62-2
ヴァロニアに新年の訪れを告げる風は、冬の嵐を呼び起こした。
戦場に吹く風は冷たく、吹き抜けるたびに血と鉄の匂いが混じった。
誰が決めたのか知らないが、冬に戦争はしない――それがこの地の慣例だった。
だが、ヴィンセントには そんなものは関係ない 。
ランス東部・ガイアール領。
そこは反王太子派――シーランド陣営が支配する要衝だった。
だが、王太子軍は夜明け前に雪を踏みしめながら進軍し、敵城の目前まで迫っていた。
警鐘が鳴り響き、城壁の上で兵士たちが騒ぎ始める。
角笛の音が響いた瞬間、戦いは始まった。
「敵襲!」
「王太子軍が城門を狙っています!」
戦場に張り詰めた緊張の中、王太子軍の本陣では、短く角笛が鳴った。
ホープは自分の鼓動が速くなるのを感じながら、ヴィンセントに目を向けた。
ヴィンセントは いつものように冷静だった。
地図を広げ、敵城への侵攻経路を確認している。
「やはり、迎え撃つつもりか……」
ギリアンはその言葉に目を細めた。
「ヴィンセント、どうする?」
ヴィンセントは地図から目を離さず、淡々と答えた。
「君が決めろ。私たちは君に従う」
ギリアンは短く息を吐き、決然と宣言した。
「城門を破る」
ホープは驚いてギリアンを見た。
王太子の表情には 迷いがなかった 。
「撤退ではなく?」
「ここで引けば戦いは長引くだけだ。それならば、この場で決着をつける」
ホープは無意識に唾を飲み込んだ。
(……王太子様は変わった)
かつて臆病と揶揄された王太子が、今、自ら前に進もうとしている。
その姿に、ホープは勇気をもらった。
「ならば、突撃準備だ!」
ヴィンセントの声が響き、指揮官たちが兵を集める。
「ホープ、お前も行くか?」
ヴィンセントが問うと、ホープは深く頷いた。
「……行きます!」
ガイアール城の戦い。
突撃の合図が鳴ると、王太子軍の歩兵たちは盾を構えながら前進した。
城壁の上からは矢が降り注ぎ、盾に当たって鈍い音を立てる。
「第一部隊、城門へ!」
「弓兵、援護射撃!」
城門の前で攻城兵器が動き始め、丸太を打ちつける音が響く。
ホープは前線に立ちながら、視線を王太子ギリアンに向けた。ギリアンもまた、剣を抜き、兵たちを鼓舞していた。
「負けるな! 城門を突破するぞ!」
ホープは力強く剣を握りしめた。戦場は恐怖に満ちているが、それでも前に進むしかなかった。
しかし、その時だった。
シュッ――!
ホープの背筋が凍る音がした。
彼の視線の先、城壁の上から狙いを定めた弓兵が――王太子ギリアンを狙っていた。
「殿下――!」
ホープは考えるより先にギリアンへと駆け寄り、矢が放たれるのと同時にギリアンを突き飛ばした。
次の瞬間、衝撃がホープの左肩を貫いた。
視界が白く瞬き、鋭い痛みが全身を駆け巡る。
「……ホープ!!」
ギリアンの声が遠くに聞こえた。
ホープは膝をつき、痛みに耐えながら肩に突き刺さった矢を見た。
(……よかった……王太子様は無事だ)
意識が遠のきそうになる中、誰かが駆け寄ってくるのが見えた。
ヴィンセントだった。
「ホープ!」
ヴィンセントはホープの肩を押さえつけ、矢を折った。
「まだ動けるか?」
「……戦えます……!」
ホープは痛みに耐えながら、再び剣を握った。
城壁の上の敵兵が、恐れと困惑に満ちた声で叫ぶ。
「……王太子は魔女を味方につけたのか?」
「聖女じゃなかったのか……?」
ヴィンセントは矢を払うように剣を振り上げた。
「どちらでもいいさ――この戦場で、お前たちが屈する相手は『王太子軍』だ」
悪魔の軍勢が闇の中を進む。
王太子軍がさらに前進し、ついに城門が大きく軋んだ。
ホープは息を整えながら立ち上がり、再び戦場へと身を投じた。
日が昇る頃には、王太子軍はガイアール城を陥落させた。
ヴィンセントの指揮、ギリアンの決意、そしてホープの献身が勝利を呼び込んだ。
左肩に傷を負ったホープは、療養しながらも誕生日を迎えていた。
その夜、王太子軍の幕営の外で、ギリアンがホープのもとを訪れた。
「……あの時、君が僕を庇ったこと、忘れない」
ギリアンは短くそう言うと、何かを差し出した。
ホープが受け取ると、それは精巧な細工が施された短剣だった。
「これは……?」
「僕からの贈り物だ。君が欲しいものは、こんなものではないのは知っているけれど。もう少しだけ、一緒に戦ってくれるかい?」
ホープは驚きながらも、それを受け取った。
「……はい、喜んで」
その刃が、ホープ自身の未来の誓いを刻むものとなると、この時はまだ知らなかった。
この日、ホープは血と鉄の匂いの中で、自らの生きる道を選んだ。それは、ホープの十六歳の誕生日の記憶として深く刻まれることになった。