ」
ソルの言葉に、アーランがゆっくりと口を開く。
「……確かに、【王】がこの皇宮に存在し続ける限り、革命の意味がなくなるわ」
「聖地解放のためには、【王】の排除は確定事項だろ?」
ソルは淡々と続けた。
「お前はこの国にいちゃいけねぇ。だから、ヴァロニアに送る」
「……ヴァロニア?」
「それに、ちょっと頼みたい事もあるんだ」
ソルの唇が、微かに歪んだ。
* * * * *
昼下がり。
革命が終わり、評議会も終わった。
荒れ果てた皇宮の廊下を、ハリーファは静かに歩いていた。
煤のついた壁、瓦礫と砂の散らばる床。
かつての威厳を誇ったこの宮殿は、今や亡霊の棲む廃墟のようだった。
彼女が眠る部屋に辿り着く。
扉を押し開くと、そこにはベッドに横たわるファティマの姿があった。
白いシーツの上に横たわる彼女は、かつての皇女の面影を残していた。
ゆっくりと瞼が開き、翠の瞳がぼんやりと天井を見つめた。
「……ここは……」
ファティマは寝台の上で上半身を起こした。
薄く開いた窓から昼の光が差し込み、カーテンが揺れている。
彼女の目が部屋の隅々を見渡し、しばらくすると、驚いたように息をのんだ。
「……わたくしの部屋……」
かつての皇女の居室。
幼い頃過ごしていたこの場所に戻ることになるとは、彼女自身も思っていなかった。
「……あなた……?」
ファティマの視線が、ベッドの側に佇む影を捉える。
明るい金の髪、翠の瞳、穏やかでありながらどこか影を宿した横顔——
彼女の記憶の中にある人物に、あまりにもよく似ていた。
「……ラース?」
ファティマの指が、震えるように伸びる。
まるで幻に触れるような、確かめるような仕草だった。
「……俺は、ラースじゃない」
低く、静かな声が告げる。
その言葉に、ファティマは小さく息を呑んだ。
「……でも、とてもよく似ている……」
ファティマの瞳が、目の前のハリーファを映す。
ハリーファの翠の瞳をじっと覗き込むようにして——
何かを探るように、何かを思い出そうとするように。
「ラースに、そっくり……」
ファティマは呟いた。
ハリーファは何も言わず、ただファティマを見つめ返す。
ハリーファは息を吸い、決意を固めた。
「俺は、」
言葉に詰まりながらも、ハリーファはまっすぐにファティマを見つめる。
「俺は、貴女の息子です、……母上」
その言葉に、ファティマは目を見開いた。
「……わたくしの息子?」
ファティマの指が、ゆっくりとハリーファの頬に触れる。
震える手のひらが、彼の温もりを確かめるように。
「……名前は?」
「ハリーファです、母上」
「ハリーファ……」
ファティマは名前を反芻するように呟いた。
何かを思い出しそうになる。
何かが、脳裏に蘇ろうとしている。
しかし、その記憶の糸が繋がる前に、ファティマは微かに首を振った。
「……ラースは……冷たかった」
指先が、ハリーファの頬を優しくなぞる。
「お前は……違う」
ハリーファは何も言わなかった。
「でも……ラースに会いたい」
ファティマの瞳に、どこか哀しげな光が宿る。
ハリーファは口を開きかけて、やめた。
【悪魔】——
彼は、自分の本当の父と呼べる存在なのか?
ファティマに確認することも恐ろしくて出来なかった。
長い沈黙が流れる。
そして、ハリーファはそっと言った。
「一緒にヴァロニアに行きましょう」
ファティマは一瞬、迷うような顔をした。
だが、やがてゆっくりと頷く。
「……ヴァロニアに……?」
「ここにいる理由は、もうないでしょう」
ファティマは窓の外を見た。
かつて、自分が皇女として育ったこの宮殿。
そして、幽閉されていた地下牢の記憶。
——もう、この場所に未練はない。
彼女は、静かに目を閉じた。
「……わかったわ。ヴァロニアに行く」
ハリーファは微かに頷いた。
ファティマは、何かを探し続けるように——
しかし、確かにこの国を去る決意を固めたのだった。